第15話 雪景球
——数日後。
昼前に、入口のベルが勢いよく鳴った。
「リゼットお姉ちゃん!」
「ミナ。今日も走ってる」
「走ってないよ!」
「今、走ってきたでしょう」
「ちょっとだけ!」
後ろから入ってきた母親が苦笑する。
ミナは青い鳥の魔導玩具を抱えたまま、まっすぐ作業台までやってきた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何?」
「雪って作れる?」
リゼットは瞬いた。
「……雪?」
「うん!」
ミナが両手で大きな丸を作る。
「透明な丸の中にね、雪が降るの!」
「何それ」
ユアンも興味を持ったらしく、カウンターから顔を出した。
ミナの母親が笑いながら説明する。
「この前、昔の絵本を見せたんです。透明な球の中で雪が舞う玩具が描いてあって。王都にはそういうものもあるみたいで」
「振ると雪が舞うの!」
ミナが力説する。
「おうちの中で雪降るんだよ!」
透明な器に白い粒を入れて、振って舞わせる。それだけなら、魔道具ですらない。けれど、ミナが欲しがっているのはそれだけではなさそうだった。
「振らなくても降るのがいい?」
「うん!」
「ずっと?」
「うん!」
「……ごめん、ずっとは無理」
「じゃあいっぱい!」
それでも難しい要求だ。
横からユアンが言う。
「今回は『見るだけ』使えないね」
「……作るとは言ってません」
「作れない?」
ミナが不安そうに見上げてくる。
その顔はずるい。
リゼットは少しだけ視線を逸らした。
「……作れるかどうか、考えるだけ」
「やった!」
「作るとは言ってないからね」
「うん!」
絶対に分かっていない。
ユアンも笑っている。
「何ですか」
「いや。もう作る顔してるなって」
「してません」
「そっか」
やっぱり笑っている。
——午後、客が途切れたところで、リゼットは作業台に紙を一枚広げた。
透明な球体の中で白い粒を循環させる。
小さな魔力核と起動石があれば、舞わせるだけなら難しくない。
問題は、どうすれば雪らしく落ちるかだった。
下から勢いよく押し上げれば、ただの吹雪になる。
「……ゆっくり落としたい」
紙の上へ線を引く。
白い粒を上へ運ぶ流れ。
球の中へ留めておくための封止。
必要のないものまで一緒に動かさないよう、それぞれを分けていく。
そこまで描いたところで、ふと手が止まった。
似たものを、ずっと前にも作ったことがある。
学院時代の設計演習だった。
課題には必要なかったのに、綺麗だからと小さな容器の中に雪まで降らせた。
『三重結界?』
呆れた声が、一瞬だけ耳の奥に蘇る。
「…………」
懐かしい。
そう思った自分に、少し驚いた。
「リゼット?」
ユアンの声で顔を上げる。
「何ですか」
「笑ってる」
「……え?」
慌てて口元へ触れた。
「笑ってません」
「笑ってたよ」
「気のせいです」
「そっか」
ユアンはそれ以上追及せず、作業台の紙を少し覗き込んだ。
「何作るか決まった?」
「たぶん」
「楽しみ」
「期待しないでください」
「どうして?」
「まだ作るって決まったわけじゃないので」
「またそれ」
ユアンがおもしろそうに笑った。
試作は夕方までかかった。
透明な小さな球体に白い粒を入れ、起動石へ触れる。
白い粒が一斉に舞い上がり、そのまま上部へ張りついた。
「……違う」
ユアンが隣から覗き込む。
「雪が逃げたね」
「言わないでください」
流れを弱め、上昇する経路を細く分ける。
もう一度。
底から運ばれた白い粒が上部へ広がり、そこで勢いを失った。
一粒。
また一粒。
ゆっくりと落ちてくる。
底まで落ちた粒は、見えない細い流れに拾われ、再び上へ運ばれる。降って、また上がって、もう一度降る。
「……できた」
リゼットは思わず顔を近づけた。
透明な球の中だけにある、小さな冬。
何年も前に学院で作ったものと、少しだけ似ている。
しばらく眺めているうちに、もう一つ思いつく。
「青い灯り、入れてもいいかも」
「まだやるの?」
「暗いところでも見えた方がいいでしょう」
球の底へ小さな発光石を加える。雪を循環させる回路とは分けて、灯りだけでも止められるようにした。
店内の灯りを少し落とし、もう一度起動する。
淡い青白い光が、球体の底から広がった。
その中を、白い雪が静かに降っていく。
まるで夜の窓辺で、本当に雪を眺めているようだった。
「綺麗」
ユアンが言った。
「でしょう?」
顔を上げると、ユアンは雪景球ではなく、こちらを見ていた。
「…………」
目が合う。
「綺麗だね、雪」
ユアンは何でもないように雪景球へ視線を戻した。
「ミナ、大喜びだろうね」
「……だと、嬉しいです」
リゼットも雪景球へ目を戻した。
淡い光の中で、白い粒がゆっくりと降り続けていた。
——翌日。
ミナは完成した雪景球を見た瞬間、珍しく声を失った。
「…………」
いつもなら何かしら叫ぶのに。
リゼットが少し不安になる。
「どう?」
ミナは無言で起動石へ触れた。
青白い光が灯り、その中を白い雪がゆっくりと降り始める。
「…………」
しばらく見つめたあと。
「おかあさん!」
店中に響く声を上げた。
「雪! 雪降ってる!」
母親が笑う。
「よかったね」
「すごい! すごい!」
ミナが両手で球体を持ち上げようとするので、リゼットは慌てて止めた。
「落とさないようにね」
「はーい!」
椅子へ座ったミナは、大事そうに雪景球を両手で抱える。
「リゼットお姉ちゃんが作ったの?」
「そうよ」
「すごい!」
その一言が、まっすぐ胸へ入った。
「……ありがとう」
自分でも驚くくらい、素直に答えられた。
ミナの母親が財布を取り出す。
「いくらですか?」
「あ」
いつもの癖で、「いりません」と言いそうになった。
けれど、そこで止まる。
材料も使った。時間もかかった。
以前ユアンに言われた言葉を思い出す。
『好きでやったなら、時間がただになるの?』
リゼットは少し考えてから、金額を告げた。
母親は何も言わずに支払い、リゼットもきちんと硬貨を受け取る。
「ありがとうございます」
前ほど、変な感じはしなかった。
ミナは雪景球を抱え、店を出る直前まで何度も振り返った。
「リゼットお姉ちゃん、ありがとう!」
「落とさないでね」
「うん!」
少し不安だ。
入口のベルが鳴り、青い鳥を片腕に抱え、雪景球を大事そうに持ったミナが母親と帰っていく。リゼットはその後ろ姿を見送った。
「嬉しそうだったね」
「はい」
「リゼットも」
「……まあ」
今度は否定しなかった。
ユアンが少し笑う。
「売れそう」
「売りません」
「早いなあ」
「一個作るの、結構大変なんです」
「じゃあ高くすれば?」
「そういう話じゃなくて」
リゼットは作業台を片づけながら、余った白い粒や部品を箱へ戻していった。ユアンは胸元へ手をやり、服の下にある結界具を指先で軽く押さえる。
「まあ、僕はもっと実用的なの作ってもらったけどね」
「張り合わないでください」
「張り合ってないよ」
「顔がそう言ってます」
ユアンが笑った。
「気のせいじゃない?」
「絶対違います」
言い返しながら、リゼットは最後に残った雪景球の設計図へ目を落とした。
学院時代の机とあの時作った雪が一瞬だけ脳裏に浮かんだ。
そうだ。
王都にあるのは、嫌な記憶だけではなかった。
楽しかったことも。
夢中になったことも。
確かに、あそこにあった。
リゼットは設計図を二つに折り、三段目の棚へしまった。




