第83話 写真の中で寄り添う二人
――しばらく歩くと、森の自然に囲まれた建物が見えた。
その前に立った瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。
どこか、見覚えがある。
「あ……」
思わず声が漏れた。
リファーナさんが振り返る。
「どうしたの」
僕は震える指で、目の前の建物を指さした。
「ここ……知ってます……」
リファーナさんの瞳がわずかに細められる。
「知っている……?」
僕は息を吸い、言葉を絞り出した。
「……ダンジョンです。レイン先生とリリーナに送り出された場所……」
僕のいた世界では、樹木が生い茂り、建物のほとんどが崩れていたけど間違いない。
リファーナさんの表情が静かに変わった。
驚きではなく、深い理解の色。
「……そう。未来では、ここが“ダンジョン”になるのね」
その声は、まるで“すべて繋がった”と悟った者の静けさだった。
あの歪み。あの叫び。あの光。
リリーナが頬にキスしてくれて、ミミーのしっぽがふわりと揺れた。
そして、レイン先生が叫んだあの場所。
リファーナさんは、そっと僕の手を握り直した。
「今は……ただの研究施設よ。私の家みたいなものなの。
職場は軍庁舎にあるんだけど、ここの方が落ち着くのよ」
――リファーナさんが扉に手を触れると、魔力が流れ扉が開いた。
中に案内され、僕は部屋の中央に置かれた木の机に腰を下ろす。
研究室は、壁一面を埋め尽くすほどの本に囲まれていた。
古びた本棚がいくつも並んでいる。
背表紙には、魔工学、考古学、古代史、遺跡研究、難しそうな古代研究の専門書ばかりがぎっしり詰まっていた。
リファーナさんは、本当に学者みたいだ。
魔法文明の仕組みを解き明かし、失われた時代の技術を追い求める者。
そんな気配が、部屋の空気そのものに静かに漂っていた。
ふと、本棚の上に置かれた魔道射影器の写真が目に入った。
淡い光に照らされて、二人の姿が鮮明に浮かんでいる。
ひとりはリファーナさん。
もうひとりは……見たことのない男性。
けれど、リファーナさんの隣に立つその姿は、
どこか自然で、まるでそこにいるのが当たり前のように見えた。
写真を見つめていることに気づいたリファーナさんが、写真にそっと触れながら言葉を落とした。
「彼はローディン。私の大切な人……だった」
その言葉は、胸の奥から絞り出すように静かだった。
(この人がローディンさん……)
「ついこの間まで、私の隣にいてくれてた……」
リファーナさんは、写真からそっと手を離した。
その仕草は、彼が戻らないことを静かに受け入れているようでもあった。
部屋の空気が、わずかに沈む。
その横顔は、優しくて、深い哀しみを抱えていた。
リファーナさんは、少しだけ視線を落とした。
「……ロキ君。あなたの時代で、ローディンはどう語られているのかしら」
その声は、過去と未来をつなぐ扉をそっと開くように静かだった。
僕は少し俯き、正直に答えた。
「僕の国では、僕の時代では……世界を救ったのは大賢者様で……その話だけが歴史として教えられています。それ以外は何も……」
リファーナさんのまつげが、わずかに震えた。
そして、ほとんど聞き取れないほどの声で呟いた。
「彼の名は、歴史に残らなかったのね……」
瞳に、光がひとつ滲んだ。
やがて、その光が、そっと頬を伝い、一粒だけ落ちた。
それだけで、彼女がどれほど大切に思っていたのかが伝わってきた。
「ごめんなさい。少し、昔のことを思い出してしまったわ」
リファーナさんは、胸の前でそっと指を重ねるようにして息を整えた。
「ローディンは……帝国のために剣を振るい、世界を守るために命を懸けた人」
胸の前でそっと握った手に力が入った。
「何度も……私を助けてくれて、ひどい怪我をして……」
静かな声だが、その奥にある感情は、痛いほど伝わってくる。
世界を救ったのに。民のために命を賭けたのに。
それでも歴史は、彼の名を置き去りにした。
リファーナさんの瞳には、そんな悲しみが滲んでいた。
リファーナさんは席を立ち、薬草瓶から茶葉をすくい、湯を注いだ。
やがて、湯気の立つカップが、そっと僕の前に置かれる。
「飲んで。落ち着くわ」
僕は両手でカップを包んだ。
その温かさが、胸の奥のざわつきをゆっくり溶かしていく。
リファーナさんは僕の方へ視線を向け、静かに問いかけた。
「君がどうしてここに来たのか教えて。
私の考えているとおりなら、あなたの世界でよくないことが起きているはず」
「――――」
言葉を選ぶ余裕なんてなかった。
ただ、胸の奥に溜め込んできたものを、ひとつずつ、静かに吐き出していった。
アミリアのこと、魔導学院での日々、レイン先生やリリーナのこと。
そして、聖浄院で、六賢者が命をかけて大結界を守っていること。
語るたびに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
あの世界で出会った人たちの顔が、ひとりひとり浮かんでくる。
リファーナさんは僕の向かいに座り、静かに耳を傾けていた。
――言い終えたあと、しばしの沈黙が落ちた。
「二千年遠ざけた闇が再び動き出したのね。
あの悪夢が……未来でまた目覚めようとしている」
リファーナさんはしばらく考えたのち、そっと息を吸い込んだ。
「今度は私が、この世界で何があったのかを、お話しするわね」
リファーナさんは記憶をたぐるように語りだした。
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