第14話 お守り
——翌朝。
店へ入ったリゼットは、挨拶より先にユアンの胸元を見た。
白いシャツの襟元から、細い革紐が覗いている。
――ある。
昨日渡した携帯結界具は、服の内側に下げているらしい。
「おはよう」
「……おはようございます」
返事をすると、ユアンが首を傾げた。
「何?」
「何がですか」
「今、ここ見たでしょ」
自分の胸元を指され、リゼットは反射的に目を逸らした。
「見てません」
「見てたよね」
「確認しただけです」
「何を?」
「……ちゃんと持ってるか」
口にしてから、しまったと思った。
案の定、ユアンの口元が上がる。
「心配?」
「作ったものがちゃんと使われてるか確認しただけです」
「そっか」
「そうです」
ユアンは楽しそうに笑いながら、襟元から小さな結界具を少しだけ引き出した。
「ちゃんと持ってるよ」
「……ならいいです」
「毎日つけるって言ったでしょ」
「二輪車に乗るときだけでいいって言いました」
「でも、僕にはお守りだから」
「魔道具です」
「うん」
「分かってます?」
「分かってるよ。魔道具のお守り」
「そういう意味じゃありません」
絶対に分かっていない。
リゼットはそれ以上相手をせず、上着を脱いで作業台へ向かった。
けれど、背中にユアンの楽しそうな視線を感じる気がして、どうにも落ち着かなかった。
——午前中は、マルタが糸を買いに来た。
リゼットが品物を包んでいる横で、ユアンが高い棚へ手を伸ばした拍子に、シャツの襟元から革紐が覗く。
それを、マルタが見逃すはずもなかった。
「あら」
嫌な予感がした。
「ユアン、それ何?」
「これ?」
ユアンが何のためらいもなく結界具を取り出す。
「ちょっと」
リゼットは思わず声を上げた。
「何?」
「わざわざ出さなくていいです」
「なんで?」
「なんでもです」
マルタの視線が、結界具からリゼットへ移った。
「もしかして、リゼットが作ったの?」
「そう」
ユアンが即答した。
「ユアン!」
「だって本当でしょ?」
「そうですけど!」
マルタの目が、見るからに楽しそうに細くなる。
「その顔やめてください」
「どの顔よ」
「それは……」
言葉に詰まったリゼットを横目に、ユアンは結界具を大事そうにシャツの中へ戻した。
「僕のお守りなんだ」
「だから、お守りじゃないです!」
「僕には、って話」
「紛らわしい言い方しないでください」
とうとうマルタが吹き出す。
「いいじゃない。そんなに大事にしてもらえて」
「そういう問題じゃ――」
「大事にしてるよ」
横からユアンが言った。
リゼットの言葉が止まった。
冗談めかした声ではなかった。
見ると、ユアンはいつものように柔らかく笑っている。
ただ、それだけなのに妙にまっすぐで、リゼットは先に目を逸らした。
「……何で私を見るんですか」
「作った人だから」
「知りません」
「じゃあ私、邪魔しないうちに帰るわね」
マルタが糸の包みを抱え直す。
「何の邪魔ですか!」
「さあ?」
「マルタさん!」
楽しそうに手を振りながら出ていくマルタを、リゼットはしばらく睨んでいた。
入口のベルが鳴り止む。
「……町中に変な誤解されたら、ユアンのせいですからね」
「どんな誤解?」
「それは……」
言えるわけがない。
横を見ると、ユアンがこちらを覗き込んでいた。
「何?」
「近いです」
「また?」
「近いものは近いんです」
「はいはい」
素直に離れたくせに、笑っている。
最近、本当に調子が狂う。
——午後は客が続き、考える暇もなく時間が過ぎた。
注文を聞いて、品物を包み、棚を補充する。合間には昨日使った工具を片づけ、携帯結界具の図面にも少しだけ書き込みを足した。いつもと変わらない店の一日だった。
それなのに、今日は妙にユアンが目に入る。
客と笑っている横顔。
重い箱を運ぶためにシャツの袖をまくった腕。
帳簿をつけながら前髪をかき上げる仕草。
普段から何度も見ているはずなのに、気づくたびに、なぜかすぐ目を逸らしたくなる。
「……」
何をしているんだろう。
祭りの日に、黙っていればずいぶん華やかな顔をしていると思った。
そのせいだ。たぶん。
そういうことにしておく。
閉店時間になると、ユアンが表の札を返しに行き、リゼットは作業台を片づけた。工具を戻し、余った魔力線を棚へしまう。
三段目には、昨日作った携帯結界具の図面がある。
手を伸ばしかけて、止まった。
事故の日。
帰ってこないユアンを待った時間。
暗い道で、金色の髪を見つけた瞬間。
祭り。青い灯り。
繋いだ手。
『離したくなかった』
そして昨日。
自分が作ったものを、あんなに嬉しそうに受け取った顔。
「…………」
リゼットは両手で顔を覆った。
考えるのはやめよう。
考えれば考えるほど、おかしくなる。
「何してるの?」
すぐ後ろから声がして、びくっと肩が跳ねた。
「何でもありません!」
「また?」
「今日はもうそれでいいです!」
ユアンが笑う。
「じゃあ帰ろうか」
「……はい」
「送るね」
いつもなら、一度は断る。
けれど今日は、その言葉が出なかった。
「はい」
ユアンがほんの少し目を細める。
それだけで、また落ち着かなくなる。
店を出ると、祭りの飾りがまだいくつか残っていた。
軒先には青い花が揺れ、片づけ忘れたらしい小さな灯りも何軒か淡く光っている。
二人で並んで歩く。
家までは五分。
何度歩いたか分からない、いつもの道だ。
「リゼット」
「はい」
「昨日、ちゃんと寝た?」
「……何でですか」
「ちょっと眠そう」
「寝ましたよ」
嘘ではない。
ただ、眠るまでに少し時間がかかっただけだ。
ユアンが横からこちらを見る。
「祭りのこと考えてた?」
「…………」
「当たり?」
「違います」
「じゃあ――」
一拍置いて、ユアンが言った。
「手、繋いだこと?」
リゼットの肩がびくっと跳ねた。
「違います!」
思った以上に大きな声が出る。
ユアンが吹き出した。
「分かりやすいなあ」
「違いますって言ってるでしょう!」
「うんうん」
「その返事やめてください!」
恥ずかしさをごまかすように足を速めると、すぐに追いつかれる。しばらく隣を歩いたあと、ふいに声が落ちた。
「……そんなに嫌だった?」
「え?」
振り向く。
さっきまで笑っていたユアンが、少しだけこちらを窺っていた。
もともと柔らかく垂れた目尻がわずかに下がり、澄んだ青い目がいつもより頼りなく見える。黙っていれば王子様みたいな顔をしているくせに、こういうときだけ妙に子犬じみるのはずるい。
「嫌だったなら、もうしないよ」
からかっている声音ではなかった。
本当に聞いている。
だから。
「……嫌じゃないです」
口から出た。
ユアンの足が止まった。
リゼットも止まる。
「…………」
「…………」
夜の道に、少し離れた家の話し声だけが聞こえる。
言ってしまった。
意味を理解した途端、頬が一気に熱くなった。
「今のは――」
「そっか」
ユアンが先に言った。
からかわない。
笑わない。
ただ、青い目を少し細めて、本当に嬉しそうにする。
その方が困る。
「……何ですか」
「何も」
「絶対何かあります」
「嬉しいだけ」
「…………」
胸が、大きく鳴った。
もう無理だ。
今日のユアンは、心臓に悪すぎる。
「行きますよ」
「うん」
リゼットはまた歩き始めた。
今度はユアンも何も言わず、少しだけ嬉しそうな顔のまま隣を歩いた。家の前へ着く。
「じゃあ、おやすみ」
「……おやすみなさい」
ユアンが片手を上げた拍子に、シャツの襟元から革紐がちらりと見える。まだつけている。
分かっていたはずなのに、また目で追ってしまった。
「ユアン」
「ん?」
「……結界具」
「これ?」
「ちゃんと、何かあったら使ってくださいね。持ってるだけじゃ意味ないので」
「分かった」
「本当に?」
「約束する」
ユアンは服の上から、胸元の結界具へ軽く触れた。
「大事にするよ」
「……それはもう聞きました」
「これもね」
「…………」
これも。
なら、他には何を大事にするつもりなのか。
一瞬だけそんなことを考えてしまい、リゼットは自分で自分に驚いた。
聞けるわけがない。
「おやすみなさい!」
「うん。おやすみ」
逃げるように家へ入り、扉を閉める。
そのまま背中を預けた。
心臓が速い。
「……」
最近の自分は、おかしい。
ユアンが近いと落ち着かない。
手を繋いだことを思い出すだけで、指先まで熱くなる。
いない日は、帰ってくる時間ばかり気にしてしまった。
自分が作ったものを大事にされれば、嬉しい。
それに。
『嫌じゃないです』
本当は、それだけではなかった。
嫌じゃないどころか。
もう一度手を差し出されたら。
自分はたぶん――。
「…………」
そこまで考えて、リゼットは両手で顔を覆った。
「……もしかして」
小さく漏れた言葉に、自分で固まる。
その先は、まだ口にできない。
けれど。
否定する言葉も、もう出てこなかった。




