第6話「最初の魔物討伐」
第6話「最初の魔物討伐」
翌朝。
太陽が完全に昇るよりも早く、ラインドルフの街はすでに賑わっていた。
簡単な朝食を済ませたサクオミは、宿を出る。
ギルドカードは昨日購入した革製の財布に入れてある。
もう一方のポケットには、商売で得た金。
決して多くはない。
だが、食事を買うためだけにアース・アーカイブを開く必要はなくなった。
「とりあえず、これでいい」
サクオミは冒険者ギルドへ向かって歩き始めた。
目的は明確だった。
初めてのクエスト。
主人公のように経験値を得るためではない。
今の自分の身体が、どこまで戦えるのかを確認するためだ。
ヴェルセラで目覚めてから、この15歳の身体は以前の身体よりもずっと軽く感じる。
力もある。
身体の中に存在する魔力に至っては、底が見えないほどだった。
だが、魔物を倒すというのは単純に力だけの問題ではない。
地形を理解していない強者は、引き際を知っている普通の人間よりも早く死ぬことがある。
サクオミはそれを理解していた。
そして、彼はまだ魔物と戦ったことがない。
「だから、まずは簡単なところからだ」
---
ギルドへ入ると、昨日と同じような喧騒が耳に入ってくる。
今回は入口で立ち止まらなかった。
そのままクエストボードへ向かう。
ボードから依頼書を取っていた冒険者が、サクオミをちらりと見る。
「新人か?」
「分かる?」
「ギルドカードがまだ綺麗だからな」
サクオミは手元のカードを見る。
「ここからでも分かるのか?」
「持ち方で分かる」
「なるほど」
冒険者は笑った。
「初めてのクエストなら、変なのは選ぶなよ」
「簡単なものを探してる」
「それならいい」
男は何枚かの依頼書を指差した。
「グレイモスの森。ゴブリン、ホーンウルフ、フォレストボア。素材採取の依頼も多い」
サクオミはその中の1枚を取った。
「これ?」
「魔物討伐だ」
依頼内容を読む。
森の街道を脅かしている魔物の討伐。
報酬は討伐証拠と討伐数によって決まるらしい。
サクオミは頷いた。
「これならいい」
依頼書を持って受付へ向かう。
受付嬢は依頼書を確認すると、顔を上げた。
「グレイモスの森?」
「うん」
「1人で?」
「うん」
受付嬢はギルドカードを見る。
「ランクF」
「そう」
「危険は理解してる?」
「それなりに」
「……いや、本気で聞いてるの」
受付嬢の声が少しだけ真剣になる。
「グレイモスの森は散歩する場所じゃないわ。ゴブリンは比較的弱い。でもホーンウルフは群れで狩りをする。フォレストボアも追い詰められれば人間を大怪我させることがある」
サクオミは頷いた。
「自分の手に負えない状況なら、撤退する」
受付嬢は数秒間、サクオミを見つめた。
「……それならいいわ」
依頼書に判を押す。
「クエスト受理」
サクオミは依頼書を受け取った。
「ありがとう」
「それと、サクオミ」
「はい?」
「討伐数を稼ぐためだけに、森の奥へ入りすぎないこと」
サクオミは足を止めた。
「どうして?」
「新人冒険者が死ぬ原因は、最初に出会った魔物じゃないことが多いの」
受付嬢は続ける。
「自分がいつ帰るべきなのか分からなくなってしまうから」
サクオミは薄く笑った。
「俺、死ぬの嫌いだから」
受付嬢は少しだけ目を細める。
「それなら、同年代の子より長く生き残れるかもしれないわね」
サクオミは答えなかった。
依頼書をバッグへ入れる。
---
グレイモスの森までは、それなりに距離があった。
サクオミはランドクルーザーを使わなかった。
忘れていたわけではない。
あえて歩いている。
今回の目的は荷物を運ぶことではない。
地形を知ることだった。
ラインドルフを出ると、街道は徐々に静かになっていく。
家が少なくなる。
街の音も遠ざかる。
やがて道は土道へ変わった。
木々が次第に密集していく。
サクオミは森の入口で立ち止まった。
斜めに傾いた警告板が立っている。
GREYMOSS FOREST
その下には、魔物への注意事項がいくつか書かれていた。
「一応、警告はあるんだな」
サクオミは剣を確認する。
問題はない。
そして森へ入った。
---
グレイモスの森は、最初に訪れたラスクヴェイルの森よりも湿気が多かった。
地面には古い落ち葉が積もっている。
岩には苔が多く付着していた。
木々の隙間から差し込む太陽の光も細い。
サクオミはゆっくり歩く。
音楽なんてない。
クエストマーカーもない。
聞こえるのは鳥の声と葉が擦れる音だけ。
サクオミは立ち止まった。
「……静かだ」
完全な静寂ではない。
むしろ、小さな音が多すぎる。
虫。
鳥。
枝。
風。
サクオミは数秒間、目を閉じる。
そして再び目を開いた。
「何かが近づいてきたら、足音が違うはずだ」
再び歩き始める。
数分後。
地面に足跡を見つけた。
サクオミはしゃがみ込む。
「小さいな」
地面を見る。
足跡はそれほど深くない。
おそらくゴブリン。
サクオミは足跡を追った。
だが、すぐに追いかけるわけではない。
どこから来たのかを確認したかった。
しばらく進んだところで――
「……いた」
木々の間に2体の小さな影が見えた。
ゴブリン。
小柄な身体。
手には粗末な武器。
2体は何かを話している。
サクオミはすぐには攻撃しなかった。
観察する。
2体はこちらに気づいていない。
「こいつらが、俺にとって本当の意味で最初の魔物か」
手が剣の柄に触れる。
大きな恐怖はない。
だが、緊張はある。
身体が目の前にある危険を理解している。
サクオミはゆっくりと剣を抜いた。
その瞬間、1体のゴブリンが振り返った。
目が合う。
ゴブリンが叫んだ。
「グギャアアッ!」
もう1体もすぐに振り返る。
サクオミは前へ出た。
1体目のゴブリンが武器を振り上げる。
横薙ぎ。
サクオミは半歩下がった。
攻撃が身体の前を通り過ぎる。
「遅い」
身体を回転させる。
1閃。
ゴブリンが倒れた。
もう1体が叫びながら突っ込んでくる。
サクオミは受け止めた。
金属がぶつかる。
掌に痛みが走った。
「……力は弱くないな」
サクオミはゴブリンの腹を蹴った。
小さな身体が吹き飛ぶ。
サクオミは距離を詰める。
そして、最後の一撃。
森が再び静かになった。
サクオミはしばらく立ったままだった。
剣を握ったまま。
呼吸が少し荒い。
「……終わった」
地面に倒れた魔物を見る。
大きな勝利感はない。
ほんの数秒前まで生きていた存在が、自分の手によって死んだ。
ただ、それだけだった。
サクオミは剣を下ろした。
「……こういうものか」
刃を拭く。
そして自分の身体を確認する。
怪我はない。
「大丈夫だ」
クエストに必要な討伐証拠を回収する。
ゴブリン2体。
まだ少ない。
だが、無理をするつもりはなかった。
サクオミはさらに森の奥へ進んだ。
---
それから約1時間。
低い唸り声が聞こえた。
先ほどとは違う。
重い。
近い。
サクオミは足を止めた。
「ホーンウルフ」
もう一度、唸り声。
左側からだ。
サクオミはゆっくりと位置を変える。
そして見えた。
3体。
木々の間に立っている。
1体が前。
2体が後ろ。
サクオミは剣を構えた。
「3体か」
1体が動く。
サクオミは後ろへ下がった。
魔物が飛びかかる。
横へ避ける。
爪が肩の横を通り過ぎた。
サクオミはすぐに反撃する。
しかし、2体目が別方向から飛び込んできた。
「……同時か」
身体を回転させて受け止める。
爪が剣に叩きつけられた。
今度は衝撃が強い。
サクオミは数歩後退した。
「こいつらは、やっぱり違うな」
3体が散開する。
無闇に攻撃しているわけではない。
囲もうとしている。
サクオミは理解した。
「頭も回るのか」
左のホーンウルフが唸る。
右のホーンウルフが動いた。
サクオミはすぐに、最も狭い方向へ走った。
後退ではない。
突破する。
1体目が飛びかかってきた。
サクオミは身を低くする。
爪が頭上を通過した。
身体を回転させ、そのまま斬りつける。
1体が倒れた。
だが、息を整える暇もない。
2体目が背後から襲ってきた。
サクオミは動きを聞き取った。
振り返る。
遅い。
爪が左腕をかすめた。
「くっ……!」
痛みが走る。
致命傷ではない。
だが、十分だった。
サクオミは後退する。
ホーンウルフは追ってくる。
サクオミは剣を構えた。
「……これが最初のミスの代償か」
魔物を見る。
「油断すれば、普通に怪我をする」
3体目が動いた。
サクオミは2体を同時に見る。
そして地面へ視線を落とす。
1体の背後に、大きな木の根がある。
サクオミは笑った。
「……見つけた」
2体目が襲いかかる。
サクオミはギリギリで後退した。
ホーンウルフが身体の横を飛び抜ける。
サクオミはその勢いを利用した。
肩で魔物の身体を押す。
ホーンウルフの体勢が崩れた。
足が木の根に引っかかる。
身体が倒れる。
サクオミはその隙を逃さなかった。
戦闘を終わらせる。
残り1体。
最後のホーンウルフが唸る。
サクオミは立ち上がる。
左腕が痛む。
服に血が滲んでいる。
剣を強く握る。
「来い」
ホーンウルフが飛びかかる。
サクオミは退かなかった。
待つ。
距離が縮まる。
爪が身体に届く直前――
横へ移動する。
そして斬る。
攻撃が魔物の身体を捉えた。
ホーンウルフが倒れる。
サクオミは数秒間、その場に立ち続けた。
やがて剣を下ろす。
「……3体」
倒れた魔物を見る。
勝ったことによる自信はない。
むしろ逆だった。
今の戦いで得た教訓は、勝利よりも重要だった。
速さと力だけでは足りない。
身体能力に頼って戦うだけでは、相手の動きを読めなかった瞬間に怪我をする。
サクオミは左腕の傷を見る。
「こういうことで、オーソリティ・シェアを使うつもりはない」
バッグから布を取り出し、腕を巻く。
そして立ち上がった。
「まだ歩ける」
---
サクオミは再び歩き始めた。
しかし、今度はさらに慎重だった。
一直線には進まない。
数分おきに立ち止まり、周囲の音を聞く。
魔物の声を追いかけることもしない。
近づいてきたなら戦う。
多すぎるなら――
退く。
単純な原則だ。
そして、それは機能した。
さらに約1時間後。
茂みの向こうから、重い音が聞こえた。
今度は唸り声ではない。
荒い呼吸。
サクオミは葉をかき分けた。
目が少し見開かれる。
フォレストボア。
大きい。
地球で知っているイノシシより、はるかに大きい。
長い牙。
そして、その魔物は地面を前足で掻いていた。
サクオミはゆっくり後退する。
「……こいつは、舐めないほうがいい」
フォレストボアが頭を上げた。
空気を嗅ぐ。
サクオミは動きを止めた。
魔物がこちらを見る。
鼻を鳴らす。
そして――
走り出した。
「速い!」
サクオミは横へ飛んだ。
フォレストボアが木へ激突する。
木の幹が大きく揺れた。
サクオミはそれを見る。
「今のを食らってたら、骨が折れてたな……」
フォレストボアが振り返る。
サクオミは攻撃しない。
待つ。
再び突進。
今度はサクオミが大木へ向かって走る。
木にぶつかる直前、横へ曲がった。
フォレストボアは方向を変えきれない。
大きな根へ身体を叩きつける。
サクオミはその隙を利用して斬りつけた。
だが――
「硬い」
1撃では足りない。
フォレストボアが暴れ始める。
サクオミは後退する。
魔物の身体を見る。
明確な弱点は見えない。
「適当に攻撃してたら、こっちが先に疲れる」
待つ。
フォレストボアが再び突進する。
避ける。
待つ。
攻撃する。
下がる。
3度目になると、魔物の動きが少しずつ鈍くなってきた。
サクオミはついに隙を見つけた。
正確な1撃。
フォレストボアが倒れた。
サクオミは呼吸を整えながら立っていた。
「……重い」
額の汗を拭う。
「大きい魔物って、力が強いだけじゃないんだな」
クエストの証拠を回収する。
そして木々の隙間から空を見上げた。
太陽が沈み始めている。
「もう十分だ」
クエストを最大限までこなす必要はない。
安全のほうが重要だ。
---
ラインドルフへの帰り道は、行きよりも長く感じた。
サクオミの身体には疲労が溜まっている。
左腕の傷もまだ痛む。
それでも、大きな怪我ではない。
ようやくグレイモスの森を抜けた頃には、太陽は地平線に近づいていた。
サクオミは道端で立ち止まり、森を振り返る。
「俺は勝った」
少しだけ考える。
そして首を横に振った。
「……違うな」
自分自身の考えを修正する。
「帰ってこられた」
それのほうが重要だった。
---
サクオミがギルドへ戻った頃も、建物の中はまだ賑わっていた。
受付嬢がすぐに気づく。
「サクオミ?」
「はい」
「帰ってきたのね」
「まあね」
サクオミは討伐証拠をカウンターへ置く。
ゴブリン。
ホーンウルフ。
フォレストボア。
受付嬢は1つずつ確認する。
そしてサクオミの左腕を見る。
「怪我してるじゃない」
「少しだけ」
「少しだけ?」
「深くはない」
受付嬢はため息をついた。
「座って」
「大丈夫だって」
「座って」
サクオミは大人しく座った。
受付嬢が別の職員を呼び、傷を確認してもらう。
幸い、大した傷ではなかった。
受付嬢が再びカウンターへ戻る。
「クエスト完了」
サクオミは頷く。
「報酬は?」
受付嬢が計算する。
「ゴブリンは証拠に応じて。ホーンウルフも同じ。フォレストボアは討伐価値が高いから、その分が加算されるわ」
数字を記録する。
そして金を渡す。
「合計32銅貨」
サクオミは受け取った。
1度数える。
間違いない。
32銅貨。
受付嬢が続ける。
「証拠も揃っているし、クエスト中の問題もない。報酬は満額よ」
サクオミは金をしまう。
「ありがとう」
少し考えてから、尋ねる。
「ランクを上げたい場合は、どうすればいい?」
受付嬢は答えた。
「継続してクエストをこなすこと。魔物を倒すだけじゃないわ。ギルドは仕事の記録全体を見るから」
「つまり、討伐数だけじゃない?」
「そう」
サクオミは頷く。
「なるほど」
立ち上がる。
「じゃあ、帰る」
受付嬢は彼の腕を見る。
「それと、ちゃんと休むこと」
「分かった」
「明日、いきなりクエストを受けるのもやめてね」
サクオミは笑った。
「考えておく」
「サクオミ」
「ん?」
「それ、答えになってないわよ」
サクオミは小さく笑う。
「分かった。休むよ」
---
その夜。
サクオミは宿へ戻った。
テーブルの上に金を置く。
昨日の商売で得た金もまだ残っている。
そこへ今日のクエスト報酬を加える。
数える。
決して多くはない。
だが、これで分かった。
アース・アーカイブだけに頼らなくても、金を稼ぐ方法はある。
サクオミは左腕の傷を見る。
「……それに、この身体の限界も少し分かった」
椅子に座る。
しばらくシステムを開こうかと考えた。
しかし、やめた。
必要ない。
今日はもう十分だ。
窓の外から、ラインドルフの街の音が聞こえてくる。
馬車が通る。
人々が話す。
遠くからは警備兵の声も聞こえる。
サクオミはベッドへ横になる。
「明日は……」
考える。
今着ている服は十分に快適だ。
だが、アース・アーカイブにはもっと質のいい服がある。
そして昨日売った地球の服だけでも、商人が興味を示していた。
なら――
実際にどれほど違うのか試してみたい。
サクオミは薄く笑った。
「普通の服から試してみるか」
目を閉じる。
明日は戦いではない。
もっと単純なものを試す。
服。
普通の服でも金になるのなら――
アース・アーカイブには、思っていた以上に生活を快適にする方法があるのかもしれない。
そしてサクオミはまだ知らなかった。
自分にとって「普通」に過ぎない服が、ラインドルフの一部の住民にとっては――
高級品に見えることを。
---
【次の第7話 — 「地球の服は、異世界では高級品」】
「地球の服は、異世界では高級品。」
最初のクエストを終え、ラインドルフで足場を作り始めたサクオミ。
次に彼が試すのは、特別な技術でもない。
服だった。
ユニクロ。
GU。
Ni○e。
Ad○○as。
Le○i’s。
サクオミにとっては、どれも地球で普通に着る日常の服。
しかし、ヴェルセラの住民にとっては違う。
生地。
縫製。
着心地。
デザイン。
そのすべてが、まったく異なる価値を持っていた。
今回、サクオミを待っているのは新たな問題。
高すぎれば怪しまれる。
安すぎれば市場が注目する。
【第7話へ続く……】




