第12話 青花祭
青花祭の日。
朝から、町はいつもよりずっと騒がしかった。
通りには鮮やかな青いルシェラと銀色の葉が飾られ、家々の軒先には小さな灯りが吊るされている。まだ日が高いため光は目立たないが、日が落ちれば町中が淡い青に包まれるはずだ。
店の前にも、数日前にリゼットが直した灯りがきれいに並んでいた。
「無事に飾れて良かったですね」
店先へ出てきたユアンが、軒先を見上げる。
「これからは安心だね。リゼットがいるから」
「来年は自分でやってください」
「え?」
ユアンがこちらを見た。
「来年も一緒にやってくれるでしょ?」
「…………」
「勝手に私を来年の予定に入れないでください」
「駄目?」
「そういう問題じゃありません」
「じゃあ来年考えよう」
「……そうしてください」
返事をしながら、リゼットは軒先の灯りへ視線を戻した。
胸の奥が、なんだか落ち着かなかった。
祭りの日は、店も昼過ぎには閉める。町中の店が似たようなものだから、午後になると買い物客もほとんどいなくなった。
リゼットが店先の商品を中へ入れていると、入口のベルが鳴った。
「リゼット!」
入ってきたのはマルタだった。
「もう閉めるところですけど」
「買い物じゃないわよ」
「じゃあ何ですか」
マルタは答えず、リゼットを頭から足元まで眺めた。
「……何ですか」
「その格好で行くの?」
リゼットも自分を見る。
普段と変わらない。生成りのブラウスに落ち着いた色のスカート。栗色の髪も、いつもの深い赤のリボンでまとめている。
「駄目ですか?」
「駄目じゃないけど。せっかくのお祭りでしょう」
マルタは持っていた籠から、小さな髪飾りを取り出した。
青いルシェラを数輪と、細い銀葉を束ねたものだ。
「はい」
「……これ、私に?」
「他に誰がいるのよ」
「マルタさんが使えばいいじゃないですか」
「私の分はもうあるの。これはあんたにつけようと思って作ってきたのよ」
そう言って、自分の胸元につけた青い花を指差す。
「ほら、ちょっと屈んで」
言われるまま頭を下げると、マルタは手際よく飾りを留めた。
「はい、できた」
店の小さな鏡を見る。
耳の上に青い花が一輪。その間から銀色の葉が細く伸びている。
「……派手じゃないですか」
「どこがよ」
「花がついてます」
「祭りだからつけるのよ」
もっともだった。
「似合ってるわよ」
「……ありがとうございます」
少し照れくさくて鏡から目を逸らした、そのときだった。
奥からユアンが出てくる。
「鍵、裏も閉め――」
言葉が止まった。
リゼットが振り向く。
「何ですか」
「……」
「ユアン?」
「ああ、うん」
妙に歯切れが悪い。
横を見ると、マルタがにやにやしている。
「何ですか」
「いや」
ユアンが少し笑った。
「似合ってるなと思って」
「…………」
この前も言われた。
青い花が似合う、と。同じ言葉なのに、今日は、まともに顔を見るのが恥ずかしい。
「……どうも」
「それだけ?」
「何を求めてるんですか」
「もう少し喜んでくれてもいいかなって」
「喜んでます」
「そう?」
「そうです」
マルタが吹き出した。
「じゃ、私は先に行ってるわね」
「マルタさん?」
「楽しんできなさいよ」
「ちょっと――」
楽しそうに手を振り、マルタはそのまま店を出ていった。
完全に逃げた。
リゼットは小さく息を吐き、それから何となくユアンを見る。
今度は、こちらが黙った。
いつものシャツにエプロン姿ではない。白いシャツの上に濃い色の上着を着て、柔らかな金髪も普段より少しだけ整えられている。豪華な服を着ているわけでもないのに、いつもよりやけに目を引いた。
澄んだ青い目と、明るい金色の髪。
普段は人懐っこく笑ってばかりいるから忘れているだけで、黙っていると、ずいぶん華やかな顔立ちをしている。
「……」
「何?」
気づかれた。
「何でもありません」
「僕も似合ってる?」
「知りません」
「見てたのに?」
「見てません」
ユアンが笑った。
「絶対見てた」
「閉めますよ、店!」
「はいはい」
店を閉めて外へ出ると、通りはすでに人でいっぱいだった。
普段なら顔を知っている町人がぽつぽつ歩いている程度なのに、今日ばかりは隣の村や周辺の農家からも人が来ている。
屋台が軒を連ね、焼いた肉や甘い菓子の匂いが風に混じっていた。
少し先で、ミナがこちらに気づく。
「リゼットお姉ちゃん!」
母親の手を振りほどきそうな勢いで駆けてきた。
「走ったら危ないわよ」
「見て! お花!」
ミナの髪にも、小さな青い花がついている。
「お揃いね」
「うん!」
嬉しそうに笑ったあと、今度はユアンを見上げる。
「ユアンお兄ちゃんもつける?」
「僕も?」
「うん!」
ミナが手にしていた余りのルシェラを一輪差し出す。
ユアンは少し考えてから受け取った。
「ありがとう。じゃあ、リゼットにつけてもらおうかな」
「私が?」
「うん」
「自分でつければいいじゃないですか」
「自分じゃ見えないし」
「……ミナに頼んでください」
「リゼットがいい」
さらっと言われ、言葉に詰まる。
ユアンは何でもない顔で、自分の上着の胸元を指した。
仕方なく花を受け取り、上着の襟へ留めようと手を伸ばすと、思ったより距離が近かった。
白いシャツ。
濃い上着。
その向こうにある体温を、数日前のことまで思い出して意識してしまう。リゼットは余計なことを考えないよう、留め具だけを見た。
「……はい」
「ありがとう」
顔を上げる。
すぐ近くで、青い目と合った。
ユアンが嬉しそうに目を細める。
そのとき、ミナがぱっと両手を合わせた。
「わあ!」
「何?」
「リゼットお姉ちゃんがおひめさまで、ユアンお兄ちゃんがおうじさまみたい!」
「え」
リゼットの動きが止まった。
「ミ、ミナ?」
「ほんとだよ!」
何が本当なのか分からない。
隣を見ると、ユアンは満面の笑みだった。
「ありがとう、ミナ」
「何で普通にお礼言ってるんですか!」
「褒めてもらったから」
「リゼットお姉ちゃんもかわいいよ!」
「……ありがとう」
子ども相手では否定もしづらい。
ユアンが胸元の青い花を見て、楽しそうに言う。
「お揃いだね」
「ミナともです」
「僕はリゼットとって言ったんだけど」
「知りません」
少し距離を取ると、後ろでミナが楽しそうに笑っていた。
妙に恥ずかしいまま、ユアンと祭りの通りを歩く。
ダリオの店の前では、焼いた野菜が売られていた。
「よう」
呼び止められ、振り向く。
ダリオが串を二本差し出した。
「食え」
「いくらですか?」
「余りだ。金はいらねえ」
「始まったばかりですよね?」
「うるせえな。祭りの日くらい受け取れ」
結局、二本とも押しつけられた。
ユアンが笑う。
「リゼット、愛されてるね」
「ユアンももらったじゃないですか」
「僕はついでじゃない?」
「聞こえてるぞ」
ダリオが低い声でつぶやいた。二人はそれを聞いて顔を見合わせ、同時に笑った。そのあとも、エダには焼き菓子を持たされ、レナからは飴をもらった。
「これ、祭りを回り終わるころにはお腹いっぱいになるんじゃないですか」
「それも祭りじゃない?」
「絶対違うと思います」
言いながら、リゼットは周囲を見回した。
去年は、こんなふうに歩かなかった。
ほとんど店の奥にいて、外が賑やかなことだけは分かっていたけれど、人混みへ出ようとは思えなかった。
夕方になって、ユアンが焼き菓子をいくつか持って戻ってきた。
それを店の奥で食べた。覚えているのは、そのくらいだ。
今年は違う。
声をかけてくれる人がいて、食べ物を押しつけてくる人がいて、隣にはユアンがいる。ただ歩いているだけなのに、去年よりずっと町が近く感じた。
やがて通りの先に、中央広場が見えてきた。
広場の中央には大量の青いルシェラが飾られ、その奥には、町のどこからでも見えるほど背の高い灯りが立っている。
ただ、その灯りだけはまだ消えたままだった。
広場の一角では、大人たちが銀葉を四つの束へ分けている。
数日前、マルタが話していた通りだ。
やがて銀葉を持った子どもたちが、四つの組に分かれた。
東へ。西へ。北へ。南へ。
それぞれ大人に付き添われ、広場から延びる道へ散っていく。
話には聞いていたけれど、実際に見るとやはり少し変わった風習だった。
「本当に、銀の葉を四方へ持っていくんですね」
「うん。毎年こうだよ」
リゼットは遠ざかる子どもたちの背中を目で追う。
「理由は、やっぱり聞いたことないですか」
「うん。考えたことなかった」
「そういうものですか」
「そういうものじゃない?」
ユアンは気楽に答える。
それ以上考える間もなく、広場へ向かう人の流れが急に太くなった。後ろからも次々と人が押し寄せてくる。
「リゼット」
「はい?」
ユアンが手を差し出した。
「人、増えてきたから」
「子どもじゃないんですけど」
「僕がはぐれるかも」
「じゃあユアンが気をつけてください」
「冷たいなあ」
そう言いながら、差し出した手を引っ込めようとはしない。
リゼットはその手を見る。
「……」
「ね?」
すぐ後ろを人が通り、肩が触れそうになった。
仕方ない。
そう。これは仕方ないから。
リゼットはそっと手を重ねた。
「……祭りの間だけですよ」
「うん」
ユアンの指が閉じ、手が優しく握られる。
思っていたより、大きくて温かい。
「行こう」
手を引かれて、人混みの中を進む。
一度、横から走ってきた子どもを避けるために身体が離れたが、手は離れなかった。むしろユアンの握る力が少し強くなる。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「よかった」
それだけのやり取りなのに、そのあとは握られた手ばかりが気になった。
広場の端まで来ると、人の流れは少し落ち着いた。
それでも。
手は繋がったままだ。
リゼットは横を見る。
ユアンは何事もないように前を向いている。
「ユアン」
「ん?」
「もう、そんなに混んでませんけど」
「うん」
「……うん、じゃなくて」
「何?」
分かっているくせに。
「手です」
握られた指が、ほんの少し動く。
「離した方がいい?」
「…………」
数日前、自分が「離してください」と言ったとき。
一拍置いて返ってきた声が蘇る。
『……やだ』
あのときは結局、ユアンの方から腕を解いた。
リゼットは繋いだ手を見た。
今度は自分から離せばいい。
そう思ったのに。
「……別に」
「ん?」
「祭りの間だけって言いました」
「そっか」
ユアンが笑った。
手はそのままだった。
やがて、東の通りの方から子どもたちの声が聞こえてきた。
遠くから、銀葉を持っていった子どもたちが戻ってくる。
「東、置いてきたよー!」
続いて西。北。南。
四方向へ向かった子どもたちが、次々と広場へ戻ってくる。
手にしていた銀葉は、もうない。
それでも、広場中央の大きな灯りだけはまだ暗い。
待っている間、子どもたちが声をそろえ始めた。
「青き花を携え、銀の葉の野に立つ――」
覚えたてなのか、ところどころ声がずれる。
大人たちが笑った。
「千の灯を結びし者、災いの夜に国を守らん」
聖女の古い言葉。
リゼットも数日前、ミナから聞いたばかりだ。
ふと、町外れの丘にあるという平たい石を思い出す。
聖女が祈った場所。
けれど祭りは、石のある丘ではなく、この広場で行われている。
少し不思議には思ったものの、それ以上考えることはなかった。
子どもたちが最後の言葉を言い終えたところで、広場中央の大きな灯りがともった。淡い青白い光が、ゆっくりと広場を照らす。
周囲から歓声と拍手が上がる。
綺麗だった。
広場を囲むルシェラ。
夜風に揺れる銀色の葉。
リゼットも拍手をしようとして――ようやく気づいた。
片手が塞がっている。
「……」
ユアンと繋いだままだ。
隣を見る。
どうやらユアンも同じことに気づいたらしい。
「あ」
「今さらですか」
「忘れてた」
「嘘」
「半分くらい本当」
「半分は?」
ユアンは青い灯りを見たまま、何でもないことのように言った。
「離したくなかった」
「…………」
青い光に照らされた横顔は、笑っている。
いつもの冗談みたいな顔。
でも。
今のは。
「……そういうこと、さらっと言わないでください」
ユアンがこちらを見る。
「嫌だった?」
「……」
嫌じゃない。
それが困る。
「聞かないでください」
「じゃあ聞かない」
素直なのか、素直じゃないのか分からない。
それでも、祭りが終わるまで手は離れなかった。
帰るころには、夜もずいぶん深くなっていた。
店へ戻る道を二人で歩く。
さすがにもう手は繋いでいない。
それなのに、右手だけ妙に所在がない。
指先に、さっきまでの温度が残っている気がする。
「楽しかった?」
ユアンが聞いた。
「まあ」
「まあ?」
「……楽しかったです」
「よかった」
「ユアンは?」
「楽しかったよ」
少し間を置いて、ユアンが続ける。
「今年は特に」
「何でですか」
「リゼットと回れたから」
また。
こういうことを、何でもない顔で言う。
リゼットは前を向いたまま歩いた。
「何も言わないの?」
「何を言えばいいんですか」
「嬉しい、とか」
「要求しないでください」
「じゃあ来年も一緒に回ろうか」
足が少し止まりかけた。
「……また勝手に来年の予定を決めてる」
「朝も言われたね」
「学習してください」
「でも」
ユアンは前を向いたまま言った。
「来年も隣にいたら、誘うよ」
「…………」
隣にいたら。
その言葉だけが、妙に胸に残った。
「……覚えてたら考えます」
「じゃあ覚えとく」
「私が覚えてたら、です」
「僕が覚えてれば誘えるでしょ」
「そういうところです」
ユアンが笑う。
つられて、リゼットも少し笑った。
家の前まで着く。
「じゃあ、おやすみ」
「はい。ありがとうございました」
「何が?」
「……祭り」
「こちらこそ」
ユアンが歩き出す。
数歩。
リゼットはその背中を見た。
この前も、同じように遠ざかる背中を見送った。
あの日は、一日中帰りを待って。
事故だと聞いて、走った。
今日は。
ずっと隣にいた。
「ユアン」
思わず呼んだ。
ユアンが振り返る。
「ん?」
「……」
何を言いたかったのか、自分でも分からない。
「何でもありません」
「また?」
「おやすみなさい!」
「はいはい。おやすみ」
ユアンは笑いながら手を振り、今度こそ通りの向こうへ消えていった。リゼットは家へ入り、扉を閉める。
右手を見る。
ほんの少しだけ、握ってみた。
祭りの人混みの中。
繋がれた手。
『離したくなかった』
思い出すと、胸のあたりがまた妙にそわついた。
「……何なの」
ユアンがいると、最近どうにも落ち着かない。
近づかれると困る。
触れられると、もっと困る。
それなのに。
いなかったあの日の方が。
ずっと、落ち着かなかった。




