第30話 一緒に
それから数日後の朝、リゼットは店の裏口でポケットから鍵を取り出し、錠へ差し込んだ。もう何度も使っているのに、自分でこの扉を開けるときは、まだ少しだけ不思議な気がした。
「おはようございます」
店内へ声をかけるが、返事がない。
「……ユアン?」
作業部屋へ荷物を置こうとしたところで、二階から足音がした。
「おはよう」
「あ、いた」
階段を下りてきたユアンは、袖を捲りながら、まだ少し乱れた髪を整えていた。
「早いね」
「昨日までの記録をまとめたくて」
「鍵、役に立ってる?」
「はい」
鍵をポケットへしまうと、ユアンの目がそちらへ落ちた。
「よかった」
何でもない返事だった。それなのに、妙に嬉しそうに見える。リゼットは何となく目を逸らした。
「開店まで、奥にいますね」
「朝ごはんは?」
足が止まる。
「……食べました」
「ほんとに?」
「……尋問ですか?」
ユアンが笑った。
「僕もこれからだから、一緒に食べよう」
「記録をまとめたいんですけど」
「逃げないでしょ」
「……そうですけど」
結局、作業を始める前に、店の奥で一緒に朝食を取ることになった。ユアンは朝食を用意しながら、今日の配達先を帳簿で確かめている。リゼットも鞄から写しを取り出しかけたが、ちらりと見られたので、黙って手を引っ込めた。
◇
開店前の短い時間に、リゼットは地図を机へ広げた。丘、川向こうの共同倉庫、共同井戸、北の乾燥場、東門の外。確認できた石の場所には、それぞれ印をつけてある。
丸い窪みのある石と、ない石。同じ緑灰色の材質で、刻線にも似たところがあるが、同じ役割を持っているとは限らない。丘の石では小さな結界が現れたけれど、窪みのない石が何をするものなのかは、まだ分からなかった。
リゼットは乾燥場で取った写しを、丘の石の横へ置いた。
「……分からない」
溝があるというだけでは、何のための設備だったかまでは決められない。地中に隠れた部分もあるし、今の場所に昔から置かれていたとも限らなかった。
写しの端へ確かめたいことを書き足していると、表から声がした。
「リゼット、開けるよ」
「はい」
鉛筆を置き、店へ出る。午前中は、頼まれていた布を切り、砂糖を量り、届いた石鹸を棚へ並べた。昼を少し過ぎた頃、配達人が一通の手紙を持ってきた。
「リゼット宛て」
ユアンに渡され、封筒を見る。アーヴィン・レイフォード。その字を見ただけで、自然と作業部屋へ足が向いた。
◇
前の手紙より、文面は短かった。日付を見ると、前の手紙を書いた翌日になっている。
『石の用途を直接示す記録は、まだ見つからない。
ただ、王都結界の旧設計と改修の記録が、文書院と学院に残っている。お前が作っていた小型結界と比べるなら、見ておく価値はあると思う。
写しを出せない資料もある。来るなら閲覧を手配する。日程は相談できる。』
その下に、資料の一覧があった。初期の区画図。市街拡張に伴う改修記録。中央制御の更新資料。
リゼットは、最後の項目でもう一度目を止めた。三年前の災害後に追加された設備と、運用の変更。
「……あのあとのこと」
王都を離れてからも、当然、仕事は続いている。自分が知っている結界が、今はどうなっているのか。どこが変わり、何が変わらず残っているのか。
「何か見つかった?」
入口からユアンが尋ねた。
「石の用途が分かる資料は、まだみたいです。でも、王都の結界の旧設計資料が残っているそうです」
手紙を渡す。
「改修された経緯も追えるかもしれません。今の系統図だけでは、どうしてその形を選んだのかまでは分からないので」
ユアンが手紙へ目を落とす。リゼットは机に並んだ三基の試作品を見た。小さく分ければ、別々に動かせる。けれど王都では、長い時間をかけて街全体を支える大きな仕組みを作ってきた。
どうして今の形になったのか。そこを知りたかった。
「見たいです」
口にしてから、王都へ行くのだと改めて思った。
「……行くの?」
ユアンに聞かれ、少しだけ間が空いた。怖くないわけではない。それでも、手紙へ戻った目は、資料の一覧をもう一度追っていた。
「はい。閲覧できる日を聞いてみます」
ユアンは頷いた。リゼットは机の端から便箋を引き寄せる。
「ただ、店の仕事もありますし、すぐには――」
そこで顔を上げた。
「私、何日かいなくても大丈夫ですか」
「注文の予定を見て決めよう。配達が重なる日は避けたいし」
ユアンは表のカウンターへ戻り、帳簿を持ってきた。リゼットも鞄から予定を書いた紙を出す。頼まれている修理が二つに、布の取り置きと来週の配達がある。
「これを渡してからなら」
「うん。仕入れ便も、その日程に合わせて調整しておく」
「仕入れもですか?」
「僕も行くから」
リゼットの手が止まった。
「……ユアンも? 店はどうするんですか」
「一週間くらいなら、先に知らせて急ぎを片づければ大丈夫。仕入れ先にも連絡しておくよ」
間を置かずに返され、リゼットはユアンを見た。
「前から、一緒に行くつもりで考えてたんですか」
「うん。リゼットが行くかもしれないって言ってたから」
「……私、一人でも行けますよ」
「知ってる。でも、一緒に行きたいから」
ユアンは笑っていた。
リゼットは手元へ視線を落とした。来てくれるなら心強いと思ってしまったあとでは、それ以上断る言葉が見つからなかった。
「……分かりました。日程、一緒に考えましょう」
「うん」
◇
閉店後、リゼットはアーヴィンへの返事を書いた。閲覧を希望することを伝え、店の予定を確認して、出発できそうな日をいくつか挙げる。
最後に、一行を書き足した。
『同行者が一名います。』
「……これでいいかな」
「何が?」
戸締まりを終えたユアンが、入口から顔を出した。
「返事です。ユアンも一緒に行くと書きました」
「そっか」
リゼットは便箋を折り、封筒へ入れる。それを見ながら、ユアンは少しだけ息を吐いた。
王都へ行けば、アーヴィンがいる。会えばきっと、また二人にしか分からない話をするだろう。リゼットは楽しそうに笑うかもしれない。
「ユアン、行ける日、間違ってませんよね?」
差し出された予定表を見て、ユアンは頷いた。
「大丈夫」
自分も一緒に行くと決まっただけで、少し気持ちが落ち着いたことは、言わなかった。




