第3話 室内灯
——翌朝。
「おはようございます」
「おはよう」
店の奥からユアンが顔を出す。
リゼットは上着を脱ぎ、店の仕事を始めようとして――作業台に置かれた室内灯へ目を止めた。
昨日、マルタが置いていったものだ。
「…………」
「開店まで、まだ時間あるよ」
ユアンが言った。
リゼットは振り返る。
「何の話ですか」
「別に?」
「……掃除します」
箒を取り、入口から棚の間、カウンターの裏まで順番に掃いていくうちに、やがて作業台の前まで来た。
マルタが置いていった室内灯。
二十年ほど前の型で、乳白色の覆いには少しくすみがあり、台座の塗装もところどころ剥げている。母親が使っていたものだと、マルタは言っていた。
リゼットはしばらくそれを見つめたあと、箒を壁へ立てかけた。
「……見るだけ」
誰にともなく呟いて、椅子に座る。
ユアンは何も言わなかった。
工具箱を開き、室内灯の底蓋を外すと、今の生活魔道具よりずっと単純な回路が現れた。魔石から流れた力をそのまま光へ変える古い仕組みで、部品も大きく、回路にはかなり余裕がある。
「……懐かしい」
思わず声が漏れた。
測定針を当てていく。
魔石は生きている。
光源にも問題はない。
魔力線も――。
「あ」
一か所だけ、反応がない。
留め具を外してみると、小さな接続具に亀裂が入っていた。
長く使ったせいだろう。
「部品、要る?」
いつの間にか近くに来ていたユアンが尋ねた。
「このくらいの接続具、あります?」
リゼットが割れた部品を見せると、ユアンは少し考えた。
「起動石とか魔力線ならあるけど、そういうのはどうかな。ちょっと見てくる」
店の奥へ入り、しばらくして小さな木箱を持って戻ってきた。
「このあたり?」
中には交換用の起動石や魔力線に混じって、いくつかの留め具や接続具が入っている。
リゼットは一つずつ確かめ、やがて小さな接続具を摘まみ上げた。
「これが近いですね」
「同じじゃない?」
「少し違います」
古い室内灯に使われていたものより、わずかに幅が広い。
「でも、少し削れば使えます」
「へえ」
リゼットは工具を取り、接続具の端を少しずつ削って古い回路に合う形へ整えていった。一度差し込んでは外し、ほんの少し削って、もう一度合わせる。
「細かいね」
ユアンが横から覗き込んだ。
「合わないものを無理に入れたら、別のところに負荷がかかりますから」
「入ればいいってわけじゃないんだ」
「当たり前です」
「ふーん」
ほどなくして、接続具がぴたりとはまった。
魔力線を繋ぎ、底蓋を閉じてから起動石に触れる。
一瞬の間を置いて、乳白色の覆いの内側に柔らかな光が灯った。
「……ついた」
朝の店内では、それほど明るくは見えない。けれど、少し橙色がかった光は、どこか暖かかった。
棚の向こうへ戻りかけていたユアンが振り返る。
「直った?」
「一応」
「一応?」
「古いものなので、すぐに別のところが壊れるかもしれません。丁寧に使った方がいいです」
「それ、マルタさんにも言っとかないとね」
リゼットは頷いて、室内灯を消した。
直った。
ただ、それだけだ。
なのに少しだけ、気分がよかった。
——昼前。
「リゼット!」
入口のベルとほとんど同時に、マルタの声が響いた。
「もう直ったって本当?」
「誰から聞いたんですか」
「ユアン」
リゼットは店主を見る。
ユアンは平然と棚の商品を並べていた。
「配達でマルタの仕立て屋の前を通ったから」
「仕立て屋の前、配達ルートでしたっけ?」
「さあ?」
何食わぬ顔で返され、リゼットはそれ以上追及するのをやめた。
「つけてみてもいい?」
マルタが待ちきれないように室内灯を指さす。
「どうぞ」
起動石に触れると、ぽっと淡い光が灯った。
「この色、この色」
マルタが嬉しそうに笑う。
「今の室内灯って、もっと白くて明るいでしょう? でも私はこっちの方が落ち着くのよ」
乳白色の覆いを指先でそっと撫でながら、懐かしそうに目を細めた。
「母が夜になると、いつもこれをつけて縫い物しててね。だから新しいのを買えばいいって分かってても、どうしても捨てられなくて」
リゼットは灯りを見る。
少し黄色がかった、柔らかな光だった。
「ありがとう、リゼット」
「……接続具を一つ替えただけです」
「それでもよ」
マルタが財布を取り出したので、リゼットは慌てて止めた。
「いりません」
「でも、ミナちゃんの時も取らなかったんでしょう?」
「簡単な修理でしたから」
「簡単かどうかは、あたしには分からないもの」
マルタはそう言って、今度はユアンを見る。
「じゃあ、お店に払えばいい?」
「部品代なんてほとんどかかってないよ」
「じゃあそれと、リゼットの手間賃ね」
「手間賃はいりません」
「頑固ねえ」
「マルタさんに言われたくありません」
「あら、言うようになったじゃない」
楽しそうに笑われた。
結局、マルタはユアンが示した部品代だけをカウンターに置き、室内灯を大事そうに抱える。
「なら今度、リゼットには何か持ってくるわ」
「何もいりませんって」
リゼットが言うと、マルタはにやりと笑った。
「それはあたしが決めることよ」
嫌な予感がした。
こういう顔をした町の人は、大抵こちらの話を聞かない。
「古いものなので、あまり乱暴に扱わないでくださいね。また何かあったら――」
そこまで言って、リゼットは止まった。
また何かあったら。
自分で言った言葉が、妙に耳に残る。
マルタは気づかなかったようで、室内灯を抱え直した。
「分かったわ。大事に扱う。じゃあね」
「はい」
マルタは軽い足取りで店を出ていった。
入口のベルが、見送るようにちりんと鳴った。
——翌朝、いつもの時間に店へ着いたリゼットは、入口の脇に籠が置かれているのを見つけた。
「……何これ」
中には焼きたてらしいパンが一斤と、瓶に入った苺のジャム、それにレースのついた小さなハンカチ。
その上に、小さな紙が載っている。
『室内灯のお礼。ちゃんと食べなさい。 マルタ』
リゼットはしばらく、その紙を見つめた。
「……いらないって言ったのに」
「何が?」
店の中からユアンが顔を出した。
「ああ」
籠を見るなり、納得したように頷く。
「やっぱり持ってきたんだ」
「分かってたなら止めてくださいよ」
「僕にマルタさんを止められると思う?」
「……思いません」
「でしょ?」
ユアンが籠を覗き込む。
「美味しそう」
「私宛です」
「店の前に置いてあったなら、店宛てかもしれない」
「紙に室内灯のお礼って書いてあります」
「じゃあ半分でいいよ」
「ユアンはちゃんと部品代もらったでしょう」
そう言いながら籠を持ち上げると、パンはまだ少しだけ温かかった。その温度を掌に感じながら、ここ数日のことを思い出す。
青い鳥が飛んだときの、ミナの笑顔。
静かになった冷却箱。
そして、灯りを見ながら「この色、この色」と笑ったマルタ。
どれも大したことではない。
昔の自分なら、仕事と呼ぶことさえしなかったかもしれない、ほんの小さな修理ばかりだ。それでも、誰かが喜んだ。そのために自分の手が役に立った。
「リゼット?」
「何ですか」
「パン、そこで全部食べる気?」
「食べませんよ」
「じゃあ半分――」
「まだ言ってるんですか」
籠を抱えて店の中へ入る。
少しだけ、嬉しかった。
昨日までは、その気持ちさえどこか怖かった。
けれど今日は、そのくらいなら別にいいかと思えた。




