第92話 虹の刃
その静けさの中で、リュウさんの声が落ちてきた。
「ロキ君。裏の修練場まできてください。君の剣を……見せてください」
僕は小さく息を吸い、頷いた。
庭を抜ける小径を、リュウさんの背中を追って歩き出す。
踏みしめる土の感触が、いつもより少しだけ重く感じた。
――そして、僕は頷き、ゆっくりと構えを取った。
子供の姿に戻ってしまったとはいえ、毎日毎日、ひたすら振り続けた剣の感覚は、体の奥に染み込んでいる。
足の運び、肩の力の抜き方、刃の軌道。
どれも、幼い体に不釣り合いなほど整っていた。
リュウさんは、僕の動作ひとつひとつを確かめるように黙って見ていた。
やがて、静かに息を吐いた。
「……なるほど。カイエン由来の剣技に、間違いはないようですね」
声は淡々としていたが、その奥には、長い年月をかけて培われた者だけが持つ確かな手応えがあった。
「……よくここまで」
リュウさんは僕の構えを見つめながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「力も、技も……積み重ねてきたものが、ちゃんと備わっている。」
リファーナさんはその様子を見守りながら、どこか不安そうに目を細めていた。
剣を握る僕を、そっと案じるように。
リュウさんは、その光景を静かに見つめていたが、やがて何かを決めたように息を整えた。
「……基礎がきちんとできています。子供たちは……しっかり導いてくれたようです。
――これなら、修得するのに時間はいりません。」
その声は低く、覚悟を固めた者の静かな響きを帯びていた。
――リュウさんは半身になり、左手で鞘を握り、右手で柄に触れる。
見覚えがある。
この構えは、かつてレイン先生が、ジーク教の司祭を切り伏せたときと同じものだ。
リュウさんが深く腰を落とした瞬間、空気がわずかに張りつめた。
その眼光は、先ほどまでの穏やかさとはまるで違う。
鋭く、研ぎ澄まされ、長い年月を剣と共に生きてきた者だけが持つ目だった。
本気となったレイン先生と同じ……いや、それ以上の気迫がある。
「今から放つのは……剣の理を極めた勇者ローディン様が、最も得意とした剣技です」
リュウさんは淡々と語っているのに、その奥に潜む重さは隠しようがなかった。
空気がびりびりと震える。
「ローディン様が振るうこの神速の剣技は、魔力の法則を断ち切る七色の光となり、あらゆる魔法を斬り払いました」
淡々と語られる言葉なのに、その一つひとつが重く響く。
「戦場では魔獣の屍が山となり、古代兵器が沈み、かの厄災すらおそれ逃げた。
――そして人々はこの剣技をこう呼びました」
リュウさんは静かに目を細めた。
「――虹の刃と」
リュウさんは僕を見つめる。
「ローディン様から受けた恩、私の罪への贖罪、そのために君に、この剣技を繋ぎます」
リュウさんの視線が、まっすぐ僕を射抜いた。
「剣を前に。本気で防がないと……死にますよ」
その言葉は脅しではなく、ただの事実だった。
リュウさんの気迫で、背筋に冷たいものが走る。
威圧感、そして――“殺気”。
(逃げられない。ローディンさんの魂。リファーナさんの想い。そしてリュウさんの覚悟。)
胸の奥で、小さな虹色の光がふっと揺れた気がした。
「七理の法剣……虹の刃……」
リュウさんがそうつぶやいた。
――次の瞬間。
リュウさんの剣が、音もなく引き抜かれた。
「虹閃斬!!」
――光る。
七色の光が走り、置き去りにされた抜刀音が、空気を震わせた。
抜かれた刃からほとばしった虹色の剣圧が、僕のさびた剣と交差する。
――轟。
遅れて“風”が吹き抜けた。
錆びた剣が、僕の首が体から離れるのを辛うじて防いでくれた。
だが、その衝撃までは受け止めきれなかった。
虹色の剣圧に弾かれ、僕の体は修練場の柵を突き破り、地面に激しく転がった。
――衝撃が、胸の奥まで突き抜け、視界がぐらりと揺れ、音が遠のいていく。
僕の意識は、そこで途切れた。
――――
――リファーナは、はっと息を呑んだ。
普段は滅多に見せない焦りが、彼女の表情に浮かぶ。
倒れたロキへ、思わず駆け寄った。
その動きには、迷いもためらいもなかった。
ただ、彼を失うことを恐れる気持ちだけが、静かに滲んでいた。
彼女の手がロキの体に触れた瞬間、
その表情に張りつめていた緊張が、ほんの少しだけほどける……
――――――
柔らかくて、温かい……安心する。
視界が白く染まり、意識がぼんやりする。
気づくと、僕はリファーナさんの膝の上で眠っていた。
その笑顔は、いつもよりずっと優しい。
「よかった……目が覚めたのね」
その声は、ただ僕の無事を確かめて安心してくれたような声だった。
遠のいていた意識をそっと引き戻してくれる。
目を覚まし、ゆっくりと身を起こした僕に、リュウさんは静かな笑顔を向けた。
その横顔には、どこかレイン先生の面影があった。
「私の剣が、最後まで見えていましたね。それは一朝一夕でできることではない。
今の君なら……長い期間を要さず、この剣技を得とくできます」
言葉は淡々としているのに、その声音には、確かな期待と温かさが宿っていた。
「しばらく……ここに通って、この剣技の基礎を得とくしましょう。
そのあとは……自ら道を切りひらくのです」
リュウさんの声は穏やかで、けれどその奥には、揺るぎない確信があった。
僕はゆっくりと頷いた。
胸の奥に残る温もりと、リュウさんの言葉の重さが、静かに混ざり合っていく。
その様子を、リファーナさんは静かに見つめていた。
先ほどまでの緊張や心配の色は、もうどこにもない。
代わりに、遠い未来を見守るような、柔らかな光がその瞳に宿っていた。
僕がこれから歩む道の先に希望を見ているかのように。
リュウさんは僕の剣を見て、リファーナさんに問いかけた。
「……この後は、彼のもとへ?」
(彼?)
「ええ。剣を修復しなければなりませんから」
僕は剣を抱えたまま、少し不安げに尋ねた。
「どこに行くのですか」
リファーナさんは僕の目を見て、静かに、しかしどこか誇らしげに言った。
「鍛冶場よ。そこで、あなたの剣の……二千年分の錆びを落とす。
その剣を本当の姿に戻さないと」
その言葉には、リファーナさんの確かな自信が浮かんでいた。
――――――




