第4話「異世界の冒険者ギルド」
第4話「異世界の冒険者ギルド」
翌朝。
レスタラは、まだ冷たい空気に包まれていた。
サクオミは宿を出ると、小さなリュックを肩に掛け直した。
荷物は多くない。
簡素な服。
少しの食料。
水。
数枚の硬貨。
そして、昨日この世界の物価を知るためだけに買った塩の袋が1つ。
サクオミは、目の前に続く道を見つめた。
「サザン・ロイヤル・ロード……」
その名前は昨日聞いた。
南部と、より人の集まる地域を繋ぐ街道。
次の目的地はラインドルフ。
そこには冒険者ギルドがある。
もし聞いた話が本当なら、そこへ行けばより多くの情報を手に入れられる。
それだけではない。
アース・アーカイブから物を売り続けなくても、金を稼ぐ手段を得られるかもしれない。
サクオミは深く息を吸った。
「……出発するか」
レスタラを出る。
見送りもない。
式典もない。
村の住民にとって、旅人がやって来て、そして去っていくことは珍しいことではない。
サクオミにとっては、そのほうが都合がよかった。
注目されなければされないほどいい。
レスタラを離れる土の道を、ゆっくりと進んでいく。
すでに何人かの農民が畑で仕事を始めていた。
遠くから、馬車の車輪が地面を叩く音が聞こえる。
「おはよう!」
1人の農民が手を上げた。
サクオミも手を上げ返す。
「おはようございます」
そのまま歩く。
1km。
2km。
3km。
サクオミは、まだ車を使わなかった。
使いたくないわけではない。
まずは、この道そのものを確認しておきたかった。
目の前の街道は、まだそれほど混雑していない。
左右には木々が並んでいる。
馬車が何度も通った場所は地面が固くなっている。
一方で、別の場所には泥が残っていた。
サクオミは車輪の跡を観察する。
大きな馬車が通った跡。
馬の蹄の跡も残っている。
彼は一度しゃがみ込んだ。
「雨が強く降ったら、ここはかなり面倒だな」
地面に触れる。
湿っている。
だが、深くはない。
まだ通行できる。
サクオミは立ち上がった。
「でも、こうやって歩くのは……」
前方を見る。
まだ道は長い。
「……結構疲れるな」
口元が少し上がった。
歩くこと自体が嫌いなわけではない。
だが、アイテムボックスに現代の車を収納できると分かっている。
それなのに、普通の旅人に見せるためだけに何十kmも歩く。
さすがに少し馬鹿らしく感じてきた。
4km。
5km。
サクオミは足を止めた。
後ろを見る。
もうレスタラは見えない。
前方には大きな旅団もない。
家もない。
道の近くに立っている人もいない。
あるのは森と、遠くへ続く土の街道だけ。
「ここなら……大丈夫そうだ」
サクオミはリュックを下ろした。
周囲をもう1度確認する。
それから、システムへのアクセスを開いた。
ただし、いきなり車を呼び出すわけではない。
すでに、やってはいけないことは理解している。
現代の車を道の真ん中に突然出すわけにはいかない。
誰かに見られれば、問題になる。
馬車の集団の真ん中に突然車が出現すれば、人々はパニックになるかもしれない。
王国の衛兵の前に出現させた場合、それが何なのか。
そして、自分が何をしたのか。
そもそも、どんな罪に問われるのかさえ分からない。
狭い道なら――
「……人を轢く可能性だってある」
サクオミは小さく息を吐いた。
「安全第一だな」
アース・アーカイブから車両を選択する。
トヨタ・ランドクルーザー300。
しばらくすると、その車両はアイテムボックスへ収納された。
直接、世界に呼び出したわけではない。
収納しただけだ。
サクオミは目の前の空間を見る。
「なるほど。こういうルールか」
頭の中でもう1度手順を整理する。
車両を選ぶ。
召喚する。
車両をアイテムボックスへ収納する。
安全な場所を探す。
そして、そこから取り出す。
単純だ。
しかし、こういう単純なルールこそ、多くの問題を防ぐことができる。
サクオミはシステムへのアクセスを閉じた。
そして、街道から少し離れた平坦な場所を選ぶ。
「……今だ」
アイテムボックスを開く。
次の瞬間――
トヨタ・ランドクルーザー300が、何もない地面の上にゆっくりと現れた。
爆発音はない。
派手な光もない。
ただ、現代の車が――
中世風の世界の真ん中に、静かに存在していた。
サクオミは数秒間、黙って車を見つめる。
「……やっぱり、場違いだな」
車へ近づく。
ボンネットに触れる。
そして運転席のドアを開けた。
そこには、見慣れた現代の内装がある。
サクオミは運転席に座った。
ハンドルを握る。
ヴェルセラへ来てから初めて、彼の表情が少しだけ緩んだ。
「よし」
エンジンを始動する。
低く重いエンジン音が響いた。
サクオミは笑う。
「これだよ、これ」
車が動き出す。
最初から速度は上げない。
サクオミは路面の状態を確認する。
不規則な地面を、サスペンションが吸収していく。
タイヤが柔らかい土を踏みしめる。
速度を調整する。
「この道なら、まだ大丈夫だな」
数分後、少し幅の広い道へ出た。
サクオミは徐々に速度を上げる。
景色が、歩いていた時とは比べものにならない速度で流れていく。
左右の木々が次々と後ろへ流れていく。
さっきまで長く感じていた道が、一気に短く感じられた。
サクオミは背もたれに体を預ける。
「長距離を移動するなら……」
快適そうに息を吐く。
「……やっぱり、この車を使ったほうがいいな」
ハンドルを安定して握りながら、続ける。
「速いし、楽だし、荷物もたくさん積める」
小さく笑う。
「この世界が中世だからって、わざわざ苦労する必要はないだろ」
だが――
数分後。
サクオミは速度を落とした。
前方に何かがいる。
人間ではない。
1匹の魔物が、道の真ん中に立っていた。
その姿には見覚えがある。
ホーンウルフ。
「……またか?」
魔物が車を見つめる。
すぐには襲ってこない。
サクオミもアクセルを踏まない。
観察する。
魔物が唸った。
そして、ゆっくりと前へ出てくる。
サクオミは窓を少しだけ開けた。
「道を空けてくれるなら、こっちも通るんだけどな」
ホーンウルフが、さらに大きく唸る。
「……言葉は通じないか」
サクオミは右側を見る。
十分なスペースがある。
ゆっくりとハンドルを切る。
しかし――
ホーンウルフが突然動いた。
「っ!」
サクオミはブレーキを踏む。
タイヤが地面を擦る。
車が魔物の数m手前で止まった。
「おい」
ホーンウルフが身体を低くする。
サクオミは、その動きを見て理解した。
「まさか……」
次の瞬間。
ホーンウルフが跳んだ。
「来るか!」
サクオミはアクセルを踏み込む。
ランドクルーザーが一気に前へ飛び出した。
ホーンウルフは車体に届かず、そのまま横へ落ちる。
サクオミはバックミラーを見る。
ホーンウルフが立ち上がった。
そして――
追ってくる。
「マジかよ」
車の速度を上げる。
魔物との距離が少しずつ開いていく。
サクオミは短く笑った。
「これなら、わざわざ戦わなくてもいいな」
しかし――
前方で道が分かれている。
サクオミは古い木製の案内板を見つけた。
1つは南へ。
もう1つは木々の間へ続く細い道。
「間違えるなよ、俺」
車を減速させる。
案内板の文字は、かなり古い。
一部はほとんど消えかけている。
サクオミは目を細めた。
「サザン・ロイヤル・ロード……こっちだ」
主要街道を選ぶ。
しばらく進むと、ホーンウルフの姿は完全に見えなくなっていた。
サクオミは息を吐く。
「車があるからって、全部の問題が解決するわけじゃないか」
顎に手を当てる。
「でも、少なくとも走って逃げなくていい」
昼前になると、サザン・ロイヤル・ロードは徐々に賑やかになってきた。
馬車。
商人。
旅人。
武器を持った者たち。
弓を背負った者。
剣を腰に下げた者。
サクオミはすぐに速度を落とした。
「……これは無理だな」
前方を見る。
このままランドクルーザーで人々の間を走れば、注目されないほうがおかしい。
サクオミは街道脇の空き地を探した。
少し先。
木々の向こうに開けた場所がある。
ハンドルを切る。
停車。
エンジンを切る。
「ここまでだな」
サクオミは車を降りる。
もう1度、自分の車を見る。
そしてアイテムボックスを開く。
ランドクルーザーが収納空間へ消えていく。
痕跡はない。
煙もない。
何も残っていない。
サクオミはポケットに手を入れる。
「つまり……」
目の前の賑やかな街道を見る。
「人がいる場所では、歩く」
そして歩き始めた。
しばらくすると、1台の馬車が横を通り過ぎる。
「どけ!」
サクオミはすぐに道端へ寄る。
「すみません」
御者は軽く頷いただけで、そのまま走り去っていった。
サクオミは馬車の車輪を見る。
そして街道を見る。
「この世界の輸送は、まだ本当に動物の力が中心なんだな」
システムを開くことはしなかった。
必要ない。
自分の目で答えを見た。
再び徒歩に戻ったことで、移動速度は落ちた。
だが、サクオミは気にしなかった。
むしろ、すれ違う人々を観察する余裕ができた。
布を運ぶ商人。
武器を持った2人の冒険者。
長い耳を持つ男と、その仲間たち。
弓を背負った女性。
誰もサクオミを特別に気にしてはいない。
――ただし。
1人の鎧を着た男が、サクオミの横を通り過ぎたところで足を止めた。
「君、1人か?」
サクオミが振り返る。
「はい」
「どこへ向かってる?」
「ラインドルフです」
「初めてか?」
「はい」
男はサクオミのリュックを見る。
「冒険者か?」
「まだ違います」
「登録するつもりか?」
サクオミは頷いた。
「そのつもりです」
男が前方を指差す。
「この道を進めば、エルヴァーン検問所に着く」
「どのくらいかかりますか?」
「歩きなら?」
「はい」
男は太陽を見る。
「何もなければ、数時間だな」
サクオミは頷く。
「ありがとうございます」
「気をつけろよ」
男は再び歩き出した。
サクオミは、その背中を見送る。
「数時間か……」
小さく笑う。
「車なら、もっと早いんだろうな」
だが、車は出さない。
すでに周囲には人が多すぎる。
エルヴァーン検問所が見えてきた。
大きな要塞というわけではない。
しかし、次の街道へ進む人間や馬車を管理するには十分な規模だった。
衛兵。
門。
そして、順番を待っている何人もの商人。
サクオミも列に並ぶ。
前では、1人の商人が衛兵と揉めていた。
「俺は通行税を払ったぞ!」
「これは荷物にかかる税じゃない」
「じゃあ何だ?」
「検査費用だ」
「そんなもの、いつからある!」
「この道が修復されてからだ」
「どこが修復されたんだよ!」
衛兵が街道を指差す。
「そこだ」
商人が振り返る。
そして沈黙する。
「……確かに、新しい石があるな」
衛兵は頷いた。
「次」
サクオミは思わず笑いそうになった。
「……行政っていうのは、どこの世界でも行政なんだな」
やがて、サクオミの番になる。
衛兵がこちらを見る。
「目的地は?」
「ラインドルフです」
「どこから来た?」
「レスタラから」
「仕事は?」
「まだありません」
衛兵が眉を上げる。
「冒険者か?」
「まだ登録していません」
「商人?」
「違います」
「じゃあ、何だ?」
サクオミは少し考えた。
「旅人です」
衛兵はサクオミを頭から足元まで見る。
「1人か?」
「はい」
「武器は?」
サクオミは旅の装備として持っていた短剣を見せる。
衛兵が確認する。
「使えるのか?」
「必要なら」
「最近、この辺りは魔物が多いぞ」
サクオミは頷いた。
「すでに何度か会いました」
「生きてるってことは、逃げ方を知ってるわけだな」
「まあ、そんなところです」
衛兵が笑う。
「通っていい」
「ありがとうございます」
サクオミは検問所を通り抜ける。
反対側へ出てから、少しだけ振り返った。
そして、また1つ理解した。
この世界では――
誰が何者なのかという情報は、単なる安全確認のためだけに存在しているわけではない。
その人間がどう扱われるのかを決める。
冒険者。
商人。
旅人。
騎士。
それぞれに、それぞれの道がある。
そしてサクオミには――
まだ何の肩書きもない。
「だから、ギルドが必要なんだな」
そう呟き、再び歩き始めた。
やがて夕方。
エルヴァーン橋が見えてきた。
かなり幅のある川の上に、石造りの橋が架かっている。
馬車が次々と通っていく。
何人かの商人が一時的に足を止めている。
サクオミは橋の端に立ち、下を流れる水を見た。
「結構、大きいな」
近くにいた男が声を掛けてきた。
「エルヴァーンは小さな川じゃないからな」
サクオミが振り返る。
男は背中に斧を背負っていた。
「ラインドルフへ?」
「はい」
「新人冒険者か?」
「まだです」
「登録するなら、あまり遅くならないほうがいいぞ」
「どうしてですか?」
「ギルドは夜まで登録を受け付けてるが、あまり遅い時間になると審査が翌日に回されることがある」
サクオミは頷く。
「審査?」
「基本的な身分確認。能力確認。それからギルドの規則の説明だ」
「なるほど」
男は笑った。
「心配するな。何も知らずに来る奴は、お前が初めてじゃない」
「それを聞いて安心しました」
橋を渡り終えると、2人は別れた。
サクオミは再び歩く。
遠くに何かが見えてきた。
壁。
レスタラよりも大きい。
そして、明らかに人が多い。
大きな門。
見張り塔。
様々な方向から入ってくる馬車。
そして、異なる装備を身につけた人々。
サクオミは足を止めた。
「……ラインドルフ」
ついに。
レスタラから始まった旅が、城門都市へと彼を運んできた。
ランドクルーザーを出して、残りの距離を一気に進むこともできる。
だが、今はその時ではない。
人が多すぎる。
目が多すぎる。
そして――
可能性が多すぎる。
サクオミは首の後ろを軽く掻いた。
「静かに生きたいなら、自分から問題を作るなってことだな」
再び歩く。
門へ近づくほど、街の音が大きくなる。
商人の呼び声。
馬のいななき。
人々の話し声。
金属がぶつかる音。
パンを持って走る子供。
仲間と大声で笑う冒険者。
馬車を検査する衛兵。
この世界は――
生きている。
自分のためだけに用意された場所ではない。
そこにいる人々が、それぞれの日常を生きている。
サクオミは小さく笑った。
「……そういうことか」
そして、ラインドルフの門前に立つ。
衛兵が声を上げる。
「次!」
サクオミが前へ進む。
「目的は?」
「街に入ります」
「用件は?」
サクオミは迷わず答えた。
「冒険者ギルドに登録するためです」
衛兵が頷く。
「それなら真っ直ぐ行け。ギルドは中央区だ。大きな建物だから、見落とすことはない」
「分かりました」
サクオミは街へ入った。
その門の向こうには――
さらに広い世界が待っている。
冒険者。
魔物。
金。
クエスト。
そして――
これまで探してきた情報。
サクオミは、賑やかな街道を見つめた。
「これからは、ちゃんとした身分が必要だな」
小さく笑う。
「それなら……異世界の冒険者ギルドってやつを見てみるか」
ヴェルセラへ来てから初めて。
サクオミは、ただ安全に眠れる場所を探すためだけに街へ入ったのではない。
目的がある。
登録する。
仕事を得る。
金を稼ぐ。
そして、この世界を理解する。
この世界で生きる人々が働く場所から、世界を知る。
その道の先に――
冒険者ギルドの紋章を掲げた大きな建物が見えてきた。
サクオミは足を止める。
「……やっと見つけた」
ギルドの扉へ向かう。
手が、扉の取っ手へ伸びる。
そして――
サクオミは小さく笑った。
「頼むから、あまり面倒じゃありませんように」
扉が開く。
次の瞬間――
賑やかな声が、一気にサクオミを迎え入れた。
【NEXT BAB 5――「一枚のパンから始める」】
「1枚のパンから始める」
ラインドルフで、サクオミはアース・アーカイブから少量の物品を売り、金を稼ぐことを試みる。
いきなり大規模な現代技術を持ち出すつもりはない。
この世界の住民から見れば、ごく普通に見える物だけ。
しかし――
その「普通の物」が、サクオミの想像を超える価値を持っていることを知ることになる。
塩。
調味料。
コーヒー。
チョコレート。
缶詰。
そして簡素な衣服。
それらを使い、サクオミは初めて商売を試す。
そして、すぐに1つの事実を知ることになる。
地球では安く、ありふれた物でも――ヴェルセラでは安いとは限らない。
【第5話へ続く……】




