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無色の勇者と七色の約束  作者: 白猫サクラ
第16章 永久の愛と紡ぐ意思
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第91話 逃げた剣聖の始祖

 ――短い飛行の後、


 帝都から少し離れた、風の音だけが聞こえる閑静な土地へと降り立った。


 そこは、かつて修道院だった場所らしい。


 広い敷地の中央には、塀囲いされた古い木造の家屋が一棟。

 本堂や回廊はすでに失われ、かつて修道士たちが暮らした“宿舎だけ”が静かに残っている。


 手入れは行き届いており、どこか祈りの余韻を宿した佇まいだった。

 囲いの向こうでは、数人の子供たちが走り回っている。

 その笑い声が風に乗った瞬間、胸の奥がかすかに疼いた。


 僕の世界の孤児院で聞いた夕暮れのざわめきが、ふと音だけで蘇る。


 リファーナさんはその光景を見つめながら、ほんの少しだけ目を伏せた。


 「彼らは……カイエン国の子供たち。エグザリア軍にさらわれ、ローディンが救い出した子たち。……皆親を殺され孤児になったの」


 僕は、息を呑んだまま、しばらく言葉が出なかった。

 胸の奥が、ゆっくりと沈んでいく。


 子供たちの笑い声が、懐かしさと痛みのあいだで揺れ、

 どこか自分の過去に触れられたように響いた。


 その時――ギィ……


 かすかな軋みが、静かな空気を揺らし、家の扉が、ゆっくりと開く。


 「リファーナ様……」


 男が現れた。

 日焼けした肌に、粗布の作務衣のような簡素な衣。

 鍛えられた体つきなのに、どこか影を背負ったような佇まいだった。


 彼は膝をつき、主に礼を捧げるように深く頭を下げた。


 リファーナさんは首を振る。


 「そんなことしなくていいのよ」


 男は、顔を伏せたまま、苦しげに言った。


 「……いいえ……私はリファーナ様に顔を向けることはできません……到底、許されるはずがありません……」


 リファーナさんは何も言わず、僕の方へ視線を向ける。

 

 男の目が僕を捉え、腰の剣に気づいた。


 その瞬間、男の表情がわずかに強張り、まるで息を忘れたように動きを止めた。


 「……その剣は……お預かりしたものと……同じ……?」


 男の声は、驚きが追いついていない。


 「ええ。ローディンが最後まで手放さなかった、あの剣。そして……未来から来たこの子が託された剣よ」


 男は震える手で僕の剣に触れようとした。


 だが、刃先に指が届く直前で、その手が止まる。


 まるで、自分には触れる資格がないとでも思っているかのように。

 指先が宙で震え、男はゆっくりと手を引っ込めた。


 リファーナさんは一歩近づき、静かに言う。


 「もし、あなたの中に……後悔があるのなら」


 その言葉が落ちると、空気がわずかに揺れた。

 男の肩が、静かに沈む。


 「ローディンの願いとしてこの子に、魔力を断ち切るカイエンの剣技――"理の剣"を教えてあげてほしい」


 沈黙の中、風が、囲いの向こうの子供たちの声を運んでくる。


 「剣聖の血を継ぎながら、何ひとつ応えられなかった私に、ローディン様は剣を教えてくださった。……それなのに……私は剣を捨てて逃げた男です。父の期待を裏切り……ローディン様を、仲間を置いて、ただ一人、生き延びた臆病者です。」


 言葉を吐き出したあと、男は目を伏せたまま動かない。

 その背に、後悔の重さが滲んでいた。


 「私は……カイエンの誇りである剣すら手放して逃げた……生きる価値のない男です。」


 リファーナさんは、男の目をまっすぐに見つめた。


 その瞳には、静かな強さがあった。


 「あなたは、光の女神に見捨てられたと思いながら、それでも毎日、礼拝堂で懺悔を捧げているのでしょう。街では、行き場のない子どもに食べ物を分けたりしていた。そして……カイエンの子供たちに、ひそかに剣を教えている。」


 男の指先がわずかに揺れた。

 否定も肯定もできず、ただ沈黙だけが落ちる。


 「それは、あなたの中に……まだカイエンの戦士としての誇りが残っているからではないの?」


 僕は錆びた剣を握りしめた。

 その気配に気づいたように、リファーナさんの視線が僕の剣へ向く。


 「この子は、二千年の時をこえて、この剣を持ってきた。それは……あなたが生涯をかけて、そしてあなたの意思を継いだ者たちもまた、ずっと務めを果たしてきたからよ」


 リファーナさんは、そっと男に向き直る。


 「光の女神は、あなたを見捨ててなどいない。むしろ……あなたの役割をお示しになっているのではないかしら。だからこそ、あなたの懺悔が届き、ローディンの剣を持ったこの子がやってきたのよ」


 言葉が静かに落ちる。

 男は息を呑んだまま、動けずにいた。


 「お願い……ローディンの剣技を教えられるのは、あなたしかいないの。」


 リファーナさんの声には、前に進んでほしいという願いが滲んでいた。


 「あなたがあの日、剣を捨てて逃げたのなら……今度は、この子を守るために剣を振って。私たちに希望を与えてくれた、ローディンの勇気をあなたが、つないで」


 男は深く息を吸い、僕の剣を見つめた。

 その目に宿る影が、ゆっくりとほどけていく。


 やがて、男は顔を上げる。

 男の瞳には涙がこぼれていた。

 押し殺してきた感情が、堰を切ったように震えた。


 それは、長いあいだ胸の奥で固まっていたものが、ようやく動き出したかのような震えだった。


 「……わかりました。ローディン様にできる、私の唯一の償い。この身に残った、ただひとかけらの誇りを……生涯をかけて、お捧げいたします」


 その言葉が空気に沈み、しばらく誰も動かなかった。

 風の音だけが、静かに庭を渡っていく。


 ――男は、僕の腰の剣に視線を落とし、息をするのを忘れたように動きを止めた。

 錆びがまとわりつき、長い年月を耐え抜いた痕跡だけが残る剣。


 「……その剣は、外側こそ朽ちていますが……中はまだ生きています。」


 男はしばらく僕の剣を見つめていた。

 その目は、遠い記憶のどこかを探しているようだった。


 やがて、男はゆっくりと言葉を落とす。


 「……この剣は……どうやって君の手に?」


 僕は、まっすぐに答えた。


 「先生に……この世界に来る時、渡されました。――魔法が使えない僕に……剣を教えてくれた人です」


 男は目を細める。


 「……その先生のお名前は?」


 「レイン・カグヤ先生……」


 その名を聞いた瞬間、男の呼吸が乱れた。

 深く息をつき、胸の奥に押し込んでいた何かが、静かにほどけていくような表情になる。


 「……女神様……そんなことが……本当に……」


 その声は、誰に向けたものでもなかった。

 自分を責め続けてきた男の、抑えきれない独白だった。


 ――風が庭を渡り、子供たちの笑い声が遠くで揺れていた。


 リファーナさんは、ゆっくりと男の横顔に視線を向けた。

 その瞳は、すべてを見通すように静かで、どこか確信めいた光を宿していた。


 「あなたは、もう十分に懺悔したわ。今は前に進んで……あなたの子孫が育てた、この子を助けてあげてほしい」


 僕は思わず顔を上げた。

 子孫……何のことだろう。


 男は、覚悟を決めたように、静かに言葉を落とした。


 「私は……リュウ・カグヤ」


 稲妻のような衝撃が走った。


 「カグヤ……?……レイン先生と同じ…」


 ――言葉がつまる。


 「まさか……レイン先生の……」


 リュウさんが“女神様”と口にした理由が、ようやく分かった。

 魔法が使えない自分を、ずっと“女神様に見捨てられた存在”だと思っていた。


 だから信仰心なんて持てるはずがない。

 その痛みは、僕にも分かる。


 けれど、ここに至るすべてが、どうしても“偶然”とは思えなかった。

 女神様は、本当はずっと見ていてくれたのかもしれない。

 僕は、そう思った。


 ――風が、庭をゆっくりと渡っていく。


 木々の影が揺れ、遠くの笑い声がかすかにほどけていく。

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