第36話 管理局
王都で過ごす三日目の朝。アーヴィンが宿の食堂へ来て、許可証をテーブルへ置いた。
王都結界管理局。リゼットは、パンをちぎっていた手を止める。
「あの中央制御室も、見られる」
「……そうですか」
学院とは違う。そこは、あの日、自分が判断を下した場所だった。
アーヴィンは許可証を置いたまま言う。
「俺だけで行ってもいい。必要なことは確かめてくる」
リゼットは少し考え、首を振った。
「行きます」
「いいのか」
「今の設備を、自分で見たいです」
アーヴィンは頷いた。向かいで、ユアンがカップを置く。
「僕も行くよ」
「中には入れないと思います」
「それでも。外で待ってる」
いつもと変わらない声だった。リゼットは少しだけ肩の力を抜いた。
「……じゃあ、一緒に」
◇
白い外壁と正面の階段。入口脇の認証石まで覚えていた。建物が近づくにつれ、リゼットの口数は減っていく。
「手、いる?」
ユアンに聞かれ、顔を上げた。その意味が分かって、少し笑う。
「今日は大丈夫です。でも、ありがとうございます」
「うん」
受付で許可証を出すと、係員は名前を確かめた。
「技術区画へ入れるのは、レイフォード様とハルディ様のお二人です。同行の方はこちらでお待ちください」
ユアンが頷く。リゼットは厚い扉の前で振り返った。
「行ってらっしゃい」
ユアンが言った。何度も聞いた言葉なのに、今日は少し違って聞こえる。
「……行ってきます」
答えて、アーヴィンと扉の向こうへ入った。
◇
廊下の匂いまで覚えていた。魔力線を保護する樹脂。金属。紙。途中、昔同じ職場にいた女性技師とすれ違った。
「……リゼット?」
足を止められ、少し身構える。けれど、彼女が聞いたのは「元気だった?」だけだった。
「はい」
「よかった。また何か調べに来たの?」
「少し、見たいものがあって」
「相変わらずね」
彼女は手元の資料を見て笑い、仕事へ戻っていった。リゼットはその背中を見送る。
「……みんな、同じこと言いますね」
「実際、分かりやすいからな」
アーヴィンが答えた。
「あなたに言われたくありません」
「まあ、俺も分かりやすいか。好きな女に会いに、北の町まで行った」
「……っ」
言い返そうとして、声が出なかった。アーヴィンはそれ以上何も言わず、先の扉へ向き直る。リゼットは少し遅れて、そのあとを追った。
◇
中央制御室へ入った瞬間、足が止まった。壁一面の王都図。幾重にも並ぶ制御盤。その上を、区画ごとの魔力の流れを示す光が走っている。
赤い警告灯と、落ちていく数字が脳裏をよぎった。足りない。そう思ったあとに発した、自分の声まで蘇る。
リゼットは一度、深く息を吸った。目の前の制御盤へ視線を戻すと、警告の表示位置も、情報のまとめ方も三年前とは変わっている。
「……見せてください」
アーヴィンが系統図を開いた。
◇
担当の技師から説明を受ける。三年前より監視は細かくなり、不足が起きれば優先度の低い設備から自動で停止する。切り替えも早い。
必要な改善だった。けれど、最後に表示された項目で、リゼットの目が止まった。
重点防護区の指定。
「……ここは、残ってる」
「供給の仕組み自体は、大きく変えてないからな」
アーヴィンの言葉に、リゼットは王都図を見上げる。できるだけ早く不足を見つけ、不要な設備を止める。それでも足りなくなれば、最後にはどこを優先するか選ばなければならない。
「壊れてるわけじゃないんですね」
今の結界は、ちゃんと設計通りに動いている。だから、部品を直すだけでは変わらない。
「中央をよくすることは、続けた方がいいです。でも、それとは別に残せるものがあったら」
「別に?」
町で作った三基を思い出す。
「中央から供給できなくなっても、その場所だけで動ける、小さな結界です」
言葉にしてから、リゼットはアーヴィンを見た。どう思うのか、聞きたかった。
「補助の防護か」
「はい。たとえば避難所や治療所に」
「独立した魔力源が要るな」
「はい。でも、最初から街全体を一つで守ろうとしなければ、できると思います」
アーヴィンが王都図を見た。
「既存の結界は残す?」
「残します。平時は今の方が効率がいいですから」
アーヴィンが頷く。まだ構想でしかない。それでも、次に何を確かめればいいのかは見えてきた。
「町に帰ったら、試したいです」
アーヴィンは一瞬黙った。
「ここでも試験設備は用意できるぞ。……残れという意味じゃない」
すぐに付け足され、リゼットは少し笑った。
「ありがとうございます。でも、最初は町で作りたいです」
「理由は?」
「そこで考え始めたものなので。それに、作業部屋をもらったばかりですし」
「作業部屋?……あいつが?」
「はい」
アーヴィンが何か言いたそうな顔をした。
「何ですか」
「いや」
少し間を置いて、図面を畳む。
「町でやれ。必要な測定や資料があれば、こっちでも調べる。結果は送れよ」
「はい。ありがとうございます」
リゼットは、もう一度だけ王都図を見た。ここで外縁部への供給を止めたことは、今も覚えている。けれど今日は、その同じ場所で、次に何を作るかを考えていた。
◇
扉が開いた音で、窓際で本を読んでいたユアンが顔を上げた。
「終わりました。待たせましたね」
「うん」
「暇でした?」
「結構」
「すみません」
「冗談だよ」
ユアンは本を閉じて立ち上がった。
「おかえり」
リゼットが、一瞬止まる。ここは店ではない。それでも、返事は自然に出た。
「……ただいま」
ユアンが目を細める。少し後ろで、アーヴィンが無言で二人を見ていた。
◇
遅い昼食の席で、リゼットは見てきた設備の話をした。
「中央から切れたあと、どのくらい残せるか。まずはそこを――」
ユアンが皿を少し押してくる。
「リゼット、スープ冷めるよ」
「……はい」
リゼットは話を止め、手に持っていたパンを口へ運ぶ。アーヴィンは何も言わず、続きを待っていた。
◇
食事のあと、アーヴィンとは別れることになった。明日の朝、二人は王都を発つ。
「残りの写しは、許可が出たら送る」
「お願いします」
「試験結果も寄越せ」
「分かってます」
「それと」
アーヴィンがリゼットを見る。
「また来い。資料を見る必要がなくても」
リゼットは少し返事に迷った。資料がなくても、会いに来いということだろうか。
「……考えます」
「それでいい」
アーヴィンを見送ったあと、リゼットは小さく息を吐いた。
「明日、帰るんですね」
「嬉しい?」
ユアンが聞く。
「はい」
すぐに答えられた。
「王都へ来てよかったです。でも、帰ったらやりたいことも増えたので」
「帰ったら、また奥の部屋がいっぱいになりそうだね」
「はい。早く続きをしたいです」
嬉しそうに言うリゼットを見て、ユアンも笑った。
今日、自分はあの扉の向こうへ入れなかった。それでも、扉が開いたとき、リゼットはまっすぐ自分のところへ来た。そして今は、帰ったあとの話をしている。
「じゃあ、帰ったら部品を確認しよう」
「お願いします」
ユアンは頷き、彼女と並んで宿へ向かった。




