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王都から逃げた元結界技師は辺境で聖女の技術を解明する  作者: 水瀬める


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第22話 祈りの石


翌朝、リゼットが店へ入ると、作業台の上にまとめておいた記録の横へ、小さな麻袋が置かれていた。

「……増えてる」


カウンターからユアンが顔を上げる。

「ああ、銀葉。トーマからもらってきた」

「いつの間に」


袋を開けると、乾燥した銀色の葉がさらさらと音を立てた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


リゼットは一枚取り出し、光に透かした。この何でもない葉が以前とは違って見える。


「朝から楽しそうねえ」

突然声がして、リゼットは顔を上げた。いつの間にかマルタが店へ入ってきていた。


「おはようございます」

「おはよう。何してるの?」

「ルシェラの葉を調べてるんです」

「あら、葉っぱ?」


マルタが作業台を覗き込む。


「祭りで飾ってたやつよね?」

「そうです」

「そんなの調べて何になるの?」

「それがまだ分からないんです」

「分からないのに調べてるの?」


後ろでユアンが笑った。

「僕も同じこと聞いた」


マルタは作業台に置かれた、祭りの飾りの残りへ目を留めた。

「そういえば、祭りは楽しめた?」

「はい。ユアンに色々案内してもらって。丘にも行きました」

「ああ、聖女様の石も見たのね」

「子どもたちが遊んでました」

「昔からそうよ。私が小さい頃にも、あそこで遊んだわ」

マルタは懐かしそうに笑った。

 

「あの石、変な筋が入ってるでしょう」

「筋?」

「傷みたいなの。子どもの頃は、聖女様が祈りすぎてできたんだって本気で思ってたけど」

「祈りすぎて石に傷はつかないでしょう」

「子どもなんだからいいのよ」


笑うマルタの前で、リゼットは丘で見た石を思い浮かべた。あの日は、表面までじっくり見ていない。ユアンがその顔を覗き込む。


「気になる?」

「……ちょっと」

「ちょっとの顔じゃないけど」

 

「気になるなら行ってみればいいじゃない」

マルタがあっさり言った。

「石なら逃げないわよ」


リゼットが丘の方角を思い浮かべていると、ユアンが帳簿を閉じた。


「今日、少し早めに店閉めようか」

「え?」

「暗くなる前に見たいでしょ? 僕、あの辺りは詳しいし」

「……一緒に行ってくれるんですか?」

「うん。僕も、ちゃんと見たことはなかったから」


ユアンは何でもないことのように言った。


「それに、夜は暗いしね」

「店が終わっても、まだ明るいと思いますけど……」

「どうせ調べ始めたら暗くなるでしょ」


反論できなかった。


◇

 

昼前には、アーヴィンもやって来た。


「おはよう」

「もうすぐお昼ですよ」

「細かいな」

「記録は片づいたか?」

「挨拶の次がそれですか」


アーヴィンは気にせず作業台へ近づき、昨日までの記録へ目を通した。本当に変わらない。リゼットは、呆れながらも、朝マルタから聞いた話を説明した。聖女が祈ったとされる丘の石に、変わった筋が刻まれているということ。話しているうちに、アーヴィンの表情が変わる。

昨日も見た、仕事の顔だった。


「見に行くのか」

「そのつもりです」

「俺も行く」

「そう言うと思いました」

「じゃあ三人だね」


ユアンが帳簿を閉じながら言った。

「今日は昼過ぎで閉めるから、それまで待ってて」


アーヴィンがユアンを見る。

「あなたも?」

「案内役。あの辺りなら、僕が一番詳しいから」

「……助かる」

「どういたしまして」


それからアーヴィンはしばらく店の奥で記録を読み、ユアンは普段通り客の相手をし、リゼットも修理の続きを片づけた。けれど時計を見る回数だけは、いつもより少し多かった。


◇

 

昼過ぎ。


店内にいた最後の客を見送ると、ユアンは店先の札を裏返した。


「はい。今日はここまで」

「本当に閉めるんですね」

「もちろん」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


リゼットが道具鞄を肩へ掛ける。中には紙と鉛筆、簡単な測定器、それから必要最低限の試験道具だけを入れた。


「それ貸して」

すぐにユアンの手が伸びる。


「大丈夫です」

「重いでしょ」

「重くないです」

「貸して」

「自分で持てます」


言い合っている間に、鞄を取られた。


「ちょっと」

「はい」

「はい、じゃないです」


取り返そうとすると、ユアンが少し高く持ち上げる。届かない。


「子どもですか!」

「返したらリゼットが持つから」

「私の鞄です!」


後ろから小さな笑い声が聞こえた。振り返る。アーヴィンだった。


「何笑ってるんですか」

「いや。お前、昔は人に荷物なんか持たせなかったなと思って」

「今も持たせてません。勝手に持たれてるんです!」


三人の声が、丘へ続く道に響いた。少し登ると、町が眼下に見え始めた。青花祭の灯りはもうない。代わりに、畑に残ったルシェラの青が午後の光の中へところどころ浮かんでいる。


「ここ」

ユアンが足を止めた。広い草地。その中央に、平たい大きな石があった。祭りの日にも見た。子どもたちが上に乗って遊んでいた石。


『聖女様が祈った石』


あのときは、ただの昔話だと思っていた。リゼットは石の前へしゃがみ、表面に積もった土を布でそっと払った。灰色に、ごく淡い緑が混じっている。指先で触れると、驚くほど滑らかだった。古い石なのに、午後の光を薄く返している。


「……周りの岩と、違いますね」

 

隣にしゃがんだアーヴィンも頷いた。

「加工してある」


中央には丸い窪みが一つ。その窪みへ向かって、石の端から一本の浅い溝が伸びていた。その周囲に、髪の毛ほどの細い線が走っている。


「これが、マルタさんの言ってた筋でしょうか」

布を動かすと、枝分かれしては合流する刻線が少しずつ現れた。


「自然についた傷じゃないな」

「……魔力回路に似てませんか」

「ああ」


ユアンが二人の間から覗き込む。

「魔道具ってこと?」

「まだ分かりません。でも、ただの模様には見えないです」


リゼットは紙を取り出した。窪みの位置と、そこへ伸びる浅い溝。細い刻線は、それとは区別して写していく。風で紙の端が浮くと、ユアンが黙って押さえてくれた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


見慣れた魔道具とは違う。それでも、線を一本ずつ追ううちに、誰かが意図を持ってここへ刻んだのだという感覚が強くなった。聖女が祈った石。そう呼ばれてきたものを、リゼットはもう一度見渡した。


「……これ、祈るためだけの石じゃないかもしれません」


アーヴィンも否定しなかった。

「調べる価値はあるな」

「はい」

「王都でも、この石に似た記録がないか当たってみる」


リゼットが顔を上げる。

「残ってますかね」

「分からない。だから探す」


その答えに、昔を思い出す。リゼットが構造を見て、アーヴィンが資料や記録を探す。そうやって、何度も仕事をした。

 

「……助かります」


素直に言うと、アーヴィンが少しだけ目を見開いた。

「何ですか」

「いや、お前、そんな素直だったかと思って」

「やっぱり今のなしで」

「遅い」


アーヴィンが笑った。気づけば、傾き始めた日が草地を長く照らしていた。


「ほら」

ユアンが言う。

 

「そろそろ帰らないと暗くなるよ」

「もう少しだけ」

「明日も石は逃げないって、マルタさん言ってたでしょ」

「でも――」

 

「暗い中で写して間違えたら意味ないぞ」

アーヴィンまで言う。正論だった。


「……分かりました」

道具を片づける。またユアンが鞄を持った。


◇

 

帰り道。


アーヴィンは、宿へ続く分かれ道で足を止める。


「じゃあ明日な」

「明日も来るんですか」

「当たり前だろ」


アーヴィンが笑い、宿の方へ歩いていった。二人になる。リゼットとユアンは、いつもの道を並んで歩いた。しばらくして、ユアンが言った。


「楽しかった?」

「はい」

「あの石が何なのか、まだ全然分からないですけど」

「うん」

「分からないことが増えました」

「普通、それ嫌じゃない?」

「でも、分からないから調べたいんです」

「そっか」


ユアンが笑う。

「じゃあ、よかった」


歩きながら、リゼットは横目でユアンを見る。

「……ユアン」

「何?」

「今日、ありがとうございました」

「鞄?」

「それもですけど」


この町の祭りも、青い花も、銀の葉も。ユアンの店で過ごしてきた、この二年間がなければ知ることはなかった。


「私」

言ってから、少し迷う。

「アーヴィンが来てから、昔のことをいっぱい思い出してます」


ユアンは黙って聞いている。


「嫌なことも」

「うん」

「でも……嫌なことだけじゃなかったんだなって、少し思いました」


学院で魔道具を作り、くだらないことで言い合い、それでも夢中で図面を引いていた頃。結界を作ることそのものが好きだった頃。


「そっか」

ユアンはそれだけ言った。いつものようになんでもないような口調で。


「しんどくなったら言ってね」

「え?」

「レイフォードさんといるのが嫌とかじゃなくて」

ユアンは少し笑った。


「昔のこと思い出すのが」

「……はい」

「そのときは店に戻ろう」


リゼットが目を瞬く。


「店に?」

「うん」


ユアンは前を向いたまま言った。


「リゼットの場所、あそこだから」


胸の奥が、ゆっくり温かくなった。昔を知っている人が来て、昔の自分まで少しずつ戻ってくる。それでも、帰る場所として思い浮かぶのは、王都ではなかった。


「……はい」

リゼットは小さく答えた。

「そうします」



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