第三十二話
私はエリン。
旦那様、いえ坊っちゃまの奥様の専属侍女として働くキョウトゥー伯爵家の家門の一人でございます。
八歳年下の坊っちゃまのおしめも私が替えていました。
大奥様や乳母と共に、私が坊っちゃまを育てたと言っても過言ではないでしょう。
坊っちゃまに、婚姻してからしばらくして本当の春が来ました。
坊っちゃまに嫁がれたシャロン様は、淑女然とした可愛らしい女性で、事前調査からも非の打ち所のない御方。我が家門に相応しい方が嫁いでいらっしゃったと侍女長と安堵したものです。
ですが、あまりに完璧な淑女で控えめな奥様と、うちの奥手な坊っちゃまという組み合わせは、私が思い描いていた初々しさががなく、ちょっと残念に思ってもいました。
ですが、ある日判明したのです。
大人しい奥様の初々しい乙女な一面と、胸に秘めたるうちの坊ちゃまへの溢れんばかりの愛が!
唐変木ではないけれど、立派な朴念仁のうちの奥手な坊ちゃまは、奥様にかかれば、寡黙で素敵な大人の紳士になるのです。恋とはここまで盲目なものなのかと、日記に秘められた奥様の想いに侍女長や他の侍女仲間と涙を流して感謝したのです。
そう思えば、奥様の淑女然とされている意味も変わって参ります。
きっと、奥様だけに見えている寡黙で素敵な大人の紳士の坊ちゃまに相応しくあろうとした涙ぐましい努力なのだと。
何故なら奥様は、坊っちゃんだけでなく、侍女達の前でさえ、淑女然とした姿を崩されず、熟女たらん為に、頬を染める素振りさえ見せないのです。日記では盛大に悶えたり、ご友人の前では惚気ていらっしゃいますが。
奥様の前ですぐに真っ赤となり、紳士の仮面が剥がれてしまいがちな坊っちゃんとは偉い違いです。奥様はそれにも気付いていらっしゃいませんが。
とにかく、私共、家門の女達は萌え上がりました。
日記から伝わる奥様の本音のそれはそれは可愛らしい事!
きゅんきゅんしてしまいます。
健気でまだまだ十代の初々しいお気持ちの全てが、私共を萌え上がらせるのです!
専属侍女を増やすべきだ、と言う声が瞬く間に挙がり、屋敷内からも領地からの希望者達からも、抗議が殺到する日々です。
ですが、誰よりも早く、坊ちゃまよりも早く、一番最初に奥様の日記を拝見できる栄誉は一日足りとも手放せません。
私が休みの日は、侍女長がその任に嬉々と就かれるので、二人で結託して抗議を黙殺しております。
さて、日々淑女として努力される奥様ですが、ご自身では、どうにもならない坊っちゃんに関連する悩みがある場合は、専属侍女である私に頼って下さるようになりました。
頼られる事が嬉しく、心の中で盛大に萌え死んでしまいそうになります。
ですが‥‥奥様が、深刻に悩んでいる場合の殆どは、原因も問題も全て坊ちゃまにあり、その度に、育て方が悪かったのかと、私も侍女達も家門の女達も、盛大に頭を悩ませることになるのです。
ある日、いつものように書庫で読書を嗜まれている奥様の本を捲る手が止まり、深刻そうな表情で窓の外をぼうっと眺めていらっしゃいました。
「奥様、何かお悩みでもございますか?」
「え‥‥そう見えたかしら?ごめんなさい。ちょっと旦那様の事で‥‥」
はああああああ。
また坊っちゃんが何か奥様を困らせる行動をされている気配をヒシヒシと感じます。
「私はいつでも奥様の味方です。些細なことでもお話下さい」
「有難う、エリン。実はね‥‥この三日くらいなのだけど、旦那様のお気持ちがよくわからなくて‥‥」
「どういう状況の時にそう思われたのですか?」
「二人でいる時だけなのだけど、指輪を頻りに気にされるのよ」
「指輪を?例えばどのようにですか?」
「毎日エリンが指輪を含めて、その日の装いに合わせて装飾品を見立ててくれるでしょ。私はいつも気に入っているわ。でも、ここ三日は、旦那様が指輪を見ては、他の指輪も似合うんじゃないかとか、他の意匠も良いんじゃないかとか。そう仰るの。似合っていないと思われているのかしら‥‥」
正直、ブチ切れそうでございます。
「似合ってないなど、そんな事は絶っ対に御座いません。大丈夫ですよ、奥様。このエリンがすぐに解決してみせます。お任せ下さい」
「でも、旦那様のお好みに合わせたほうが‥‥」
「絶っ対にそんな事は御座いませんからご安心なさって下さい」
「エリンがそう言うなら‥‥。でも、旦那様には秘密にしてね。こっそりと解決してね、エリン。お願いよ」
「お任せ下さい」
女性の、それも自身の妻の装いに文句を付けるなど、紳士の風上にも置けません。
奥様の健気なお姿に、早急に解決すべきだと、即行動に移します。
「旦那様、最近旦那様が可怪しいと奥様から相談を受けたのですが、一体何をされているのですか?」
「え?」
「二人きりになるとここ三日程、奥様の指輪に都度文句を仰っていたそうですね。奥様は旦那様の気持ちや言動の意味がわからず混乱しているそうです」
「‥‥いや、文句ではなく‥‥」
「旦那様ぁ‥‥何してんですか?」
項垂れながら目線を泳がせる坊ちゃま。
またいつのように空回りしての奇行なのでしょう。早く白状させねば。
「で、何を思ってそういう可怪しな言動をされたのです?」
「‥‥実はな、王太子殿下に‥‥聞いたのだ‥‥」
「何をお聞きになったのです?」
「‥‥東の国では、夫婦で揃いの結婚指輪を左の薬指に着けるのだと‥‥。永遠の愛の証しになると聞いて‥‥」
「「‥‥‥‥」」
もう、頭を抱えたくなります。
本当に育て方を間違えたのかしら‥‥。
「え?旦那様は揃いの指輪を作りたくての言動がそれってことですか?」
「は‥恥ずかしくて‥‥」
「「‥‥‥‥」」
その日の内に、商会に連絡を取り、段取りを取る。
次の日には、商人に予め指示していた通りに「東の国の結婚指輪の話」を吟遊詩人のごとく語らせ、指輪をお勧めしてもらい、無事に揃いの指輪を注文することが出来、奥様も大変お喜び頂けました。
ちなみに、この商会も同じキョウトゥー伯爵家の血族。非常に協力的で、率先して一晩で台本まで拵えて準備して下さる程の力の入れ様でした。彼も例の情報網で情報を逐一仕入れている一人なのでしょう。
手の掛かる坊ちゃまの代わりに恋路―根回し―のお手伝い。
毎回情けない坊ちゃまですが、奥様はそれすら気付かず、ひたすらに坊ちゃまを愛して下さいます。
こんな天使のようなお嫁様、奇跡としか言いようがありません。
絶対に逃がしませんっ!うちの坊ちゃまにも頑張っていただかねば!
恋に盲目な奥様の清らかな瞳に映る、寡黙で素敵な大人の紳士な霧が晴れないよう、家門の女一同、祈りながら奥様の可愛らしさに萌え上がる日々。
最っ高の職場でございます!




