第89話 勇者が残した宝物
――少し歩くと、帝都を一望できる丘の上の公園に着いた。
風が吹き、草が揺れる。
夕日が黄金色に帝都を柔らかく照らしていた。
僕は思わず息を呑む。
「カーネスト帝国の帝都……街並みは違うけど、僕のエルミナ共和国と同じです。
……これが二千年前の姿……」
胸の奥がじんわり熱くなる。
言い伝えの中でしか知らなかった世界が、今、目の前に広がっている。
「あそこに魔導学院があるんです。毎日そこに通っていて……」
指さした先には、白い塔のような建物が見える。
「となりが聖浄院。六賢者が結界を守ってて、幼馴染のアミリアもそこに……」
リファーナさんは僕の横顔を見つめ、ふっと優しく微笑んだ。
そして静かに言葉を落とした。
「ここは……私とローディンのお気に入りの場所」
僕は黙って耳を傾ける。
「この世界は、ローディンが守ってくれた。だから私は、この世界を守りたいの」
その声は、愛と誓いが混ざったような、深い響きだった。
僕はうつむき、震える声で言った。
「あの……リファーナさん。さっきは、ごめんなさい……」
リファーナさんが目を瞬いた。
「古代の文明を滅ぼした映像を見て……僕たちの敵が、あんな恐ろしい敵だったなんて……」
言葉がうまく出ない。
「リファーナさんは世界のためにずっと戦ってきたのに……僕だけが不幸みたいな言い方して……その……ごめんなさい」
リファーナさんは首を振った。
「いいのよ。あなたが不遇な目に遭ったのは事実だもの」
風が二人の間を通り抜ける。
「……私も、あの存在が怖い……あれに立ち向かえる勇者は……ローディンはもういないの」
リファーナさんの声が、少しだけ震えた。
「だから……未来であれが復活したとき、未来の子どもたちが自らの魔法で立ち向かえるよう……
そう強く願ってしまったのね。」
その言葉には後悔と祈りが同時に、そして静かに沈んでいた。
「その歪みが、魔法を使えない子が辛い目に遭う世界を作ってしまった。」
リファーナさんは夕陽を見つめながら続けた。
「でも、剣の血筋は途絶えず、あなたを未来から送ってくれた」
僕は小さくつぶやいた。
「僕の先生は……カイエン国の末裔で、最後の生き残りだって言っていました。
普段は優しい孤児院の院長で……親がいない子どもたちに、勉強や剣を教えていました。」
その言葉を聞いた瞬間、リファーナさんの目から、ぽろりと涙が落ちた。
「カイエン国の子どもたちは……私との約束を二千年も守ってくれていたのね……」
夕陽が沈み、帝都に灯りがともり始める。
二千年前の風が、静かに二人を包んだ。
――リファーナさんの横顔を見ると、胸の奥がざわりと揺れた。
あれ……?
リファーナさんの瞳の色。
深い青色を含んだ、あの独特の光。
アミリアと、同じ色だ。
「リファーナさんの目……アミリアと同じ」
顔立ちも、雰囲気も……どこか重なる。
「え……?」
リファーナさんは疑問の色を浮かべる。
けれど、その表情の奥に、ほんの一瞬だけ“何かが触れたような揺らぎ”が走った。
それだけじゃない。
髪を留めている小さな飾り。七色に輝く細い糸。
光を受けて淡く揺れる虹のきらめき。
――間違いない。
アミリアが大事にしていた“宝物”。
お母さんからもらったと言っていた髪飾りと、まったく同じ。
僕は思わず目を凝らした。
リファーナさんは僕の視線に気づき、髪飾りにそっと触れた。
「……これね。ローディンが……私に贈ってくれたものなの」
その声は、遠い記憶を撫でるように静かだった。
「腕利きの細工師さんに、特別に一つだけ作ってもらったの。
魔法コーティングが施されていて千年経っても、色褪せないのよ」
リファーナさんの頬が赤くなる。
「この髪飾りのモチーフになった花の意味は、“永久の愛”。
彼……すごく恥ずかしがり屋で、渡すとき、顔を真っ赤にしていたの」
リファーナさんの表情が、ふっと柔らかくなる。
「その姿が可愛くて……思わず、私のほうから手を取ってしまったの」
――風が吹き、草が揺れ、髪飾りが淡く光った。
「その髪飾り……アミリアと同じ……アミリア、お母さんからもらった宝物だって言ってた」
毎日のように見ていたアミリアの髪飾り――見間違うはずない。
リファーナさんの表情に、衝撃が走る。
「……え……?」
瞳が大きく見開かれた。いつも冷静な彼女の動揺が、はっきり伝わる。
次の瞬間―
リファーナさんはそっと"お腹"に手を添えた。
その仕草は、自分でも無意識に出たもののようだった。
僕は息を呑む。
リファーナさんの唇が震えた。
「この子が……」
言葉が続かない。
風が止まり、帝都の音が遠くなる。
二千年の時を越えた何かが、静かに、確かに結びついていく。
青い瞳。
かすかな面影。
母からもらった特別な髪飾り――“宝物”。
そして、アミリアの卓越した魔法の才能。
偶然ではありえない。
リファーナさんの指が、お腹の上で震えた。
声が細く、消え入りそうだった。
「……ローディンの残してくれた宝物は……未来で……ちゃんと……生きてくれていたのね……」
リファーナさんの瞳から、大粒の涙がこぼれた。
運命というものなのだろうか。
僕はその涙の意味を、やっと理解した。
水の賢者アミリアは、勇者ローディンと大賢者リファーナ・ラズウェルの子孫なのだと……
――記憶の底
“別れの前夜”が静かに浮かび上がる。
アミリアの声。アミリアのお母さんの子守歌。
そして、アミリアの髪に揺れていた髪飾り。
それらが走馬灯のように重なり、胸が締めつけられる。
『英知の賢者は夜道を照らし
虹の剣は勇気を示す
厄災断つは虹の刃
怖い夜でもひとりじゃない
七つの光があなたを守る』
この歌はきっと、リファーナさんが語った勇者ローディンの物語を、その子どもたちがいつしか歌にしたものなのだろう。
そうして受け継がれた歌声が、アミリアのお母さんのもとへも届いた。
二千年の時を越え、ローディンさんとリファーナさんの想いは、確かに未来へと息づいていた。
――――――
――――――
夜の帳が降り、帝都の灯りが遠くに瞬いていた。
リファーナさんの研究所の奥にある、静かな居住区は、魔導灯の柔らかな光が、部屋を淡く照らしている。
「今日は……いろいろあったものね」
そう言うと、リファーナさんは香りの立つスープと、焼きたてのパンを用意してくれた。
湯気がふわりと立ちのぼり、心まで温めてくれるようだった。
僕はその湯気を見つめながら、今日一日、胸の奥に積もっていたものがゆっくりほどけていくのを感じた。
リファーナさんは僕の顔を見て、ふっと、少しだけ照れたように微笑んだ。
その笑みは、“大賢者”ではなく、ローディンさんとの未来の“宝物”の話が気になって仕方ない、少女のような笑みだった。
「その……アミリア……さんのこと……よかったら、聞かせてくれる?」
言いながら、リファーナさんはほんの少しだけ視線をそらした。
頬が少し赤くなっている感じがした。
まるで、胸が高鳴ってしまうのを、悟られたくないように。
僕はうなずいた。
「はい。アミリアは……」
「―――――」
僕が語り始めると、リファーナさんははそっと椅子に腰を下ろし、両手を膝の上で組んで、静かに耳を傾けた。
その横顔は、どこか母のようで、そして、どこか少女のように照れていた。
「アミリアは……僕の幼馴染で、ずっと一緒に育ったんです。
村の収穫祭で、孤児院の礼拝堂で一緒にいたずらして、修道士のローレットさんに怒られたりもして……」
胸の奥に懐かしい気配がそっとよみがえった。
「僕が魔導学院に行くって言ったら、“私も一緒に行く”って、迷いなく言ってくれて。
明るくて、優しくて……国中の魔導士が驚くほどの才能で……」
胸の奥が、そっと痛んだ。
「でも、そのすごさが……離れ離れになるきっかけになってしまいました……」
僕は、そっと拳を握った。
「十三歳で、六賢者の一人として結界を守る役目に選ばれて……。
同級生は魔導学院に入って、普通に過ごしてるのに……アミリアだけ聖浄院に上げられて。
アミリア泣いてました……」
リファーナさんは胸元にそっと手を添え、その指がかすかに震えていた。
「僕は……弱くて……守るって約束したのに、守れなかった……」
僕はうつむき、言葉を探すように息を吸った。
「僕……アミリアのことが好きで……」
リファーナさんはわずかに息をのんだ。
「別れの前の夜、二人で約束したんです。
必ずアミリアのことを迎えに行くって……」
喉の奥がつまって、声が途切れた。
その様子を見たリファーナさんは、静かに立ち上がった。
――そして、そっと僕を抱きしめた。
「……ありがとう」
耳元で、震える声がした。
「あなたは……大切な人を守るために……ずっと一人で頑張ってくれたのね……」
リファーナさんの瞳には涙が浮かんでいた。
それは、二千年の時を越えて受け継がれた“二人の命”が、未来で確かに生きていたことを知った女性の涙。
自分たちの願いを抱えた少年が、自分たちの宝物を好きと言い、二千年の時を越えて自分のもとへ辿り着いた。
その奇跡に震える想いと少年への感謝だった。
母の涙に似ているけれど、母そのものではない。
それでも、胸の奥が静かに震えるほどの、深い安堵と温かな誇りに満ちた涙だった。
その後もリファーナさんに、思い出をたくさん話した。
幼い日の約束も、森での出来事も、アミリアの笑顔も、涙も、強さも。
夜が遅くなってもリファーナさんはずっと耳を傾けていた。
その瞳には、これから生まれてくる子どもたちを守り抜こうとする、深く静かな決意が宿っていた。
――――――




