第7話 代金
——翌朝。
店を開けてからしばらく、客足が途切れたころだった。
リゼットは作業台に座り、昨日書き直した図面を前にしていた。
その横には、材料費を計算した小さな数字がいくつも並んでいる。魔石。起動石。魔力線。石板。留め具。
一つずつ足していく。
「……これくらいか」
「何が?」
すぐ近くから声がして、リゼットは肩を揺らした。
いつの間にか、ユアンが向かい側から身を乗り出して、図面を覗き込んでいる。
「……見ないでください」
反射的に紙を伏せる。
「なんで?」
「まだ途中なので」
「昨日から普通にそこに置いてあるけど」
「今は駄目です」
「ふうん」
ユアンが素直に身を引いたので、リゼットは小さく息を吐く。
紙を表に戻し、材料費を、もう一度計算してみた。昨日レナが置いていった硬貨は、結局カウンターの引き出しに入ったままだ。
返すつもりではいる。
次に会ったら。
たぶん。
「ユアン」
「なに?」
「小型の魔石、あといくつあります?」
「同じ大きさの?」
「はい」
「五つくらいかな」
「起動石は?」
「もっとあるよ」
「薄い石板は」
「倉庫にも何枚か」
「そうですか」
リゼットは図面へ視線を戻した。
しばらくして、
「……三つなら作れますね」
ぽつりと呟く。
「三つ?」
「…………」
ユアンの口元が上がる。
「作るんだ?」
「まだ決めてません」
「今、三つなら作れるって」
「作れるかどうかを確認しただけです」
「ふーん」
リゼットは返事をせず、紙に数字を書き足した。
——昼前。
エダが店へやってきた。
今日は卵を持っていない。それだけで少し安心する。
「砂糖ひと袋ね」
「はい」
リゼットが包んでいると、エダが作業台の方をちらちら見た。
「何ですか」
「いやあ、別に」
「絶対何かありますよね」
エダが困ったように笑った。
「レナから聞いたんだけどさ」
「やっぱり」
「うちの妹がね。ああいうのがもし出来るなら、欲しいって言ってて」
「ノラさんが?」
エダの妹のノラも、時々店にやってくる。姉ほどよく喋る方ではないけれど、町で会えば必ず声をかけてくれるし、以前リゼットが配達に行ったときには、庭で採れた木の実を一袋持たされたこともある。
「そうそう。昨日うちに来たから、リゼットに良くしてもらった温熱器を見せたんだよ。そしたら『こんなふうに楽に使えるなら、私も欲しいねえ』って」
「でも、ノラさんの温熱器はまだ使えるんですよね?」
「使えるよ。ただ、この辺りの冬は年寄りには堪えるからねえ」
エダは少し肩をすくめた。
「夜中なんか、足が冷えちまうとなかなか眠れなくてさ。ノラも最近、温まるまで待つのがしんどいって言ってたよ」
「……そうなんですね」
「まあ、無理ならいいんだよ。無茶言ってるってのは分かってるからねえ」
「無茶ってほどでは――」
「リゼットが何でも直してくれるもんだから、ついつい甘えちまって」
「何でもは直してません」
「そうだったね。見るだけだった」
エダが笑う。
「別に作ってくれって言いに来たわけじゃないんだよ。もし気が向いたら、そのときは声かけてやって。それだけさ」
リゼットは、包み終えた砂糖を渡す。
「どうぞ」
「ありがとね」
エダはそれ以上何も言わず、店を出ていった。
入口のベルが、ちりんと鳴る。
リゼットはその背中を見送り、作業台に目を向けた。朝から書いていた図面がそのまま置いてある。
三つなら作れる。
一つはノラ。
もう一つは、レナが言っていたハンナ。
あと一つは――。
「……三つだけですから」
帳簿からユアンが顔を上げた。
「何が?」
「……作るとしても」
「うん」
「三つだけです」
「分かった」
「試作の続きです」
「うん」
「売り始めるわけじゃありません」
「分かってるよ」
あっさり返される。もう少し何か言われると思っていたので、逆に調子が狂う。
「……本当に?」
「何が?」
「いえ」
リゼットは図面を手元へ引き寄せた。
——そこから二日。
店の仕事の合間を縫って、少しずつ三つ分の部品を揃えた。
最初に作ったものと同じ形にするだけなら、それほど難しくない。ただ、いざ同じものを三つ並べて作ろうとすると、石板の厚みや起動石の位置、魔力線の長さまで、細かな違いが次々に目につく。
リゼットは細長い木片に、一定の間隔で印をつけ、部品の位置を揃えていく。
「何してるの?」
「位置を揃えてます」
「三つとも?」
「はい」
「一個ずつ合わせればいいんじゃない?」
「それだと同じものにならないでしょう」
ユアンが首を傾げる。
「少しくらい違っても、使う分には困らないんじゃない?」
「使えますけど……」
リゼットは一本目の魔力線を目印に合わせて切り、次も同じ長さに揃えた。
「同じものを作るなら、なるべく同じ部品を、同じ位置に使った方がいいんです」
「どうして?」
「壊れたとき楽だから」
「壊れたとき?」
「どれを開けても中が同じなら、直す側が迷わないでしょう」
口にしてから、手が止まった。
作るときには、壊れたときのことも考える。どれを開けても同じなら、直す人間が迷わない。ずっと昔から、そうしてきた。
「……癖です」
小さく付け足す。
ユアンは少しだけリゼットを見た。
「じゃあ僕が壊しても直せる?」
「壊さないでください」
「例えばの話」
「ユアンはまず触らないでください」
「信用ないなあ」
「ありますよ」
思わず返してから、リゼットは手を止めた。
ユアンも一瞬黙る。
「……そう?」
「魔道具に関しては、ないです」
「えー、その答えはいらなかったなあ」
何となく顔を見づらくなって、リゼットは工具へ視線を戻した。
——三つ目が出来上がったのは、その日の夕方だった。
作業台は、最初の試作品より少し薄く、起動石の溝を一本増やした温熱器が三つ並んでいる。弱い方の温度も少し下げてある。
「よし」
思わず小さく頷く。
「完成?」
ユアンが近づいてくる。
「たぶん」
「また、たぶん」
「使ってみないと分からないので」
「じゃあ次は値段だね」
リゼットの手が止まった。
「……値段?」
「渡すんでしょ?」
「売るとは言ってません」
「でも、材料費はかかってる」
「それは、まあ」
リゼットは紙に視線を向けた。材料費はすでに計算してある。
数字を見せると、ユアンが首を傾げた。
「これだけ?」
「はい」
「リゼットの分は?」
「私の?」
「作った時間」
「いりません」
「いるよ」
思ったより強い声で返されて、リゼットは顔を上げた。
ユアンは笑っていなかった。
「材料だけ払って、リゼットが何時間もかけた分はただって、僕は嫌だけど」
「でも、好きでやってることですし」
「好きでやったなら、時間がただになるの?」
「……そういうわけじゃ」
「でしょ」
ユアンは紙の上の数字を指で軽く叩いた。
「僕、そんなに心広くないんだよね」
「何がですか」
「大事な人の時間を、みんなにただで配ってやれるほど」
「…………」
リゼットの手が止まる。
「……え、何の話ですか?」
「だから、ちゃんと代金もらおうって話」
「そこじゃなくて」
「じゃあどこ?」
ユアンの表情はいつも通りだ。
「…………もういいです」
リゼットは紙へ視線を落とした。
数字を見ているはずなのに、さっきまでより少しだけ読みづらい。
「で、いくらにする?」
「……今聞かないでください」
「なんで?」
「計算できないからです」
一拍置いて、ユアンが笑った。
リゼットはますます顔を上げられなくなった。
しばらくして、ようやく数字へ意識を戻す。
材料だけではなく、試して、直して、また作った時間。
それにも値段をつける。
どうにも落ち着かなかった。
「……高くないですか」
リゼットが書いた数字を見て、ユアンが首を振る。
「今売ってる温熱器よりずっと安いよ」
「でも、こんな簡単なものに」
「その簡単なものを作れる人が、この町にはいなかったんでしょ?」
リゼットは紙を見る。高すぎるとは思わない。
けれど、自分が作ったものに値段をつけるという感覚が、まだ馴染まない。
「……少し下げてもいいですか」
「いいけど、材料費ぎりぎりは禁止」
「禁止って」
「また、ただ働きしそうだから」
「しません」
即答してから、少し考える。
「……たぶん」
「ほら」
結局、二人で数字を少しだけ調整した。材料費よりは高いが、市販の温熱器よりはずっと安い。
「これなら?」
「……これで」
「了解」
ユアンはそれ以上何も言わなかった。
——翌日。
「こんにちは」
「こんにちは、ノラさん」
入ってきたのは、エダの妹のノラだった。
姉によく似た目元に、少し控えめな笑い方。
「エダから聞いてね。無理ならいいって言ったんだけど」
「一応、三つ作ってみたんです」
「まあ」
作業台に並んだ温熱器を見て、ノラの顔が明るくなる。
リゼットは一つ手に取る。
「ここが起動石です。軽く押せばつきます」
ノラが指先で軽く押すと、淡い光が灯り、石板がゆっくりと温まり始めた。
「本当にこれだけでいいの?」
「はい。もう一度押すと、少し温度が下がります」
「あらあ」
ノラが試して、嬉しそうに笑う。
「これなら夜中でも楽だねえ」
「起動石には溝をつけてあるので、暗くても触れば分かると思います」
「エダから聞いたのよりずいぶん薄いね」
「あれから、ちょっと直してみました」
「リゼットはすごいねえ」
その言葉に、リゼットは少しだけ居心地が悪くなる。
「そんな大したものじゃありません」
「そう?」
「……値段は、これくらいです」
紙に書いた数字を見せる。少し緊張した。
高いと言われるだろうか。やっぱりいらないと言われるだろうか。
ノラは数字を見て、
「そんなもんでいいの?」
と逆に聞いた。
「……はい」
「今の温熱器よりずっと安いじゃない」
「魔石を小さくしてるので」
「へえ」
分かっているのかいないのか、ノラは嬉しそうに頷き、財布から硬貨を出し、リゼットの前へ置いた。
今度は、押し返さなかった。
一瞬だけ迷ってから、受け取る。
「……ありがとうございます」
自分で考えて作ったものが、誰かの手に渡り、その代わりに、お金を受け取る。ただ、それだけ。なのに妙に緊張した。
ノラは温熱器を大事そうに抱え、少しだけ目元を潤ませた。
「やだねえ。歳をとると涙もろくて。ずっと使いづらかったからさ、ほんとに嬉しくて……今夜から使うよ」
「何かあったら、すぐ持ってきてください」
「はいはい」
「本当にですよ」
「分かったって」
笑いながら店を出ていく。
入口のベルが、ちりんと鳴った。
リゼットは手の中の硬貨を見る。
「どう?」
横からユアンが聞いた。
「何がですか」
「売れたね」
「……そうですね」
「嬉しくない?」
リゼットは少し考えた。
「それより、ちゃんと今夜も動くかの方が心配です」
「そっち?」
「そっちです」
そう答えながら、硬貨をカウンターの引き出しへ入れる。
閉める。
少し考える。
また開ける。
硬貨を見る。
そして、もう一度閉めた。
「ユアン」
「ん?」
「小型の魔石って、あといくつでしたっけ」
「五つくらいって言わなかった?」
「じゃあ三つ使ったので、あと二つですね」
「そうだね」
「……次の仕入れで、少し多めに入れてもらえます?」
ユアンの口元がゆっくり上がった。
「三つだけじゃなかった?」
「予備です」
「何の?」
「……色々です」
「そっか」
それ以上追及せず、ユアンは帳簿へ視線を戻した。
リゼットは作業台を見る。
朝には三つ並んでいた温熱器が、今は二つになっている。
一つはもう、ノラの家にある。
今夜、あれを使うのだ。
ちゃんと温まるだろうか。使いにくいところはないだろうか。
やっぱり、少し心配だった。
カウンターの引き出しの中には、自分で作ったものと引き換えに受け取った硬貨がある。それを思うと、妙に落ち着かない。
「あと二つだね」
ユアンが帳簿を見たまま言った。
「数えないでください」
「三つだけだからね」
「……そうですよ!」
そう答えながら、リゼットは残った二つを少しだけ奥へ寄せた。
三つだけ。
そのつもりだった。




