第90話 古代の剣と七理の法
翌朝
リファーナさんの研究室――
“壁映の間”を抜けた先の部屋。
「ここは"理式"の間よ」
リファーナさんの声が石壁に淡く反響した。
部屋の壁面には、古代の方程式と思われる難解な図式が刻まれていた。
その中心に据えられた魔導装置が、六色の光を脈動させている。
赤。青。黄。緑。茶。紫。
六つの理式を示す色が、淡く呼吸するように明滅していた。
ただひとつ、その隣にある『空白の座』だけが静かに沈黙している。
リファーナさんはその光景を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「どうもこの施設は、ガイアビナスを無効化する方法を研究していた施設のようなの……」
そう言うと、リファーナさんは僕の手にある剣へと視線を落とした。
「その剣は……古代人の兵装よ。
遺跡に残された断片的な記述や、風化した文献を読み解くかぎり、古代人はガイアビナスに対抗するため、文明の叡智を結集して"戦士"に持たせるための剣を鍛えていたのだと思われる。」
リファーナさんは、わずかに視線を落とした。
「ガイアビナスが使役する"ワルキューレ”や"バルキリア”などの古代兵器は、強力な魔法耐性を持つ"ミスリル合金"で作られていたの。
並の魔法も武器も通じない。魔法を主戦とする古代人にとってそれは絶望的だった」
僕は、まだ知らぬ古代兵器が残されているという事実に衝撃が走った。
「遺跡の断片を読み解くかぎり、彼らは最後の瞬間まで、諦めずに研究を続けていた。
でも、完成する前にガイアビナスが文明を滅ぼしてしまった。」
リファーナさんは、そっと僕の剣に触れた。
「けれど、ひとつだけ、試作と思われる兵装が、高度な封印術式で守られるように厳重に保管されていた。――それが、今あなたが持つ剣」
その声には、確かな震えがあった。
「この剣は、オリハルコンという希少金属で作られていて、ミスリル合金すら断ち切り、刃こぼれ一つ付かないわ。
――ただ、この剣が完成したものなのかどうかは分からない」
リファーナさんが魔導装置を見上げる。
「文明は滅び、研究は途絶えた。
それでも古代人は、この剣を厳重な封印術式で守り残していた」
リファーナさんは、錆びた剣の柄へそっと指を伸ばし、まるで大切な記憶に触れるように撫でた。
「その事実を思うたびに……志半ばで倒れた彼らが、後世の私たちへ何かを必死に訴え、わずかな希望を託したのだと、私は感じずにはいられないの」
リファーナさんは小さく息をついた。
その表情は、遠い記憶を探るように静かだった。
「ローディンが振るう“七色の刃”と、この剣は確かに共鳴した。
ガイアビナスを完全に倒すことはできなかったけれど、あの絶対障壁を断ち切れたのは、この二つが重なった瞬間よ」
錆びた剣の内側では、淡い脈動がかすかに揺れた気がした。
まるで、まだ鼓動を保っているかのように。
「――逃げたのよ。あのガイアビナスが。
古代文明すら滅ぼした厄災が、ローディンの剣を恐れて魔素が満ちる界域の深層へ逃げたの」
その声には、二千年前の戦いを知る者だけが持つ、深い実感が宿っていた。
――リファーナさんは、壁に刻まれた六色の理式へと視線を戻した。
「古代人は、六つの理式、火・水・雷・風・土・闇までは完成させていた。
けれど、七つめの“時の理”だけは時間が足りなかった。
光の真理や界域のゆがみ、時間への干渉――それらを束ねる時の理がここで完成するはずだった」
そして、リファーナさんは、どこか嬉しさを含んだ声で続けた。
「でもね、私は、隣国"アスピア皇国”で、その“時の理”のヒントを見つけたの。
古代人が成し遂げられなかった研究の欠片をね」
リファーナさんは、深く息を吸い込んだ。
「この部屋は、この施設のほんの一部にすぎない。
地下には、まだ多くの研究資料が眠っている。
まだまだ分からないことがたくさんある。けれど……」
そこで、彼女の瞳がふっと揺れた。
淡い光を宿し、静かに熱を帯びていく。
「古代人が成し遂げられなかった"魔工学"の極致……
"七理の法"を解き明かせば、必ずガイアビナスを倒せる。」
その目は、迷いのない確信に満ちていた。
「私は、生涯をかけて解き明かすつもりよ。
古代人が伝えようとした意思を、必ず引き継いでみせる」
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
リファーナさんの言葉が静かに落ち着いた瞬間、部屋の空気がわずかに震えた気がした。
僕は息を呑む。
目の前にいるのは、優しい研究者ではない。
二千年前の戦いを生き抜き、愛する人を失ってなお、古代文明の謎と、古代人が残した“真意”を一人で背負い、それを解き明かそうと前へ進む、大賢者の姿そのものだった。
その綺麗な横顔に宿る迫力に、僕はただ気圧され、視線を離すことができなかった。
――――
――――
静寂が落ち、リファーナさんが言葉を落とす。
「あなたに会わせたいひとがいるわ」
そう言うと、踵を返し、研究棟の裏手、竜舎へと迷いなく歩き出した。
扉を開けると、係留されていた飛竜が静かに首を上げる。
僕は以前と同じようにリファーナさんの後ろ、その背へと続いて跨がった。
――飛竜はゆっくりと身を沈めて重心を整えると、大きな翼を一度だけ、深く広げた。
地面を蹴り、空気に溶けるようにふわりと浮かび上がる。
高度を取るにつれ、風の流れが肌にやわらかく触れた。




