第96話 勇者の剣、二千年の目覚め
リファーナさんは、考古学の難しそうな本をめくった。
古い紙の匂いが、研究室の空気に静かに混ざる。
「火、水、風、雷、土、闇、そして時の理。
この七つの属性からなる魔素の理論体系を、古代では“七理の法”と呼んでいたの」
ページをめくる音が、静かに響く。
「大抵の人は、一つの属性を持って生まれる。
女神の加護といわれているものね。まれに複数の加護を同時に持つ者もいるけれど……」
そこで、リファーナさんは本から目を離し、少しだけ表情を曇らせた。
「同時に、加護をまったく与えられない、魔法を使えない人たちが、わずかにいる。
ローディンや、リュウ、そして……あなたもそうね」
胸の奥に沈んだ疑問を、そっと掬い上げるように言葉を続ける。
「私はずっと思っていたの。光の女神様は、なぜそんな不平等なことをなさったのかしらと」
古代の文献を読みあさった日々。
リファーナさんの視線が、遠い記憶を追うように揺れる。
「古代にも無色の民が一定数いたみたい」
そこで、リファーナさんは静かに息を吸った。
「光の女神様は、無色の民に加護を与えなかったのではない。別の役割をお与えになったのよ」
その声には、確信と敬意が混ざっていた。
「だって、厄災を、ガイアビナスを退けたのは、ローディンだけだったのよ」
ページの上に置かれた指先が、かすかに震える。
「光の女神様は、万が一魔力が暴走したときの“防衛装置”として無色の民をお造りになった……
私はそう考えているの」
リファーナさんは、淡く息を吐いた。
「あなたの剣の修復が終わったら、アスピア皇国に向かいましょう」
アスピア皇国……
胸の奥がかすかに震える。
リリーナの故郷、時の巫女のいる場所。
なにかがつながるような気がした。
――――――
それから、ひと月後。
鍛冶場の奥で揺れていた炉の赤い光が、ゆっくりと弱まっていく。
長い時間をかけて燃え続けた火が、ようやくその“役目”を果たし終えたのだと告げるように。
やがてゴードさんが、重い足取りで姿を現した。
顔には疲労が隠せない。
それでも、どこか誇らしげに見えた。
その手には、かつて僕が抱えていた剣とは、まるで別物のような一本があった。
錆に覆われていた刀は、静かな白銀色へと姿を変えていた。
刃はわずかに反り、ときおり獲物を探すように、鈍い黒光りを返す。
柄は、決して折れることを許さぬ意思を宿したかのように、刃と一体の金属で作られていた。
その上から、握りやすい黒革が巻かれている。
鍔には、古代の意匠とも、ただの摩耗ともつかない、細い溝が、静かに刻まれていた。
手に吸い付くような冷たさと重み。
そして、光が刃に触れた瞬間、黒光りする刃が、すべてを切り伏せるかのような威圧感を立ち上げた。
ゴードさんは剣を両手で支え、まるで神具でも扱うように慎重に差し出した。
「……できたぞ」
その声には、鍛冶師の誇りと畏れが混ざっていた。
「二千年分の錆を落とした。こんな仕事は、生涯で二度とねぇ」
空間がわずかに揺らぎ、刃の周囲の空気が“深く沈む”ような感覚が走る。
僕は息を呑んだ。
ゴードさんは剣を見つめたまま、低く呟く。
「……鍛冶師の勘だがな。こいつには怨念が宿ってる。
並の相手なら、こんな剣はいらねぇ。鉄も鋼も通らねぇ“理外の化け物”を斬るために……そのことだけを思って作られた刃だ」
ゴードさんは、鍔の部分を指でなぞった。
「それと……この細ぇ溝よ。意匠なのか、ただの摩耗なのか……判断がつかねぇ。
ここだけはどうしても均せなかった。
――これを作った奴が、超硬質の刀身に“あえて”何かを刻もうとしていた。……そんな執念を感じるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、リファーナさんの瞳が、かすかに揺れた。
古代文明を解き明かす学士として、残された“刻み”に宿る想いを、遥か古の時代まで見通さんとする静かな強さが、その瞳に宿っていた。
ゴードさんは、作業台の端に置かれた鞘を手に取った。
黒革の上に、細い銀の縁取りが走っている。
余計な装飾は一切なく、刃を収めたときに無駄な遊びが出ないよう、寸分の狂いもなく仕上げられていた。
ゴードさんは鞘を持ち上げた。
「鞘はおまけだ。その剣にみっともなくねぇよう、うちで特注した。抜きやすいように、調整してある」
リファーナさんが、小さく息をつくように頷いた。
「ありがとう、ゴードさん。あなたの腕がなければ、ここまで辿り着けなかった」
ゴードさんは鼻を鳴らしたが、その目はわずかに潤んでいた。
「礼なんざいらねぇよ。オリハルコンなんて代物、この世界の鍛冶屋で触れたのは俺くらいだ。生涯で二度とねぇ“仕事”だ。死んでも悔いはねぇ」
僕は剣を受け取った。
「小僧。この剣はな……古代の化け物を斬り倒すための"兵器"だ。手元が狂えば、敵より先に自分の手足を切り落とすぞ」
ゴードさんは剣を軽く持ち上げ、その重さを確かめるように言った。
「ローディンを超えられねぇようじゃ、この剣は応えねぇ。あの世のローディンを震え上がらせるくらいの根性を見せてこい」
――この剣は、ただの武器じゃない。
古代人が僕たちに残した希望、ローディンさんの魂、リファーナさんの愛。
リュウさんやレイン先生の誇り。
僕はこの剣で、ジーク教の野望を断つ。そしてアミリアを守る。
僕は小さく息を吸い、まっすぐにゴードさんを見た。
「……はい。必ず、やってみせます」
ゴードさんは満足げに鼻を鳴らした。
僕の決意に呼応するように白銀の刃が、鈍く黒光りした。
炉の赤い光が、輝きを取り戻した剣に淡く反射し、三人の影をゆっくりと揺らす。
その揺らぎは、まるで未来へ続く道を照らす灯火のようだった。
――――




