第35話 学院
翌朝、学院の門が見えたとき、リゼットは足を止めた。高い石造りの門。並木道。淡い灰色の校舎。中央塔には、昔と同じ学院章が掲げられている。
「……懐かしい」
胸の奥が少しざわつく。けれど、確かにここが好きだった。
分からないことがあれば資料室へ走り、思いついたら試験室を借りた。失敗すれば悔しくて、うまくいけば、その日のうちに次を考えていた。
「行くぞ」
アーヴィンが振り返る。
「ちょっとくらい待ってください」
「外壁に感動する時間が必要なのか」
ユアンが笑いながら校舎を見上げた。
「ここに通ってたんだ」
「はい」
リゼットは歩き出しかけて、彼を振り返る。
「あとで、少し案内します」
ユアンが目を丸くした。
「いいの?」
「昔の話をするって約束したので」
「覚えてたんだ」
「一昨日ですよ」
ユアンは嬉しそうに笑った。
「楽しみ」
◇
保管庫へ向かう途中、実習棟の扉が開いていた。中では学生たちが、小さな魔道具を囲んでいる。リゼットは窓際の作業台へ目を止めた。
「私、あそこ使ってました」
「明るそうだね」
「図面が見やすいんです」
「外を見ていて、授業を聞いてなかったな」
アーヴィンが口を挟む。
「聞いてました!」
「三回名前を呼ばれてたぞ」
「設計を考えてただけです」
「それが聞いてないんじゃないか」
言い合っていると、奥から声がした。
「……ハルディ?」
振り返ると、白髪の混じった男性が書類を抱えて立っていた。
「セドリック先生」
学院で魔道具設計を教わった教官だった。
「やっぱりそうか。久しぶりだな」
「お久しぶりです」
少しだけ身構えた。どこへ行っていたのか。なぜ辞めたのか。何を聞かれるだろう。
けれど、セドリックが言ったのは一言だった。
「元気そうでよかった」
「……はい」
「また、何か面白いものを見つけた顔をしている」
「そんな顔あります?」
「あるとも」
セドリックは楽しそうに笑ってから、ユアンへ目を向けた。
「こちらは?」
「今働いてる店の――」
「店主のユアンです」
自然に続け、ユアンが挨拶をした。
「リゼットには、うちで働いてもらってます」
「そうか。では、今のハルディ君を知っている人だな」
「はい」
ユアンが柔らかく笑う。
「この二年のリゼットは、よく知ってます」
リゼットは少しだけ彼を見た。何でもない言い方なのに、妙に胸へ残った。
◇
保管庫では、前日に記録した番号の図面が用意されていた。最古の図面では、王都の結界はいくつかの区画に分かれ、それぞれで運転を切り替えられる構造になっている。けれど改修が進むにつれ、区画をまたぐ線は増えていた。
「余っているところから、足りないところへ回せるようにしたんですね」
「店の在庫を、一か所にまとめるみたいなこと?」
ユアンに聞かれ、リゼットは少し考えて頷いた。
「似てます。必要なところへ回せる方が、無駄が少ないので」
「便利だね」
「はい。普段なら」
セドリックが、改修時の検討記録を持ってきた。そこには効率が上がる一方で、運転変更の影響が広い範囲へ及ぶことも記されている。
「……分かってなかったわけじゃない」
リゼットが呟くと、セドリックは図面を見下ろした。
「そのときの条件では、それを選ぶ理由があったんだろうな」
「はい」
誰かが一度に間違った判断をしたわけではない。街が変わるたび、その時々で必要なものを選んできた。その積み重ねが、今の結界になっている。
「明日、実際の設備を見れば、もっと分かる」
アーヴィンの言葉に、リゼットは頷いた。
◇
資料を返したあと、少しだけ時間が余った。
「案内してもらってもいい?」
ユアンに言われ、リゼットは笑った。
「じゃあ、少しだけ」
最初に連れていったのは、中庭だった。大きな木と石のベンチがある。
「ここ、好きだったんです。静かなので。あと、昼寝できます」
「急にだらしない思い出になったね」
「課題で徹夜した翌日とかです」
リゼットはベンチを見て笑う。
「アーヴィンも、あそこで寝てましたよね」
「一回だ」
少し懐かしんだあと、図書棟へ向かった。冬に冷える階段。夕方の光が差す廊下。図書室の三階にある、一番奥の席。
歩きながら話し始めると、自分でも驚くほど言葉が出てきた。ユアンはそのたびに目を向け、ちゃんと聞いてくれる。昔のことを、一つずつ渡しているような気がした。
実習棟の前へ戻ったところで、リゼットは尋ねた。
「どうでした?」
「好き」
ユアンは校舎ではなく、リゼットを見ていた。
「リゼットが好きだった場所だから」
言葉が止まる。
「来てよかった」
「……そうですか」
何となく顔を見づらくなり、リゼットは校舎へ目を戻した。少し離れたところで、アーヴィンが二人を見ていたが、何も言わなかった。
◇
学院前でアーヴィンと別れ、二人で宿へ戻った。
「楽しかった?」
「はい。すごく。先生にも会えましたし、資料も思っていたより残ってました」
「うん」
ユアンは一度、遠ざかる校舎を振り返った。今朝までは、リゼットとアーヴィンの思い出の中にしかなかった場所だ。
知らない過去がなくなったわけではない。それでも、今日そこを一緒に歩き、自分にも話してくれたことが嬉しかった。
「また、リゼットの昔の話を聞かせて」
「覚えてることなら」
「じゃあ、聞いた話は僕も覚えとく」
リゼットは少し照れたように笑った。




