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王都から逃げた元結界技師は辺境で聖女の技術を解明する  作者: 水瀬める


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19/36

第19話 学院時代


「久しぶりだな、リゼット」

約二年ぶりに、アーヴィンは彼女の前に立っていた。


リゼットは、すぐには何も言えなかった。

学院の頃から何度も見た、深い藍色の髪。少し冷たく見える目元も、人の図面を見るとすぐに眉を寄せる癖も、ほとんど変わっていない。

ただ、そこにいることだけが現実味を欠いていた。


「……なんで」

 

ようやく出た声に、アーヴィンが片眉を上げる。

「第一声がそれか?」

「だって、なんでここにいるの」

「来たから」

「見れば分かります」


反射的に返すと、アーヴィンの目がわずかに細くなった。

「変わってないな」

「…………」


少し腹が立つ。

約二年ぶりだというのに、なぜこの男は驚くほど平然としているのか。


自分だけが声も出なくなったみたいで、なんとなく悔しい。

「そっちこそ、相変わらずですね」

「何が」

「そういうところです」

「分からん」

「分からなくていいです」


そこで、ふと店内が静かなことに気づいた。

リゼットはゆっくり横を見る。


作業台の向こうで、ユアンがこちらを見ていた。


目が合う。

ユアンがにこりと笑った。

 

「仲いいね」

「よくありません」

リゼットが即答する。


すると、隣でアーヴィンがわずかに眉を上げた。

「学院からの付き合いだろ」

「付き合いが長いことと、仲がいいことは別です」

「俺はそこまで悪くなかったと思ってるが」

「…………」


リゼットが言葉に詰まる。

ユアンの笑みが少し深くなった。

「へえ」

「何ですか」

「いや。仲いいんだなと思って」

「だから違います!」

ユアンが楽しそうに笑う。

 

「とりあえず、入口で話すなら扉閉めようか。寒いし」

「あ」


そういえば開けっぱなしだった。

リゼットは慌てて入口へ向かい、扉を閉める。ちりん、とベルが鳴り、その音でようやく少しだけ現実へ戻った。


本当に、アーヴィンがここにいる。

振り返ると、彼は店内を見回していた。


日用品が並ぶ棚。壁に掛けられた鍋や道具。店の奥の作業台と、その脇に置かれた三段の棚。魔力線や起動石、小さな部品。

そして、そこに立っているリゼット。


「……本当にここで働いてるんだな」


胸の奥が、ほんの少しだけ強張った。

「悪いですか」

「悪いとは言ってない」


アーヴィンはもう一度店を見回し、それからリゼットへ視線を戻した。

「……悪くないと思っただけだ」

「何がですか」


少し間があった。

「ここにいるお前が」


思っていなかった答えに、リゼットは一瞬言葉を失った。

アーヴィンは、やはり平然としている。

それがまた少し腹立たしくて、リゼットは腕を組んだ。

 

「それで。どうしてここが分かったんですか」

「お前が作った雪景球を見た」

「……え?」

「王都で」

 

頭に浮かんだのは、数日前に雪景球を買っていった母娘だった。

『王都へ戻っても、大切にしますね』


「……なんで」

「同僚の娘のものだった」

「そんな偶然あります?」

「俺もそう思った」

アーヴィンの口元がわずかに動く。

 

「最初はただの雪景球だと思った」

「ただの雪景球ですけど」

「玩具に三系統入れる人間が何人いる」

「……」

「流れと光と封じを分けて、しかも雪まで降らせてる」

アーヴィンはリゼットを見た。

 

「見覚えがありすぎた」


昔の記憶が、一瞬で蘇った。

学院の机と、その上に置いた小さな密閉容器。

『玩具一つに三重結界?』

呆れた声まで、妙にはっきり覚えていた。


「……覚えてたんですか」

思わず聞くと、アーヴィンの眉が寄る。

「忘れると思うか?」

「昔の課題でしょう」

「七日保てばいい課題を、勝手に八日目以降まで考えて、必要もない雪まで降らせたやつだぞ」

「必要でした」

「課題には書いてなかった」

「でも綺麗だったでしょう」


口にしてから、二人とも止まった。

ほんの一瞬だけ。

学院の机を挟んで話していた頃へ戻ったような気がした。

アーヴィンが、ふっと笑う。

「……それも変わってないな」

 

その顔を見たら、なぜか今度は腹が立たなかった。

むしろ、少しだけ懐かしい。


けれど。

それでも一つ、まだ分からない。


「……それで」

「何だ」

「雪景球一つで、わざわざ王都からここまで来たんですか」

「ああ」

 

あまりにも普通に返された。

「それだけで?」

アーヴィンは、何を当たり前のことを聞くのかという顔をした。


「お前かもしれないと思ったからな」

「……それで来たんですか」

「ああ」

「二日もかけて?」

「ああ」

「……変なの」

「そうか」

「そうです」


アーヴィンは何でもないように頷いた。

「俺は行くけどな」


胸の奥が、変な鳴り方をした。

リゼットは少しだけ視線を逸らした。


「……なるほど」

ユアンの声で、我に返る。


ずっといた。

当たり前なのに、忘れていた。

ユアンは作業台にもたれながら、アーヴィンを見ている。口元はいつもの笑みなのに、目だけが少し違う気がした。


「昔の知り合いなんだ?」

「学院の同期です」

リゼットが答える。


「その後も仕事で一緒だった」

アーヴィンが付け足した。


「そこまで言わなくても」

「事実だろ」

「そうですけど」


ユアンが小さく頷く。

「へえ」


それだけなのに、なんとなく落ち着かない。

今度はアーヴィンがユアンを見る。

「そちらは?」


リゼットが口を開くより早く、ユアンが笑った。

「ユアンです。この店の店主」

「アーヴィン・レイフォード」

「知ってます。さっきリゼットが呼んでたから」

ユアンが差し出した手を、アーヴィンが握る。


「リゼットがお世話になってます」

「ちょっと待ってください」

すぐに割って入った。

「なんでユアンがそれ言うんですか」

「店主だから?」

「絶対違うでしょう」

「じゃあ何ならいい?」

「何も言わなくていいです」


アーヴィンの視線が、二人の間を静かに行き来した。

「……随分、馴染んでるな」


その一言に、なぜか少しだけ身構える。

「もう二年近いですから」


アーヴィンが黙った。

 

自分がここで過ごした時間を、彼は知らない。

当然だ。


「そうか」

彼は、それ以上何も言わなかった。


ユアンが奥から椅子を一つ出してくる。

「まあ、立ち話もなんだし。座ります?」

「いいのか」

「客だからね」

「客扱いするんですか」


リゼットが言うと、ユアンが首を傾げた。

「違うの?」

「……客ですけど」

「じゃあいいじゃん」


アーヴィンは椅子へ腰掛けると、すぐに作業台へ目を向けた。


「で」

 

嫌な予感がした。

 

「今は何を試してる」

「……何でもいいでしょう」

「銀の葉?」

「見れば分かるでしょう」

「何に使う」

「それを調べてるところです」

「性質は?」

「昨日、だいたい分かりました」


アーヴィンの視線が銀葉へ落ちる。


「ルシェラの葉だな?花は魔道具や術式の効果を強める性質があるが……」

「そうです。これ、ルシェラの銀葉は、長い経路で魔力の流れを安定させるみたいです。それと、方向を整える」

 

アーヴィンの目が変わる。

技術の話になったときだけする、よく知っている顔だった。

「再現は?」

「今朝しました。条件を変えても同じです」

「短い経路は?」

「ほとんど差が出ませんでした」

「なるほど」


アーヴィンは銀葉を見る。

「乾燥させたものは?」

「まだです」

「なら次はそこだな」

「……今やろうと思ってました」

「そうか」


たったそれだけのやり取りなのに、昔の仕事場で隣の机に座っていた頃の感覚が、あまりにも自然に戻ってくる。


それが少し怖くて。

同時に、少しだけ嬉しかった。

なぜだか頬が緩みそうになって、慌てて眉をひそめる。


それからしばらく、アーヴィンは店にいた。

客が来れば店の隅へ下がり、リゼットが対応している間は、何も言わずその様子を眺めている。


子どもが壊れた玩具を持ってくれば、「また落としたでしょう」と言いながら直す。エダが温熱器のお礼を言いに来れば、「もう何も持ってこなくていいですから」と念を押し、ダリオが顔を出せば、林檎を腐らせていないかと確認される。


そんな町の人たちとのやり取りを、アーヴィンはずっと見ていた。その視線が気にはなった。

何を考えているのか、昔から分かりにくい男だ。

けれど、不思議と責められているようには感じなかった。


やがて客足が途切れた頃だった。


「リゼット」

「何ですか」

「少し、外で話せるか」


胸の奥が強張る。

来た。

今までは、昔の知り合いがふらりと店へ来ただけのように話していた。けれど、本当に聞きたいのは、別のことだ。


「……はい」

上着を取る。


そのとき、ユアンが言った。

「暗くなる前に戻ってきてね」


リゼットが振り返る。

「子どもじゃないんですけど」

「知ってる」

「じゃあ」

「一緒に帰るでしょ?」


あまりにも自然な口調だった。

最近は毎晩そうしている。

だから、いつもなら何もおかしくないのに、今この場で言われると妙に意味があるように聞こえた。


「……はい」


ユアンが笑う。

「うん。待ってる」


その言葉を聞くと、不思議と少しだけ肩の力が抜けた。


◇


店を出ると、外はもう薄暗かった。祭りの飾りはほとんど片づけられているが、ところどころ軒先にまだ青い花が残っている。


しばらく、二人とも何も言わなかった。


昔なら、沈黙なんて気にならなかった。会えば仕事の話をして、図面を広げて、違うと思えばその場で言い合って、それで終わりだった。今は、何を話せばいいのか少しだけ分からない。


風が吹き、髪が一筋頬へかかる。

リゼットが手を上げるより先に、視界の端でアーヴィンの手が動いた。


こちらへ伸びかけて。

止まる。


「……?」


リゼットが見ると、アーヴィンはその手を下ろした。


「髪」

「髪?」

「顔にかかってる」


リゼットは自分で髪を耳へかける。

アーヴィンは一度だけリゼットを見た。


「今のお前との距離が、まだ分からない」

 

思いがけない言葉だった。

リゼットは何も言えなくなる。

アーヴィンは、もうこちらを見ていなかった。


「……元気そうだな」

少し前を向いたまま言う。


「……元気ですよ」

「そうか」


短い返事のあと、わずかに間が空いた。

「よかった」

 

胸の奥が、また妙な鳴り方をした。

さっきから何なのだろう。

二年ぶりに現れて。

平然としているくせに。

たまに、こういうことだけ言う。

けれど、さっきまでよりはずっと静かな気持ちで、リゼットは隣を歩いた。


しばらくしてから、口を開く。

「あの」

「何だ」

「王都に戻れとか、言いに来たんじゃないんですか」

 

「違う」

即答だった。

 

リゼットが瞬く。

「……違うんですか」

「なんで俺がお前の住む場所を決める」

「でも」

「仕事へ戻れとも言わない」


思わず足が止まりかけた。

アーヴィンも数歩先で立ち止まり、振り返る。


「じゃあ、何を聞きたかったんですか」


彼は少しだけ黙った。

それから。

「今、楽しいか」

「……え?」

「ここで」


まったく想像していなかった。

リゼットは思わず店の方を振り返る。


窓から灯りが漏れている。

その向こうにはユアンがいて、自分の作業台があって、三段目まで少しずつ物が増えてきた棚がある。

 

温熱器を作った。

雪を降らせた。

銀葉を調べている。


町の人たちは壊れたものを持ってきて、時々まだ存在しないものまで欲しがる。


楽しい。

そう口にするのは、まだほんの少しだけ怖い。

それでも。


「……たぶん」

リゼットは答えた。

「楽しいです」


アーヴィンは黙って聞いていた。

そして、少しだけ笑った。

「そうか」


その顔を見て、リゼットはふと思う。

昔、この人はこんな顔をしていただろうか。

分からない。

もしかすると、自分が見ていなかっただけなのかもしれない。


「今日はそれでいい」

「今日は?」

「宿を取った」


リゼットは瞬いた。

「明日も来るんですか?」

「休暇は取ってある。数日はこっちにいる。嫌か?」

「そういう聞き方、ずるいです」

「……」

「銀葉の続きが気になる」

「結局それですか」


アーヴィンは少しだけ笑った。

「それもある」

「……それも?」

「戻るか」

「ちょっと」


アーヴィンはそれ以上答えず、店の方へ歩き出した。


◇


二人で店へ戻り、リゼットが扉を開ける。

ちりん、とベルが鳴る。

「ただいま」

何の意識もなく口から出た言葉に驚き、リゼットは止まった。

 

カウンターの奥で、ユアンが顔を上げる。

「おかえり」

いつもの声で笑う。

それを聞いた瞬間、張っていたものがふっとほどける。

 

ユアンの視線が、リゼットの後ろにいるアーヴィンへ一瞬移る。

「お話、終わった?」

「はい」

「そっか」

それから再びリゼットを見る。

「帰ろっか」


いつもと同じ。

それだけだった。


「……はい」

リゼットも、いつものように答えた。


◇

 

そのやり取りを、アーヴィンは黙って見ていた。

 

店へ戻った瞬間、リゼットの肩から力が抜けたのが分かった。

二年前には、知らなかった顔だ。

ここで過ごした時間を、自分は知らない。

本当は、もっとまともなことを言うつもりだった。

元気だったか。

どうしてここにいる。

魔道具を、また作っているのか。

王都から一泊二日の馬車の中で、聞きたいことはいくつも考えていた。


それなのに、店へ入ってリゼットの姿を見つけた瞬間。

考えていたことは、全部飛んだ。

声をかけて、顔を上げた彼女を見たら。

 

ちゃんと生きていた。

目の前にいた。

それだけで、一瞬何も考えられなくなった。


だから、ようやく口から出てきたのが、

『客の顔くらい見て挨拶しろ』

だった。

我ながら、もう少し何かなかったのかとは思う。


「何ですか」

不意に、リゼットがこちらを振り返った。

「何が」

「こっち見てたでしょう」

「見てたな」

リゼットが少しだけ眉を寄せる。

 

その顔は、よく知っている。何に腹を立てるかも、どんな設計を嫌うかも、作業に夢中になると食事を忘れることも。けれど、その向こうには、まだ知らない二年がある。

 

アーヴィンはわずかに目を細めた。

 

変わっていないところは、たくさんある。

変わったところは、まだ、何も知らない。



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