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王都から逃げた元結界技師は辺境で聖女の技術を解明する  作者: 水瀬める


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20/39

第20話 新たな日常


翌朝。


リゼットは店へ向かう途中で、昨日のことを何度も思い返していた。


アーヴィンが来た。

雪景球一つを手がかりに、王都から一泊二日かけて。

しかも数日はいると言った。


「……数日」

改めて口にすると、やっぱり落ち着かない。

この二年、自分の今と昔はきれいに離れていた。王都も、学院も、結界も、ずっと遠い場所に置いてきたはずだった。


そこへ突然、アーヴィンが歩いてきて、何の断りもなく今の自分の前に立っている。昔とほとんど変わらない顔で。


『お前かもしれないと思ったからな』

思い出して、リゼットは少しだけ歩調を速めた。


「……何なんですか、もう」

誰にともなく呟き、店の扉を開ける。

ベルが鳴った。


「おはようござい――」

途中で止まった。


「おはよう」

ユアンがいつものカウンターの内側から言う。

 

その向かいでは、アーヴィンが普通に茶を飲んでいた。


「……なんでいるんですか」


アーヴィンが眉を寄せる。

「昨日、明日も来ると言っただろう」

「朝からとは聞いてません」

「店が開いてた」

「僕が開けたからね」

ユアンが何でもないように補足する。


「入れたんですか?」

「客でしょ?」

「……客ですけど」

「じゃあ入れるでしょ」


正論だった。

リゼットは上着を脱ぎながら、二人を見比べる。


「何話してたんですか」

「特に何も」

ユアンが答え、アーヴィンも頷いた。

「茶をもらってただけだ」


本当だろうか。

昨日まで互いの名前すら知らなかった二人が、朝から向かい合って茶を飲んでいる光景が妙に落ち着かない。


「それより」

アーヴィンがカップを置いた。


「昨日の銀葉、続きやるんだろ」

「朝一番でそれですか。休暇中ですよね?」

「ああ」

「休む気あります?」

「これが休暇だ」

「そういうところ、昔から変わりませんね」

「お前に言われたくない」


ユアンが笑った。

「そこは似てると思う」

「似てません」

そう言って、リゼットは作業台へ向かった。

昨日までに、銀葉が長い経路で魔力の流れを安定させ、方向を整えることまでは確かめている。今日知りたいのは、その性質が乾燥しても残るかどうかだった。


アーヴィンが隣へ来る。

リゼットが何も言わず記録紙を差し出すと、彼も当然のように受け取った。


「乾燥葉はこれか」

「はい。条件は揃えてあります」

「ちゃんとやったな」

「誰のせいだと思ってるんですか」

「俺のおかげか」

「そういう意味じゃありません」

 

リゼットは呆れながらも、少しだけ笑った。

二人で数値を見比べる。乾燥前と乾燥後で、大きな差はなかった。銀葉の性質は、乾燥させてもほとんど失われていないらしい。


「なら保存もできるな」

「はい。これなら必要なときに使えます」

記録を書き足していると、アーヴィンが銀葉を持ち上げた。

「ルシェラの実物は、この辺りにあるのか」

「ありますよ。町の外れに畑があります」

「俺は加工されたものしか見たことがない」

リゼットが顔を上げる。

「見に行きます?」

「いいのか」

「トーマさんのところなら、多分。あ、でも店が」


カウンターからユアンが口を挟んだ。

「行ってきたら?」


二人が振り返る。

「店は、僕がいるから大丈夫」

「……じゃあ、少しだけ」

「うん」

「昼までには戻ります」

「じゃあお昼用意しとくね」

当たり前のように言われて、リゼットも自然に頷いた。

「お願いします」

 

上着を取る。

当然のようにアーヴィンも立ち上がった。


二人で店を出ようとすると、背中からユアンの声が飛んできた。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

答えて外へ出た。


◇

 

しばらく歩いてから、アーヴィンが言う。

「毎日ああなのか」

「何がですか」

「飯」


リゼットが顔を向ける。

「店で一緒に食べることは多いですよ」

「用意するのもあいつが?」

「ユアン、料理するので」

「ふうん」

「何ですか」

「別に」

「言いたいことがあるなら言ってください」

「昔のお前なら、昼飯そのものを忘れてたなと思っただけだ」


「……」

否定できない。


王都にいた頃は、作業を始めると食事も水も忘れた。あとで誰かに怒られて、ようやく気づくことも珍しくなかった。


「今は食べてます。ちゃんと」

「ああ。見れば分かる」


リゼットが眉を寄せる。

「何でですか」

アーヴィンは前を向いたまま言った。

「前より顔色がいい」

「……」

「だから、ちゃんと食ってるんだろ」


リゼットは少し黙った。

「……最初は」

「ん?」

「食べてなかったみたいです」

「みたい?」


リゼットは足元へ視線を落とす。

「私、この町に来た頃のこと、あんまり覚えてなくて」


眠って、起きて。

食べたかどうかも曖昧な日があった。

店へ来ても何もせず、ただ座って帰った日もある。

気づけば何か食べるものが置かれていた。

マルタが持ってきたものだったり。

ダリオの林檎だったり。

エダの焼き菓子だったり。

ユアンが作ったものだったり。


「でも、この町の人、勝手に食べ物くれるんですよ」

リゼットが言うと、アーヴィンがこちらを見る。


「勝手に?」

「余ったとか、傷物だとか、作りすぎただとか言って」

「それ、本当に全部そうだったのか?」

「……最近は違う気もしてます」


アーヴィンが小さく笑った。

「随分好かれてるな」

「そうですか?」

「昨日見れば分かる」


言われると、少し照れくさい。

「……もう二年いますから」

「二年、か」

「何ですか」

「長いなと思っただけだ」


リゼットも少しだけ考えた。

この町で働いて、暮らして。

いつの間にか、知っている顔の方が増えた。

二年は、確かに短くなかった。


町の外れへ着くと、トーマがちょうど荷を運んでいた。

「おう、リゼット」

「こんにちは」

「なんだ、もう葉っぱ足りなくなったか?」

「今日は違います。この人がルシェラの実物を見たことがないそうなので」

「そっちの兄ちゃんか」

「アーヴィンです」

「王都から来たんだって?」


リゼットが振り返った。

「なんで知ってるんですか」


トーマは何を今さらという顔をする。

「昨日のうちにマルタが知ってたぞ」

「早すぎません?」

「この町だぞ?」

それで説明がついてしまう。

横でアーヴィンが笑った。


畑の脇には、収穫を終えたルシェラがまだ少しだけ残っていた。

青い花。細い銀の葉。


アーヴィンが足を止める。

「これがルシェラか」


トーマが茎ごと一本切って渡してくれる。


アーヴィンはしばらく、青い花とそこから伸びる細い銀葉を眺めていた。その隣で、リゼットの目は自然と銀葉へ向く。

「綺麗ですね」


アーヴィンが聞いた。

「葉が?」

「はい」

「花じゃなく?」

「花も綺麗ですけど。こっちも」


アーヴィンが少し黙る。

「……何ですか」

「昔から変わってないと思っただけだ」

「またですか」

「人があまり見ないところばっかり見る」

「悪いですか」

「悪いとは言ってない」


アーヴィンは少し笑った。

「お前らしい」

「…………」


リゼットは銀葉へ目を戻した。

なぜか、胸の奥が少しだけざわつく。


アーヴィンの言葉は、忘れていた昔の自分を勝手に連れてくる。

それが少し怖くて。

少しだけ、嬉しかった。


◇


店へ戻ったのは昼を少し過ぎた頃だった。

ベルを鳴らして入る。


「ただいま」

「おかえり」


ユアンが顔を上げる。

カウンターには皿が並んでいた。


三人分。


「……三つ?」

「一人だけ食べさせないのも変でしょ」


ユアンがアーヴィンを見る。

「食べます?」

「いいのか」

「もちろん」

「ありがとう」


あまりにも普通に話が進み、リゼットだけが妙に落ち着かない。


三人で昼食。

昨日までは想像もしなかった光景だった。


「リゼット」

ユアンが言う。


「何ですか」

「パン取って」


渡すと、ユアンの視線がそのままリゼットの皿へ落ちた。

「それだけ?」

「十分です」

「少ない」

「朝食べました」

「もう一個」


当然のようにパンを追加される。

「食べるでしょ」

「……食べますけど」

「じゃあどうぞ」


仕方なく受け取ると、向かい側が妙に静かだった。

顔を上げると、アーヴィンがこちらを見ていた。


「何ですか」

「いや……本当に食わせてもらってるんだなと思って」

「言い方!」


ユアンが笑った。

「放っておくと減らすから」

「減らしてません」

「昨日の昼も半分残した」

「作業してたからです!」

「ほら」

「ほらじゃないです」


アーヴィンが俯いた。

肩が少し揺れている。


「笑ってます?」

「笑ってない」

「絶対笑ってるでしょう」


顔を上げたアーヴィンの口元は、どう見ても笑っていた。

最悪だ。

けれど、リゼットも少しだけ笑った。


◇

 

午後になると店が混み始めた。


リゼットは客に呼ばれれば作業台を離れ、ユアンはいつも通り店を回す。アーヴィンは記録を整理しながら、ときどき二人のやり取りを眺めていた。


妙な光景だった。

昔と今が、同じ店の中に並んでいる。

それでも、時間は不思議なくらい普通に流れていった。


◇

 

夕方にはマルタまでやって来た。


「あら」

店内のアーヴィンを見つけた途端、目を輝かせる。

「あなたが王都から来たっていう人?」

「……マルタさんが町に広めてたんですよね?」

「人聞き悪いわね。聞かれたから答えただけよ」

 

リゼットが額を押さえた。

「アーヴィン・レイフォードです」

「まあ、ご丁寧に。マルタよ」


二人が挨拶を交わす間に、マルタの視線がアーヴィン、リゼット、ユアンの順番に動く。嫌な予感しかしない。


「なるほどねえ」

「何がですか」

「リゼットの昔のお友達?」

「友達というか、学院の同期です」

「そのあとも同じところで働いてました」

「アーヴィン、余計な情報を足さないでください」

「事実だろ」

「そうだけど」


マルタが楽しそうに笑った。

「昔もこんな感じだったの?」

「だいたい」

「アーヴィン!」

「よかったわねえ、リゼット」

「何がですか」

「なんでも」


買い物をすませ、機嫌よく帰っていくマルタを見送り、リゼットは小さく息を吐いた。


◇


閉店後。


リゼットが上着を取ると、アーヴィンも立ち上がった。


「俺は宿へ戻る」

「あ、はい」

「明日も来る」


昨日と同じことを言う。


「宣言しなくてもいいです」

「嫌なら来ないが」

「……」


言葉に詰まった。

嫌かと聞かれれば、そうではない。

 

その沈黙だけで十分だったらしい。

アーヴィンが少し笑う。


「じゃあ明日」

「……はい」


扉へ向かう途中で、ユアンが声をかけた。

「レイフォードさん」

アーヴィンが振り返る。

 

「宿、中央広場のところ?」

「ああ」

「なら途中まで一緒だね」

「?」


ユアンは自分の上着を取った。


「リゼット送るから」


一瞬、静かになった。

リゼットが先に反応する。


「送らなくていいって毎日言ってるんですけど」

「毎日送ってるけどね」

「それは言わなくていいです」


アーヴィンがリゼットを見る。


「毎日?」

「うん」

答えたのはユアンだった。


「家、遠いのか」

「徒歩五分くらい」

「近いな」

 

「でも送る」

ユアンが、ごく普通に言う。

アーヴィンが一度だけ彼を見る。


「そうか」

それだけだった。


けれど、リゼットにはなぜか妙に落ち着かない一言だった。


「ほら、行きますよ」

先に扉を開ける。


夜道を三人で歩く。


最初は真ん中にいたリゼットだったが、道が少し広くなると、自然にユアンが片側、アーヴィンが反対側へ並んだ。

何だ、この状況。

考えると余計に意識してしまうので、考えないことにした。


やがて、広場へ続く角へ着く。

アーヴィンの宿は右。

リゼットの家はまっすぐ。


「じゃあ、また明日」

アーヴィンが足を止める。


「はい」

「リゼット」

 

呼ばれて顔を上げる。

アーヴィンは何か言いかけて、一瞬だけ黙った。


「……いや」

「何ですか」

「明日でいい」

「またそれですか」

「おやすみ、リゼット」

「……おやすみなさい」


アーヴィンは広場の方へ歩いていった。

二人になる。

さっきまで騒がしかったのに、急に静かになった。

ユアンは何も言わず、いつもの歩幅で隣を歩いている。

なんとなく、リゼットは隣を見られなかった。


「……何ですか」

「何も言ってないよ」

「言いそうだったので」

「僕、そんなに分かりやすい?」

「最近ちょっと」

「そっか」


少し笑う声を聞くと、なぜかほっとした。

家の前へ着く。


「じゃあ、おやすみ」

リゼットが扉へ向かおうとすると、ユアンに呼び止められた。


「リゼット」

「はい?」


振り返る。


ユアンはいつもの笑顔ではなく、穏やかで少しだけ真面目な顔をしていた。


「昔のリゼットって、どんなだった?」


思っていなかった質問だった。


「どんなって……そんなに変わりませんよ」

「そう?」

「たぶん」


仕事ばかりで。

魔道具ばかりで。

今よりずっと、自分の腕を信じていた。

何でも作れると思っていたし。

守れるとも思っていた。


「今日見てたら」

ユアンが少し笑う。

「僕の知らないリゼットが、いっぱい出てきたから」


胸の奥が、小さく揺れる。

 

「……そんなに違いませんよ」

「違うっていうより」


ユアンは少し考えた。


「楽しそうだった」


リゼットが顔を上げる。


「レイフォードさんと魔道具の話してるとき」

「……」


胸がざわつく。


「昔から、あんな感じだったんでしょ?」

「まあ……そうですね」

「そっか」


ユアンは笑った。

穏やかに。


「よかった」

「何がですか」

「昔の話してるリゼットが、そんなに嫌そうじゃなかったから」


言葉が出なかった。

ユアンは何も知らない。

何があったのかも。

どうして王都を出たのかも。

それなのに、聞いてほしくないところには踏み込まず、こういうところだけ妙に察する。


「じゃあ、おやすみ」

「……はい」


ユアンが数歩離れる。

その背中を見て。


「ユアン」


気づけば呼んでいた。

ユアンが振り返る。


「何?」


何を言いたかったのか、自分でも分からない。

ただ、もう少しだけここにいてほしいと、一瞬思った。


「……」

言葉が出てこない。

ユアンは急かさず、そこに立っている。

「……何でもないです」

「そっか」

ユアンが、ふっと笑った。

 

「じゃあ、おやすみ。リゼット」

「……おやすみなさい」

リゼットは、ユアンが角を曲がるまで、その背中を見ていた。


◇

 

少し離れた角で、アーヴィンは足を止めた。

店へ忘れ物をしたことに気づき、戻ろうとしただけだった。

声までは聞こえない。


けれど、家の前でリゼットがユアンを呼び止めるのが見えた。

ユアンが振り返る。

何かを話して、リゼットが少しだけ笑う。


アーヴィンはしばらくその光景を見ていた。

やがて踵を返す。

忘れ物は、明日でいい。


「……二年は、長いな」


小さく呟いて、宿へ向かった。



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