第10話 青花祭の支度
店の窓辺に飾った青い花は、数日経ってもまだ鮮やかな色を残していた。花弁の端は少し乾き始めてきたものの、銀色の葉は、朝の光を受けるたびに細くきらめく。
その日もリゼットは店へ入ると、花瓶の水を替えてから上着を脱ぎ、何気なく作業台の横の棚へ目をやった。
一段目。
二段目。
そして三段目。
昨日、自分で置いた魔力線は、そのままそこにある。
「おはよう」
「っ」
背後から声をかけられ、リゼットは慌てて棚から目を逸らした。
「お、おはようございます」
奥から出てきたユアンが、柔らかな金髪を揺らして首を傾げる。
「棚見てたの?」
「見てません」
「見てたよね」
「見てません!」
ユアンが楽しそうに目を細めた。
「朝から機嫌いいね」
「よくないです!」
笑いながらカウンターへ向かう背中を、リゼットは睨んだ。
朝から心臓に悪い。
——昼前
入口のベルが勢いよく鳴った。
「リゼットお姉ちゃん!」
「ミナ。走ると危ないわよ」
青い鳥の魔導玩具を抱えたミナが、母親より先に店へ飛び込んでくる。鳥は今日も元気そうに、ミナの腕の上でぱたぱたと羽を動かしていた。
「見て!」
差し出されたのは、小さな花飾りだった。
窓辺にあるものと同じ鮮やかな青い花に、細い銀色の葉を添え、紐でまとめてある。
「お祭りにつけるの?」
「うん! お母さんと作った!」
「上手ね」
ミナが嬉しそうに笑う。
青花祭まで、あと五日。
そう聞いて、リゼットは窓辺の花を見た。
この時期になると町の家々に青い花が飾られ、夜には小さな青い灯りが通りを彩る。
そのくらいは知っている。
けれど、祭りをきちんと見たことはなかった。
ミナは店の中を見回してから、不満そうに頬を膨らませた。
「ユアンお兄ちゃん、お店の飾りまだなの?」
「……まだだね」
「もうみんな飾ってるよ?」
「そうだねえ」
リゼットもユアンを見る。
「まだ出してなかったんですか?」
「まだ五日前だよ?」
「ミナに注意されてる時点で遅いんじゃないですか」
「リゼットまでそっち側?」
「今年くらい早めにやりましょう」
ユアンが少し意外そうに瞬きをした。
「今年はやる気だね」
「……何ですか」
「別に?」
笑っている。
その顔が妙に意味ありげで、リゼットは眉を寄せた。
ミナが窓辺の花を見つけて声を上げる。
「あっ、もうルシェラある!」
「これはトーマさんにもらったの」
「じゃあ使えるね!」
「祭り用にもらったわけじゃないけどね」
「ルシェラなら一緒だよ!」
どうやらミナの中ではそういうことらしい。
「灯りも出そうよ!」
「ああ……倉庫にあったはず」
ユアンがようやく思い出したように言う。
「今出しましょう!」
「今?」
「後回しにして、ギリギリになりそうなので」
「信用ないなあ」
ミナの母親が吹き出した。
結局、親子が帰ったあと、ユアンは店の奥から大きな木箱を引っ張り出してきた。中に入っていたのは、細い魔力線で繋がれた小さな灯りだった。手のひらより小さい青い発光石が、何十個も連なっている。
「結構古いですね」
「前の家主さんからもらったやつなんだよね」
「これ、全部つけるんですか?」
「店先から二階の窓のところまで」
「……長い」
リゼットは箱から長い魔力線を引き出し、床へ広げていった。
全部出すだけで、作業台の横から入口近くまで埋まりそうだった。
ユアンが端の起動石に触れる。
ぽつ、ぽつ、と青い光が順番に灯っていき――半分ほどで止まった。
「あ」
「壊れてますね」
「去年は全部ついたんだけど」
「一年しまってたんですから、何かあってもおかしくないです」
リゼットはしゃがみ込み、魔力線を辿った。ほどなくして、接続部分が一か所傷んでいるのを見つける。そこから先へ魔力が流れていない。
「ここですね」
「直る?」
「線を替えれば」
棚を見る。
ちょうど同じ太さの魔力線がある。
リゼットが手を伸ばしたのと、ユアンが同じ箱へ手を伸ばしたのはほとんど同時だった。
指先が触れる。
「っ」
反射的に手を引いた拍子に、棚の端に置かれていた小箱へ肘が当たった。がた、と箱が傾く。
「危ない」
次の瞬間、身体をぐいと引かれた。
背後で小箱が床へ落ちる音がする。
「…………」
気づけば、リゼットはユアンの胸元にすっぽり収まるような格好になっていた。
肩に回された腕。
すぐ近くにある体温。
耳元へ落ちてくる声。
「大丈夫?」
「……だ、大丈夫です」
「ほんと?」
「大丈夫なので、離してください」
一拍、間があいた。
「……やだ」
「え?」
思わず顔を上げる。
近い。
ユアンはリゼットを抱き寄せたまま、じっとこちらを見ていた。いつもは人懐っこく笑う青い目に、今は冗談めいた色がなかった。
「…………」
「…………」
「なーんてね」
ふっと笑うと、ユアンはあっさり腕を解いた。
「……!」
「そんな顔する?」
「どんな顔ですか!」
「真っ赤」
「誰のせいですか!」
ユアンは楽しそうに笑いながら、床へ落ちた小箱を拾う。
「はい。これ取ろうとしてたんでしょ?」
「…………ありがとうございます」
「どういたしまして」
何事もなかったような顔をしている。
どうにか魔力線を受け取り、傷んだ部分を交換する。
もう一度起動石へ触れると、今度は最後まで青い灯りが連なった。
「おお」
床の上に並んだ小さな光を眺めていたリゼットは、しばらくして眉を寄せた。
「……」
「どうしたの?」
「一か所切れたら、そこから先が全部消えるんですね」
「そうみたいだね」
「不便」
「祭りの飾りだよ?」
「祭りの途中で半分消えたら嫌でしょう」
「まあ、それは嫌かな」
リゼットはまたしゃがみ込み、一本に繋がった魔力線を指先で辿った。最初から最後まで一つの流れになっている。だから途中で途切れれば、その先は全部消える。なら、最初から分けてしまえばいい。
「……三つに分けようかな」
「何を?」
「流れを」
「直ったんじゃなかった?」
「直りましたけど」
「じゃあいいんじゃない?」
「よくないです」
即答すると、ユアンが笑った。
「楽しそう」
「違います」
「はいはい」
リゼットは紙を一枚取り、簡単な線を引いた。
入口、一階の窓、二階。三つに分け、それぞれへ別々に魔力を送る。そうすれば、どこか一つが切れても残りまでは消えない。必要な線も、それほど増えない。
「一つ壊れただけで、全部消えるのは嫌なので」
口にした瞬間、指先が止まった。
赤い警告灯が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
リゼットはゆっくり息を吐き、目の前の青い灯りへ視線を戻した。
「……三つに分けます」
「うん」
ユアンは何も聞かなかった。
——午後。
作業台いっぱいに魔力線を広げていると、マルタが大きな籠を抱えてやってきた。
籠の中は青い花でいっぱいだった。鮮やかな花弁の間から、細い銀色の葉が何本も覗いている。マルタは店内を見回し、床に広げられた灯りを見つけると感心したように眉を上げた。
「あら。今年は早いじゃない」
「ま、こんなもんでしょ」
「ミナに言われて出したんでしょ?」
「……どこから聞いたの?」
「さっき会ったもの」
小さい町だ。情報が回るのが早すぎる。
マルタは籠をカウンターへ置いた。
「これ、店の前に飾る分」
「こんなに?」
「余ったら中にも置けばいいでしょう」
リゼットは籠を覗き込み、窓辺にある花と見比べた。
「そういえば、この花もルシェラっていうんですよね」
「そうよ」
マルタは青い花を一輪つまみ上げた。
「昔から、この辺りにだけ咲くこの花をルシェラって呼んでたんだって。それで、町の名前もルシェラになったらしいわ」
「花の名前が先なんですね」
「本当のところは分からないけどね。少なくとも、この町はずっと、ルシェラと一緒に生きてきたのよ。昔からこの花を売って、暮らしてきたの」
リゼットは、銀色の葉を一本持ち上げた。
「花だけじゃなくて、葉も一緒に飾るんですね」
「祭りには青い花と銀の葉。昔から決まってるのよ」
「なるほど」
「当日は、広場にたくさん青花を飾って、子供たちが銀の葉を持って歩くのよ」
リゼットは顔を上げた。
「銀の葉を?」
「そう。銀の葉を四つに分けて、広場から東西南北、それぞれの道へ持っていくの。それから、最後に広場の大きな灯を点けるのよ」
「へえ。何か由来があるんですか?」
「さあ?知らないけど、昔からそうするのよ」
マルタは何でもないことのように肩をすくめた。
「祭りなんて、そんなものよ」
そう言って青花を籠へ戻し、ふと思い出したようにリゼットを見る。
「そういえば、あんたがこの町へ来たのも祭りのすぐ後だったわね」
「……そうでしたっけ」
「そうよ。軒先に、しおれかけた青花がまだ残ってたもの」
二年前。ルシェラへ着いた日の景色を思い出そうとしても、妙に輪郭が薄い。
マルタが続けた。
「去年も、祭りどころじゃなかったしねえ」
「マルタさん」
ユアンが、少しだけ困ったように呼ぶ。
「何よ。悪い意味で言ってないわよ」
「分かってるけど」
リゼットは二人を見て、それから籠の中の青い花へ視線を落とした。
「……大丈夫です」
三年前のあの日——
あの後、自分に出来ることを必死でやり続けた。それでも、結局向き合い続けることができずに、二年前、王都を離れた。そして気づけば、ルシェラで暮らしていた。
ルシェラへ来てから最初の一年は、今思い返してもところどころ記憶が薄い。朝になれば店へ来て、椅子に座る。何をしたのかよく覚えていないまま時間が過ぎ、気づけばユアンが何か食べるものを置いていた。店が終われば、いつの間にか隣を歩いて、家まで送ってくれていた。たぶん、そんな日が何度もあった。
「去年の祭りは」
ユアンが何でもない調子で言った。
「リゼット、ほとんど店の奥にいたよね」
「……そうでしたっけ」
「うん。広場には行かなかった」
「覚えてないです」
「祭りの焼き菓子は二つ食べたよ」
リゼットが顔を上げる。
「それは覚えてます」
「そこは覚えてるんだ」
「美味しかったので」
マルタが吹き出した。
「それ、ユアンがわざわざ買ってきたやつでしょう?」
「そう」
「……そうでしたね」
あの頃は、ユアンが何をしてくれているのかまで考える余裕がなかった。温かいものが目の前に置かれていたこと。店の奥で眠ってしまっても起こされなかったこと。何も話せない日に、何も聞かれなかったこと。今になって思えば、その一つ一つにずいぶん助けられていたのだと思う。
ユアンを見ると、目が合った。
彼は何も言わず、いつものように笑った。
リゼットは少しだけ視線を逸らした。
「……今年は、ちゃんと見てみようと思います」
マルタがにっと笑う。
「そうしなさい。青花祭は、見てるだけでも綺麗なんだから」
「はい」
ルシェラへ来て初めて、自分から祭りへ行ってみようと思えるようになった。そう考えると、胸の奥がほんの少しだけ温かくなった。
そのとき、外から子どもたちの声が聞こえてきた。
「青き花を携え――」
続いて別の子どもが、大きな声で続ける。
「銀の葉の野に立つ!」
「そこもっと大きな声!」
「言ってるよ!」
リゼットが顔を上げた。
「あれも祭りの言葉ですか?」
「ああ、聖女様の文句ね」
「聖女様?」
リゼットは首を傾げた。子どもの頃に聞いた『青い花を愛した女神が、大きな災いから人々を守った』という伝承を思い出した。
「青い花といったら、王都だと、女神様の話でしたけど」
「こっちじゃ聖女様よ」
「同じ話なんでしょうか?」
「そうかもね、昔話なんて土地によって変わるでしょう」
マルタは銀葉を籠の中へ戻した。
「丘の平たい石も、聖女様が祈った場所だって言うわよ」
「あの、ミナたちが上で遊んでる石ですか?」
「そうそう」
「……いいんですか、それ」
「私たちも遊んでたわよ」
ありがたい場所なのか、そうでもないのか分からない。
リゼットが笑っていると、ちょうど店の前を通りかかったミナがこちらに気づいた。
「リゼットお姉ちゃん!」
そして、聞いてもいないのに、覚えたてらしい言葉を得意げに唱える。
「青き花を携え、銀の葉の野に立つ。千の灯を結びし者、災いの夜に国を守らん!」
言い終えると、満足そうに胸を張った。
「全部言えた!」
「上手ね」
マルタが拍手する。
リゼットは床に広がる青い灯りへ目をやった。
「この灯りを飾るのは、千の灯が由来なのかしら?」
「そう!灯をたくさんつけるのよ!」
「何、リゼット。聖女様に興味あるの?」
突然、すぐ後ろから声がした。
「っ!」
振り向くと、ユアンが肩越しから紙を覗き込んでいる。
近い。
さっき抱き寄せられたときの感触まで思い出してしまい、リゼットは反射的に身体を前へ逃がした。
マルタがそんなリゼットを見て面白そうな顔をする。
「……何ですか」
「何も言ってないわよ」
「…………」
マルタが笑い、ユアンまで笑う。
「もういいです」
リゼットは二人を無視して、魔力線へ向き直った。
——夕方には、三系統に分けた灯りが完成した。
一つ目を止める。
二つ目と三つ目は灯ったまま。
二つ目を止めても、残った一つは消えない。
「よし」
「そこまでしなくてもよかった気がするけど」
「途中で全部消えるよりいいでしょう?」
「はいはい」
「その返事、多くないですか」
「リゼットが言い出したら止まらないって学習したから」
「……」
否定できない。
——閉店後、二人で店の外へ出た。
ユアンが梯子に上がり、リゼットが下から灯りを渡す。
「もう少し右です」
「この辺?」
「もう少し」
「ここ?」
「行きすぎです」
「注文多いなあ」
「だって曲がってるの嫌なんです」
「僕はそんなに気にしないけど」
「私は気にします」
入口から二階の窓まで灯りを渡すのに、思ったより時間がかかった。最後の留め具を固定し、ユアンが梯子から降りてくる。
「じゃあ、つけてみる?」
「はい」
リゼットが起動石へ触れた。
ぽっ、と一番端の青い光が灯る。
次へ。
その次へ。
小さな光が連なりながら店の壁を上り、やがて二階の窓まで青く縁取った。
「……綺麗」
思わず声が漏れる。
通りを見れば、ほかの家や店にも少しずつ祭りの飾りが増えていた。軒先には青いルシェラと銀の葉、窓辺には小さな青い灯り。
祭りまではまだ数日あるのに、町全体がいつもより少し華やいで見えた。
去年も、同じように飾られていたのだろう。
自分は、それを見ようともしなかった。
でも今年は、綺麗だと思える。
そのことが、少し嬉しかった。
「でしょ?」
隣でユアンが言う。
「ユアンが作ったわけじゃないでしょう」
「でも灯りは僕のだから」
「直したのは私です」
「じゃあ二人の成果ってことで」
「勝手に半分取らないでください」
笑いながら振り返った、そのときだった。
「ちょっと、動かないで」
「え?」
ユアンが手を伸ばす。
反射的に身体が固まった。
指先が、リゼットの髪に触れる。
ほんの一瞬。
そう思ったときには、もう手は離れていた。
その指には、小さな青い花弁が一枚つままれている。
「ついてた」
「……そうですか」
「うん」
「なら先に言ってください」
少し前なら、何とも思わなかったはずだ。たぶん。
なのに今は、触れられたところだけ妙に意識してしまう。
ユアンは花弁を眺め、それからリゼットを見る。
「でも、似合ってたよ」
「……何がですか」
「青い花」
「…………」
「いりません、そういうの」
「褒めただけなのに」
ユアンが楽しそうに笑う。
完全に遊ばれている。
リゼットは先に歩き出した。
「帰ります」
「送るよ」
「五分ですよ」
「知ってる」
「……もう、一人で帰れます」
「うん」
「じゃあ」
「送るよ」
勝てない。
リゼットは諦めて歩き出し、ユアンも当然のようにその隣へ並んだ。
祭りの準備を始めた家々の前を通るたびに、青い花が目に入る。
今年はきっと、ちゃんと見られる。
そんなことを考えていると、ユアンが不意に口を開いた。
「そういえば、明後日、店ちょっと任せてもいい?」
「どこか行くんですか?」
「隣町。仕入れ」
「仕入れなら、いつもの定期便が来るでしょう?」
「来るよ」
「じゃあ何で?」
「自分で見たいものがあって」
「何をですか?」
「魔力線とか、起動石とか。細かい部品」
リゼットは眉を寄せる。
「……それ、あの棚に置くやつですよね」
「そう」
「定期便じゃ駄目なんですか?」
「駄目じゃないけど」
ユアンは少し考えてから、さらっと言った。
「リゼットが使うなら、使いやすそうなのを自分で見て選びたいなって」
「…………」
「何?」
「いえ」
リゼットは前を向いた。
この人はどうして、こういうことを何でもない顔で言うんだろう。
「そんなに買わなくていいですからね」
「見てから決める」
「買う気じゃないですか」
「三段目、まだ空いてるし」
「埋めなくていいです!」
ユアンが笑った。
「明後日の朝出て、夕方には戻るよ」
「別に、帰る時間まで聞いてません」
「そう?」
「そうです」
「じゃあ言わなくてもよかった?」
「……言っておいた方がいいと思います」
「なんで?」
「店員なので。店主がいつ戻るかくらい把握しておかないと困ります」
「なるほど」
妙に納得した顔をする。
「じゃあ、夕方には帰る」
「はい」
「遅くならないようにするね」
「……別に急がなくても」
「でも、待ってるでしょ?」
リゼットは足を止めた。
「誰がですか」
「リゼット」
「待ちません」
「そっか」
「待ちませんからね」
「うん」
笑っている。
絶対に信じていない。
リゼットはむっとして歩く速度を上げる。
それでもユアンは、すぐ隣に追いついた。
明後日の夕方。
ただの仕入れだ。隣町へ行って、帰ってくるだけ。
そんなことを、わざわざ覚えておく必要なんてない。
――そう思ったのに。
なぜか、その時間だけは妙にはっきりと頭に残った。




