第5話「1枚のパンから始める」
第5話「1枚のパンから始める」
冒険者ギルドの建物へ入った瞬間、サクオミの耳に賑やかな声が一気に飛び込んできた。
あちこちから会話が重なっている。
笑い声。
報酬の分配について言い争う声。
魔物の素材が入った袋を運ぶ者。
酒を飲みながら、出入りする人間を眺めている者。
サクオミは入口の近くで、しばらく立ち止まった。
「……結構、賑やかだな」
すると、後ろから来た男がサクオミにぶつかりそうになって足を止めた。
「初めてなら、入口で突っ立ってるな」
「あ、すみません」
「登録受付は左だ」
「ありがとうございます」
男は、サクオミが名前を聞く暇もなく歩いていった。
サクオミは教えられた方向へ進む。
しかし、数歩歩いたところで足を止めた。
確かに登録受付はあった。
問題は――
その前に列ができていることだった。
しかも、かなり長い。
サクオミは小さく息を吐く。
「……どこの世界でも、行列からは逃げられないのか」
最後尾へ並ぶ。
待っている間も、視線だけは周囲へ向けていた。
壁には大きな掲示板が設置されている。
クエスト。
報酬。
護衛依頼。
素材の採取。
何人もの冒険者が掲示板から依頼書を取り、そのまま出ていく。
騒がしいように見えて、その裏にはかなり整理された仕組みがある。
サクオミは、こういう仕組みが嫌いではなかった。
ルールが書かれているなら、いちいち人に聞く必要がない。
やがて、前の人間の受付が終わった。
「次の方」
サクオミが前へ進む。
受付の女性が顔を上げた。
「冒険者登録ですか?」
「はい」
「初めてですか?」
「はい」
「お名前は?」
「サカキバラ・サクオミです」
女性が書類へ名前を記入する。
「年齢は?」
「15歳です」
女性の手が一瞬止まった。
「15歳?」
「はい」
「1人で?」
「はい」
女性はもう1度サクオミを見る。
「ギルドの基本規則は知っていますか?」
「まだ知りません」
「……少なくとも正直ではあるわね」
サクオミは笑う。
「そのほうが話が早いので」
受付嬢も小さく笑った。
「分かりました。登録後に、ランク、クエスト、報酬、それからギルドの規則について説明します。特定のクエストを受ける場合は、受注条件を確認してから受けてください」
「分かりました」
「武器は?」
サクオミは持っていた短剣を見せる。
受付嬢が軽く確認する。
「実力は?」
サクオミは少し考えた。
「生き残れる程度には」
「ずいぶん曖昧な答えね」
「実際、その程度なので」
受付嬢は小さく笑った。
「それじゃあ、基本確認から始めましょう」
それからしばらくして――
サクオミは受付を離れた。
手には、1枚のギルドカードがある。
名前。
年齢。
ランク。
基本情報。
すべてが記録されている。
サクオミはカードを見つめた。
「……これで、冒険者としての正式な身分を手に入れたわけか」
カードを慎重にしまう。
最初のランクはF。
当然だ。
まだ1つもクエストを達成していない。
実績もない。
評判もない。
サクオミ自身も、それでいいと思っている。
「いきなり高ランクを渡されたほうが怪しいからな」
掲示板へ向かう。
受けられそうな仕事はいくつかある。
薬草の採取。
荷物の護衛。
小型魔物の討伐。
書類の配達。
報酬は、それほど高くない。
サクオミは素早く計算する。
「これだけなら、食事と宿代はなんとかなる。でも、他の物まで買おうとすると時間がかかるな」
顎に手を当てる。
そして、あることを思い出した。
アース・アーカイブ。
地球の物。
車ではない。
コンピューターでもない。
武器でもない。
この世界の力関係を、いきなり変えてしまうような物でもない。
「……小さな物なら、売れるか」
サクオミはギルドを出た。
目的地は市場ではない。
異世界から来た人間でも、商品を買い取ってくれる商人を探すつもりだった。
ラインドルフの商業地区は、門の近くの大通りよりも遥かに忙しかった。
荷車が絶え間なく動いている。
袋が降ろされる。
木箱が運ばれる。
商人が作業員へ指示を出している。
サクオミはゆっくりと歩く。
いきなり商品を売り込むことはしない。
まずは価格を見る。
パン。
肉。
布。
香辛料。
塩。
地元のコーヒー。
茶。
どれも違う。
サクオミは、小さな店の前で足を止めた。
木製の看板には、食料品を扱っていることが書かれている。
店へ入る。
40歳前後の男が顔を上げた。
「何を探してる?」
「いくつか商品を売りたいんですが」
男がサクオミを見る。
「何の商品だ?」
「食料と調味料です」
「どこから?」
「遠い場所から」
「変わった商品を売る奴は、みんなそう言うんだよ」
サクオミは笑った。
「それなら、僕も仲間ですね」
「見せてみろ」
サクオミはバッグを開く。
すでに少量だけ用意してある。
塩。
調味料。
コーヒー。
チョコレート。
缶詰。
それぞれ1つずつ。
それ以上は出さない。
商人は、まず塩を手に取った。
包装を少し確認する。
「これ、塩か?」
「はい」
「変わった包装だな」
「僕のいた場所の商品です」
商人は少しだけ中身を取り出して味を見る。
すると――
表情が変わった。
「……きめ細かいな」
サクオミは何も言わない。
商人は袋を手で持ち上げる。
「いくらだ?」
「そちらの提示額を聞きたいです」
商人が目を細める。
「値段を決めてないのか?」
「この辺りの相場をまだ知らないので」
「少なくとも、知ったかぶりはしないようだな」
商人は秤を取り出した。
重さを確認する。
そして――
「3銅貨で買う」
サクオミは袋を見る。
昨日、レスタラで買った小袋の塩は2銅貨だった。
今回の塩は少し品質が良く、包装も遥かにしっかりしている。
だが、いきなり高値をつけるつもりはない。
「3銅貨」
「安すぎるか?」
「いいえ」
サクオミは頷いた。
「それでお願いします」
硬貨が交換される。
最初の取引――塩、3銅貨。
サクオミは受け取った金をしまう。
頭の中では、昨日作った大まかな基準を使っていた。
およそ¥300。
もちろん正式な為替レートではない。
ただ、自分の感覚から数字が離れすぎないようにするための目安だ。
「なるほど」
商人は次に調味料の袋を手に取った。
「こっちは?」
「試してみてください」
商人が少し開ける。
香りが広がった。
男は指先に少量をつける。
そして味見する。
「……なんだ、これ?」
「調味料です」
「何の調味料だ?」
「混合調味料です」
「詳しく言わないのか?」
「説明はできます。でも、こっちに同じ言葉があるか分からないので」
商人が笑った。
「少なくとも正直だな」
再び秤に乗せる。
「5銅貨」
サクオミはすぐには頷かなかった。
「これを最終的に客へ売るなら?」
「俺が売る値段を知りたいのか?」
「はい」
商人は数秒、サクオミを見る。
「気に入る客がいれば、8銅貨で売れるだろうな」
「つまり、3銅貨の利益」
「お前、商人じゃないのか?」
「違います」
「考え方は商人みたいだぞ」
サクオミは笑う。
「損するのが嫌いなだけかもしれません」
商人も笑った。
「5銅貨だ」
「分かりました」
2つ目の取引――調味料、5銅貨。
合計――8銅貨。
サクオミにとっては、金額以上に会話のほうが価値があった。
商人は販売価格まで教えてくれた。
つまり、ただ買い取っているだけではない。
商品の価値を試している。
サクオミは次の商品を取り出した。
コーヒー。
パッケージを見た商人が眉をひそめる。
「これは何だ?」
「コーヒーです」
「コーヒーなら知ってる」
商人は少し開封する。
香りを嗅ぐ。
「だが、これは違うな」
「加工方法が違います」
「いくらだ?」
サクオミは考える。
コーヒーは、自分が好きな物の1つだ。
安く売りすぎれば、すぐに手持ちがなくなる。
高すぎれば、商人が買わない。
「7銅貨」
商人は即座に首を振った。
「駄目だ」
「いくらなら?」
「4銅貨」
サクオミは商人を見る。
「安すぎます」
「売れるかどうか分からないからな」
「それなら、試しましょう」
「どうする?」
「1つだけ5銅貨で売ります。あなたが客に売ってみてください。売れたら、次の取引を考えましょう」
商人はしばらくサクオミを見つめた。
やがて笑う。
「本当に俺に試させるつもりか」
「試さなければ、分かりませんから」
「5銅貨」
「お願いします」
3つ目の取引――コーヒー、5銅貨。
合計――13銅貨。
商人はコーヒーを店の奥の棚へ置いた。
そして、チョコレートを見る。
「こっちは?」
「チョコレートです」
「菓子か?」
「まあ、そんなところです」
「値段は?」
「3銅貨」
商人が笑う。
「全部、1個単位で売るのか?」
「今は」
商人は少しチョコレートを割る。
そして味見する。
沈黙。
もう1口。
「……これは美味いな」
サクオミは笑いをこらえる。
「じゃあ、3銅貨で」
「2銅貨」
「3銅貨」
「2」
「少ししか持っていないので」
商人がサクオミを見る。
「いくつ持ってる?」
「多くはありません」
「なら、3だ」
「決まりですね」
4つ目の取引――チョコレート、3銅貨。
合計――16銅貨。
そして、最後の商品。
缶詰。
商人はそれを持ち上げた。
「これ、どうやって開ける?」
サクオミは缶の上部を指差した。
「ここを引いてください」
あらかじめ用意していた道具を使って、缶を開ける。
食べ物の香りが広がる。
商人が少し後ろへ下がった。
「……変な感じだな」
「食べ物です」
「そのまま食べられるのか?」
「はい」
「調理しなくていい?」
「大丈夫です」
商人は缶の中を見る。
それからサクオミを見る。
「これは買わない」
サクオミは気にしなかった。
「理由は?」
「中身が分からない。どれくらい保存できるのかも分からない。客が買うかどうかも分からない。それに、この容器は普通じゃない」
筋の通った答えだった。
サクオミは頷く。
「分かりました」
缶詰をバッグへ戻す。
無理に売ろうとはしない。
「見てくれて、ありがとうございました」
商人がサクオミを見る。
「怒らないのか?」
「どうして怒るんです?」
「商品を断られるのを嫌がる商人は多いからな」
「信用できない商品なら、それは商品の問題です」
商人は黙った。
そして、笑う。
「お前、名前は?」
「サクオミです」
「俺はダレルだ」
サクオミは頷く。
「ダレルさん」
「そのコーヒーとチョコレートが売れたら、また来い」
「考えておきます」
「ただし、持ってくる量には気をつけろ」
サクオミが見る。
「どうしてですか?」
ダレルはコーヒーとチョコレートを指差した。
「お前しか持ってない商品なら、客は気になる。だが、いきなり街中にお前の商品が溢れたら、今度は『どこから持ってきた』って話になる」
サクオミは黙った。
まさに自分が考えていたことだった。
「……同感です」
ダレルがサクオミを見る。
「新入りだろ?」
「はい」
「焦るな」
サクオミは売上の硬貨をしまった。
「いい忠告ですね」
サクオミは店を出た。
ポケットには――
16銅貨。
数m歩いたところで、道の端に立ち止まる。
「最初の成果か」
もう1度、頭の中で計算する。
塩――3銅貨。
調味料――5銅貨。
コーヒー――5銅貨。
チョコレート――3銅貨。
合計――16銅貨。
昨日と同じ頭の中の基準なら――
約**¥1,600**。
大した金額ではない。
だが、問題はそこではない。
アース・アーカイブの商品を、現地の金へ交換できる。
それを証明できた。
そして、もう1つ。
最初の限界も分かった。
大量に売らない。
安く売りすぎない。
説明できない商品を売らない。
そして、商人に「あり得ない場所から商品を持ってくる人間」だと思わせない。
サクオミは小さく笑った。
「思ったより、商売って面白いな」
再び歩き始める。
少し離れた場所で、別の食料店を見つけた。
今度は売るのではなく――
買ってみる。
「パン1個、いくらですか?」
若い女性が答える。
「2銅貨」
サクオミは2枚の銅貨を出した。
「1つください」
パンを受け取る。
少しかじる。
温かい。
それほど柔らかくはない。
だが、十分だ。
サクオミは頷いた。
「悪くない」
女性が笑う。
「焼きたてだからね」
「なるほど」
サクオミは残りをゆっくり食べる。
そして、今日ずっと考えていたことを思い出した。
最初から高級品など必要ない。
パン1個でもいい。
なぜなら、彼が築こうとしているのは単なる利益ではない。
この世界で生きるための足場だ。
少しの金。
少しの情報。
少しの人との繋がり。
1つずつ。
しかし――
商業地区を離れようとしたところで、誰かがサクオミを呼び止めた。
「おい」
サクオミが振り返る。
数m先に、商人らしい服装の男が立っていた。
「お前、さっき変わった商品を売ってただろ?」
サクオミはすぐには答えなかった。
「何のことですか?」
「コーヒーだ」
「それが?」
「ダレルの店から出てきたのを見た」
「……そうですか」
男が近づいてくる。
「買いたい」
サクオミは男の顔を観察した。
「どのくらい?」
「1箱」
答えが早すぎる。
サクオミは即座に首を振った。
「駄目です」
男が驚く。
「なぜだ? 金なら払う」
「そんな量は売りません」
「値段が安すぎるなら上げる」
「値段の問題じゃありません」
「じゃあ、何だ?」
サクオミはポケットに手を入れる。
「今は少ししか持っていないので」
嘘だ。
アース・アーカイブから、もっと出すことはできる。
だが――
この男に教える必要はない。
「じゃあ、次はいつ持ってくる?」
「まだ分かりません」
「お前、どんな商人だ?」
「商人じゃありません」
「でも商品を売ってるだろ」
「農民じゃなくても、パンは食べますよ」
男が黙った。
サクオミはその横を通り過ぎる。
だが――
背後から、男の声が聞こえた。
「1箱で1銀貨出すぞ」
サクオミの足が止まる。
1銀貨。
100銅貨。
先ほどまでの取引価格と比べれば、かなり高い。
しかし――
だからこそ、興味が湧かなかった。
「……断ります」
「なぜだ?」
サクオミが振り返る。
「なぜ、そこまで払うのか分からないからです」
男は答えなかった。
サクオミは薄く笑う。
「本当に欲しいなら、また今度話しましょう」
それだけ言って、その場を離れた。
夕方になり始める。
サクオミは宿へ戻った。
部屋に入り、ベッドの端へ腰を下ろす。
そして、今日の売上を取り出す。
16銅貨。
机の上へ並べる。
その横に、冒険者ギルドのカードを置く。
たった2つの簡単な物。
しかし――
この2つによって、サクオミの状況は変わった。
今の彼には、冒険者としての身分がある。
自分で稼いだ金もある。
そして――
自分が普通ではない商品を持っていることを知る人間が、少なくとも1人現れた。
サクオミは背もたれへ体を預ける。
「……早いな」
怖いわけではない。
だが、軽く考えるつもりもない。
アース・アーカイブは、サクオミに途方もない力を与えている。
しかし、それだけでこの世界を理解できるわけではない。
コーヒーを大量に売れば、商人は供給元を探す。
安く売りすぎれば、市場に影響を与える。
大量の商品を持ち込めば、人々は計算を始める。
そして、人々が計算を始めれば――
次に出てくる質問は決まっている。
「どこから持ってきた?」
サクオミはバッグを見る。
「……ゆっくりだ」
アイテムボックスからコーヒーを1袋だけ取り出す。
それを見つめる。
「まずは1つ」
1箱ではない。
1台の荷車でもない。
倉庫でもない。
たった1つ。
サクオミはコーヒーを再び収納する。
夜がラインドルフを包み始める。
窓の外からは、まだ馬車の車輪の音が聞こえていた。
街は動き続けている。
そしてサクオミが知らないうちに――
今日の小さな商売は、2つのものを生み出していた。
最初の金。
そして、最初の好奇心。
その2つは――
これからサクオミが想像していた以上に、扱いの難しいものになっていく。
【NEXT BAB 6――「最初の魔物討伐」】
「最初の魔物討伐」
ラインドルフで少しずつ足場を作り始めたサクオミは、初めてのクエストとしてグレイモスの森へ向かう。
標的は、決して強大な魔物ではない。
ゴブリン。
ホーンウルフ。
フォレストボア。
しかし、この旅はサクオミにとって――
ヴェルセラの魔物と実際に戦い、新しい身体の能力を本格的に試す初めての機会となる。
そして今回は――
AUTHORITY SHAREを使わない。
【第6話へ続く……】




