第6話 試作品
——翌朝。
店へ入ったリゼットは、上着を脱ぐより先に作業台へ目をやった。
昨夜作った小さな温熱器が置かれている。薄い石板に、小さな魔石。起動石には、暗い場所でも指先で分かるよう浅い溝を刻んである。
見栄えがいいとは言えない。
それでも昨夜、出来上がったあとには随分長いこと眺めてしまった。
「…………」
リゼットは何事もなかったように視線を逸らし、上着を脱いだ。
「おはよう」
「おはようございます」
奥から出てきたユアンが、作業台をちらりと見た。
「今日は触らないの?」
「何にですか」
「それ」
「今日は仕事します」
「昨日も仕事してたと思うけど」
「店員の仕事をします」
「なるほど」
笑っている。
リゼットは無視して箒を手に取り、入口の扉を開けた。
朝の空気が店内へ流れ込む。
通りはもう動き始めていた。
向かいではパン屋が店先に籠を並べ、その横を荷車がゆっくりと通り過ぎていく。荷台には、摘んだばかりの青い花が山ほど積まれていた。
ルシェラ。
この町にしか咲かないその花には、魔道具や術式の効果を強める性質があるため、古くからこの町の特産品として有名だ。
青い花弁の間から伸びた細い葉が、朝の光を受けて銀色にきらめいている。
いつものように店先を掃き、店へ戻ってしばらくすると、ふと思い出してカウンターの方を見る。
「ユアン」
「なに?」
「レナさんのところ、今日配達ありましたよね」
帳簿を見ていたユアンが顔を上げた。
「あるよ。小麦粉と紅茶」
「私が行きます」
「いつも行ってるじゃん」
「……そうですけど」
ユアンの視線が、作業台の温熱器へ向く。
リゼットは急いで言った。
「届けに行くわけじゃないですからね!」
「何を?」
「…温熱器」
「ふーん」
妙に楽しそうなのが悔しい。
リゼットは温熱器から目を逸らした。
——昼を少し過ぎたころ。
配達用の籠に小麦粉と紅茶を詰め、リゼットは店を出ようとして、作業台へ目をやった。
「…………」
別に持っていく必要はない。
これはただの試作品だ。レナから頼まれたわけでもないし、そもそも売るつもりもない。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
籠を持って店を出る。
三歩進んで、止まる。
……戻る。
ユアンが顔を上げた。
「忘れ物?」
「……そうです」
リゼットは温熱器を掴み、籠へ入れた。
ユアンの口元が少し動く。
「何ですか」
「何も」
「今、笑いましたよね」
「気のせいじゃない?」
レナの家までは、歩いて十分ほどだ。通りを抜けると、軒先に摘んだばかりのルシェラを束ねている家がいくつかあり、青い花と銀の葉が風に揺れている。
その脇を通り過ぎ、レナの家の扉を叩く。
「はーい」
すぐに声がして、丸眼鏡をかけたレナが顔を出した。
「あら、リゼットちゃん。待ってたわ」
「ご注文のものです」
「ありがとう。さ、入って」
「今日は配達だけです」
「お茶淹れたところなのよ」
「仕事中です」
「じゃあ三分だけ」
「その三分、信用してませんからね」
「まあ。生意気になったわねえ」
そう言いながら、もう家の中へ戻っている。
リゼットはため息をついた。
結局、いつもの椅子に座っている。
目の前には紅茶、それから、なぜか焼き菓子が三つ。
「一個でいいです」
「若いんだから食べなさい」
「お昼食べたばかりです」
「じゃあ二個」
「増えてます」
レナが笑った。
この町の人たちは、どうしてこう人に食べさせたがるのだろう。リゼットは諦めて、焼き菓子を一つ手に取った。
「そういえば、エダさんから聞きました」
「ああ、温熱器?」
「はい。夜、起動石が見つけにくいって」
「そうなのよ」
レナは丸眼鏡を外した。
「ほら」
「何がですか」
「見えてない」
「でしょうね」
「リゼットちゃんの顔も、今はだいぶぼんやりよ」
「眼鏡かけてください」
「夜中に温熱器をつけたいときなんて、まず眼鏡を探して、それから起動石を探すの。面倒でしょう?」
「それは……面倒ですね」
リゼットは足元の籠を見る。
入れてきた温熱器が、布の隙間から少し覗いていた。
視線を追って、レナも籠に気づく。
「あら、それ何?」
「……試作品です」
「試作品?」
ここまで持ってきておいて、今さら隠すのもおかしい。
リゼットは温熱器を取り出し、テーブルへ置いた。
「昨日、少し作ってみたんです」
「まあ、これを?リゼットちゃんが?」
「まだちゃんと使えるか分かりませんけど」
「すごいわねえ!使ってみていい?」
目が輝いている。
「そのために持ってきたので」
言ってから、少しだけ気まずくなった。
レナがにこりと笑う。
「わざわざ私のために?」
「エダさんにも使えるように考えたので、レナさんだけではありません」
「はいはい」
何だ、その返事は。
「起動石はここです」
リゼットが指さす。
「触れば分かるように、溝を入れてあります。眼鏡を外したまま試してみてください」
「もう外してるわよ」
「そうでした」
レナが目を閉じ、指先で石板の縁をなぞった。
「あ、ここね。」
すぐに溝に触れ、起動石を軽く押す。
淡い光が灯り、石板がじんわり温まり始めた。
「まあ」
もう一度押すと、温かさが少し弱くなる。
「二段階?」
「はい。最初は強めで、温まったら弱くできるようにしました」
「便利ねえ」
「まだ試作品です」
「でも使えるんでしょう?」
「一応」
「じゃあ今夜貸して」
リゼットが目を瞬いた。
「今夜?」
「実際に暗いところで使わないと分からないでしょう?」
それはそうだ。
「でも、何かあったら――」
「爆発する?」
「しません」
即答すると、レナが笑った。
「なら大丈夫よ」
「熱くなりすぎたらすぐ消してください。少しでも変な音がしたら使わないで。それから――」
「リゼットちゃん」
「何ですか」
「心配性ねえ」
言われて、口を閉じた。
「……念のためです」
「分かったわ。ちゃんと気をつける」
レナは温熱器を両手で持ち上げた。
「それにしても、こういうの欲しかったのよ。夜中に眼鏡なんてかけたくないもの」
「まだ欲しいって言わないでください。試作品です」
「じゃあ、使ってから言う」
「そうしてください」
「気に入ったらもらっていい?」
「……まだ、駄目です」
「売ってくれる?」
「売りません」
「じゃあどうしたら手に入るの?」
「まだ手に入れる前提で話さないでください」
レナは声を上げて笑った。
結局、三分のはずのお茶は二十分かかった。リゼットが帰ろうと立ち上がると、レナが小さな包みを差し出した。
「これ、ユアンにも」
「何ですか?」
「焼き菓子。店で食べなさい」
「さっきもいただきましたけど」
「これはお土産よ」
「……もう十分です」
「若い子が遠慮するんじゃないの」
「またそれ……」
「ほら、持ってきなさい」
結局、押しつけられるように受け取った。
「ありがとうございます」
「はい。よろしい」
レナが満足そうに頷く。
「最初からそれくらい素直なら可愛いのに」
「余計です」
楽しそうな笑い声を背中に聞きながら、リゼットは焼き菓子の包みを抱えて、レナの家を出た。この町へ来てから、何度こんなふうに食べ物を持たされたか分からない。若い人が少ないからだろうか。それとも、自分がそんなに頼りなく見えるのだろうか。
少し考えたが、答えは出なかった。
店へ戻ると、ユアンがすぐに籠を覗き込んだ。
「あれ? 温熱器は?」
「レナさんに貸しました」
「へえ」
「何ですか、その顔」
「いや。売らないのに貸すんだなと思って」
「試してもらうだけです」
「なるほど」
リゼットは焼き菓子の包みをカウンターへ置いた。
「これ、レナさんからです」
「やった」
「私の分も入ってるので全部食べないでください」
「信用ないなあ」
「前科がありますから」
ユアンは包みを開けながら尋ねた。
「で、どうだった?」
「何が?」
「レナさん」
リゼットは少し考えた。
「起動石はすぐ見つけられました。溝も分かりやすいみたいです。温度も二段階で問題なさそうでした」
「それだけ?」
「他に何があるんですか」
「喜んでた?」
リゼットは一瞬黙った。
『こういうの欲しかったのよ』
嬉しそうだった。
「……はい」
「そっか」
ユアンはそれだけ言って、焼き菓子を一つ口に入れた。
リゼットは作業台へ戻る。
温熱器があった場所だけが空いている。
夜になれば、レナが使う。それを想像すると、胸のあたりが少しくすぐったかった。
——翌朝。
店を開けて間もなく、レナがやってきた。
手には、昨日貸した温熱器を抱えている。
「どうでした?」
思わず、リゼットの方から聞いた。
レナがにやりとする。
「気になる?」
「試作品なので当然です」
「はいはい」
レナは温熱器をカウンターへ置いた。
「すごくよかったわ」
リゼットの表情が少し緩む。
「本当に?」
「眼鏡なしでも一発で分かったし、途中で弱くできるのもいいわね。朝までずっと熱いの、嫌だったのよ」
「熱くなりすぎたりは?」
「しなかったわ」
「変な音は?」
「なし」
「魔石の減りは――」
「リゼットちゃん」
「はい」
レナが笑っている。
「楽しそうね」
一瞬、言葉に詰まった。
「……確認してるだけです」
「そういうことにしておくわ」
「そういうことです」
レナは追及せず、温熱器を軽く叩いた。
「これ、欲しい人いると思うわよ」
「……まだ売るとは言ってません」
「分かってるわよ」
レナは笑った。
「でも、この辺りの冬は年寄りには堪えるからねえ。温熱器を使ってる人は多いし、エダみたいに古いのをずっと使ってる人もいるでしょう?」
「それは……まあ」
「エダの妹も、こういうのがあったらいいねって言ってたわ。うちの向かいのハンナも」
「もうそんなところまで話が?」
「昨日ちょっとね」
相変わらず早い。
「別に作ってくれって言ってるんじゃないのよ。もし作るなら、教えてほしいって」
「……それなら」
言いかけて、リゼットは止まった。
それなら、何なのだ。
レナは追及せず、代わりに、ポケットから硬貨を取り出してカウンターへ置いた。
「はい」
「……何ですか、これ」
「貸出料」
「いりません」
すぐに押し戻す。
「一晩借りたでしょう?」
「試してもらったんです。むしろこっちがお願いしたんですけど」
「じゃあ、試験に付き合った分と相殺ね」
「相殺したら零でしょう」
「細かいことはいいのよ」
「よくありません」
リゼットが硬貨を押し戻す。
レナが戻す。
もう一度押し返す。
また戻ってくる。
「レナさん」
「何?」
「受け取りませんから」
「私も持って帰らないわよ」
しばらく見つめ合う。
先に目を逸らしたのはレナだった。
「じゃあね」
「ちょっと」
さっさと扉へ向かう。
「レナさん、お金!」
「次にお茶飲みに来たとき返してちょうだい」
「それ返してもらう気ないやつですよね?」
レナは笑いながら店を出ていった。
入口のベルが、ちりんと鳴る。
カウンターには、硬貨が残っている。
「……どうしてみんなこうなんだろう」
リゼットが頭を抱える。
後ろからユアンが覗き込んだ。
「リゼットだからじゃない?」
「……え?」
思わず顔を上げる。
ユアンは何でもないことのように、カウンターに残った硬貨を見ていた。
「どういう意味ですか」
「さあ?」
そう言って、ユアンは棚の方へ戻っていく。
「…………」
リゼットは少しだけ遅れて、手元の硬貨へ視線を戻した。
ダリオもそうだった。マルタも、エダも。
いらないと言っているのに、何かを置いていく。
本当に、この町の人間は人の話を聞かない。
――嫌ではないけれど。
棚の向こうからユアンが言った。
「それで?」
「何ですか」
「欲しい人が何人かいるんでしょ?」
「欲しいとは言ってません。もし作るなら教えてほしい、です」
「じゃあ、作らない?」
「……」
昨日なら、すぐに「作りません」と答えただろう。
今日は、ほんの少し遅れた。
ユアンはその間を指摘しなかった。
「まあ、急がなくていいんじゃない?」
それだけ言って、棚の整理へ戻っていく。
リゼットは作業台に座り、戻ってきた温熱器を手に取る。一晩、実際に使ってもらい、問題はなかった。それどころか、もし作るなら教えてほしいという人までいるらしい。
リゼットは少し迷ってから、引き出しを開け、図面を取り出す。
実際に使ってもらったことで、直したいところも見えてきた。起動石の溝はあと一本増やした方が分かりやすいし、弱い方の温度もほんの少しだけ下げていい。
リゼットは、ペンを取った。
「……作るって決めたわけじゃないから」
そう言いながら、図面に新しい線を一本引いた。




