第76話 大賢者との盟約
アスピア皇国 宮殿。
静まり返った玉座の間に、皇女エレオノーラの気高い気配が満ちていた。
レインとリリーナが空間の裂け目から現れると、玉座に座る皇女はゆっくりと視線を向けた。
レインは片膝をつき、深く頭を垂れた。
玉座に座る皇女エレオノーラ・クラリスは、すでにすべてを理解しているかのような静かな佇まいだった。
その瞳は揺れず、ただ真実だけを見据えている。
レインは言葉を落とす。
「エルミナの央都に古代兵器が出没し、都市は壊滅状態。大結界の消失も……時間の問題です。」
玉座の間の空気が、わずかに震えた。
それは恐怖ではなく、“時が動き始めた”ことを告げる気配だった。
「盟約の時が……訪れたようです。」
レインの声は静かだが、その奥には長い年月の覚悟が宿っていた。
「大賢者ラズウェルとの盟約に従い、我が一族、勇者の種を“約束の地”へ導きたく存じます。」
エレオノーラの瞳が細められる。
その視線は、レインの背後に立つリリーナへと移った。
レインはさらに言葉を重ねる。
「つきましては、同じ“導き手”たる"時の巫女"の力をお貸しいただきたい。」
リリーナは緊張で肩を震わせながらも、まっすぐに皇女を見つめていた。
皇女エレオノーラは、ゆっくりと玉座から立ち上がる。
その姿は、まるで光そのものが形を取ったような威厳を放っていた。
そして静かに言葉を落とす。
「お顔をお上げください。娘が……ご苦労をおかけしました。」
リリーナの目が揺れる。
「娘がロキさんや孤児院での話を楽しそうにするのを見て、私はとてもうれしかったのです。
巫女の身に何かあればと不安もありましたが……この子が色々な世界を見て成長してくれるのは良いことだと」
エレオノーラはレインに向き直り、静かに言葉を落とした。
「我が一族は……時の理に干渉はできても、純粋な魔力でいえば、人並みの力しか持ちません。」
その声音には、皇としての威厳と、母としての弱さがわずかに滲んでいた。
「レイン様には、娘を見守っていただき……感謝の言葉もありません。」
リリーナが小さく息を呑む。
レインは恐縮したように、深く頭を下げた。
「歴史を変える力を持つ巫女の魔力はあまりに危険で代えのきかないものです。
ゆえに大賢者は勇者の育成と“時の巫女を守ること”を我が一族に託されました。
私は……それに従ったまでです。」
エレオノーラは、胸を痛めるように、そっと眉を寄せた。
「ラーカンクス国で古代の遺物が発見されたと聞いた時……嫌な予感はしておりました。
まさか本当にあれを起動させるとは……」
そこまで言うと、皇女の表情が切り替わる。
「もはや開戦の火蓋は切って落とされました」
そして、玉座の間に響く声で宣言する。
「大賢者ラズウェルとの盟約に従い──我が一族、剣聖とともに参ります。
勇者の種を“約束の地”へ。」
エレオノーラは振り返り、側近に命じた。
「グライアン。開戦の準備を。」
「はっ!」
「これよりアスピア皇国は、エルミナ共和国の救援に向かう。」
グライアンが声を張り上げる。
「アスピア魔導兵団、開戦の雄叫びを!」
「うおおおおおおおお!!」
宮殿の外では、地を埋め尽くす魔道兵団がすでに進軍を開始していた。
その喧騒の中で、エレオノーラの横顔だけが不思議なほど静かだった。
まるで、自らの運命を既に受け入れているかのように。
その静けさだけが、戦の光に淡く揺れていた。
――――――
何匹切ったんだろうか。
もう数える余裕すらない。
魔獣は次から次へと湧いてきて、斬っても斬っても終わらない。
邪教の魔導士が魔法を撃ってくる。
爆ぜる魔力の光が、夜の闇を一瞬だけ白く照らす。
その光の中で、ふと気づいた。
――生きている“人間”を斬ったのは、これが初めてだった。
空虚感。
胸の奥が、氷みたいに冷たくなる。
でも、やらなければ、やられる。
ここで倒れたら、子どもたちを救えなくなる。
逃げるわけにはいかない。
血で滑る剣を握り直す。剣もボロボロだ。
震える指を、無理やり押さえつけた。
そのとき、空が青白く光った。
聖浄院の上空に浮かぶ巨大な"つぼみ"がまた脈動した。
――光が収束しする。
バチィィィッ!!
雷光が放たれ、聖浄院の障壁に叩きつけられる。
結界が悲鳴を上げるみたいに揺れて、空気が裂ける音と一緒に電撃が四散した。
すぐ近くで魔導師団の団員が叫ぶ。
「聖浄院の魔法障壁がもたない!!」
その声が、戦場の喧騒の中でもはっきり聞こえた。
その声が耳に刺さった瞬間、僕の脳裏に、セルド隊長の声がよみがえる。
――術者を探せ。
どこかにいるはずだ。
違和感のあるものはないか!それらしい人物はいないか……!
必死に周囲を見渡す。
魔獣、魔導士、爆ぜる魔力、血の匂い──全部が混ざって視界がぐちゃぐちゃだ。
――そのとき。
上空、魔導学院の上にそびえる時計塔――
その頂上で、黒い影が魔法陣を描いている。
人気のない学院、先生も生徒も避難しているはず。
そこには眩しいほどの魔力の紋様が、夜空に浮かんでいる。
「……なんで、あんなところに……?」
時計塔の上の魔法陣が光を放つたび、上空の"つぼみ"が青く脈動する。
連動してる……?
疑問が確信に変わる。
「あいつだ。」
魔獣はおとり。本命は、時計塔の上の術者だ。
あいつを止めないと。
何年も過ごした学院の校舎。
内部構造は、敵よりも僕のほうがよく知っている。
裏階段、物資搬入口、講義棟の抜け道……全部、身体が覚えている。
「……気づかれずに行ける……!」
石畳を蹴った瞬間、心臓の鼓動と足音が同じリズムで鳴り始めた。
学院の門をくぐり、薄暗い廊下を駆け抜ける。
壁にかけられた魔導灯が、僕の影を細長く引き伸ばした。
――時計塔の入口が見えた。
遠くで雷光が閃き、窓ガラスが青く染まった。
裏の螺旋階段を一段飛ばしで駆け上がる。
術者は、この先だ。
最後の踊り場を駆け抜け、屋上の扉を押し開けた。
冷たい夜風が顔を打つ。
その中央で、一人の魔導士が、巨大な魔法陣を展開しながら詠唱していた。
青白い光が脈動し、上空の"つぼみ"が呼応するように震える。
「お前だな……あれを操っているのは。」
声が震えた。怒りか、恐怖か、自分でもわからない。
術者がゆっくりと振り返る。
フードの奥で、赤い瞳がにやりと笑った。
見覚えがある。
「驚いた。あの時の小僧か‥‥」
夜風が魔法陣を揺らし、術者の黒い法衣がはためく。
その声は、耳の奥にゆっくりと染み込んでくるようだった。
ダンジョンで、狂気の女魔道士と一緒にいた黒マントの男。
僕は問い質す。
「お前たち何なんだ……!」
黒マントの男は薄く笑い、名乗った。
「俺はジーク教、三司祭のひとり──操法師 バルザーク」
その声音は静かで、逆に不気味なほど落ち着いていた。
「お前はどうせ死ぬんだから名乗っても意味はないがな…」
バルザークは淡々と告げる。
「まもなく聖浄院の障壁も破壊される。
六賢者を穴倉から引きずり出せば、大賢者の大結界も消失する」
――いかれている。
言葉は違うが、根っこはあの女魔導士と全く同じだ。
皮膚の下を、冷たいものがゆっくり這い上がってくるような感覚。
こいつらの思い通りにさせてはいけない。
六賢者を引きずり出す?
アミリアを傷つけるような真似は絶対に許さない。
こいつを止めなければ。
「僕、ここへ来る途中で気づいたよ。あの"つぼみ"は、お前の魔力と連動してる……
お前が僕の相手をしている限り、あのつぼみは動かせない。」
男の顔に、苛立ちが走った。
「本当に頭にくるガキだな。
……だったら、さっさとお前を始末すればすむことだ」
――僕は地面を思い切り蹴った。
魔法陣が次々に展開され、バルザークの魔法矢が雨のように降り注ぐ。
でも……見える。
すばしっこく避ける僕に、バルザークが舌打ちした。
「ちょこまか……ちょこまかと!」
苛立ちが露骨に滲む。
僕は剣を抜き、切りかかった。
(やっぱりセルド隊長の言ったとおりだ。)
「あの巨大なつぼみを浮かしているだけで、お前は魔力を大量に消費してる。
いくらすごい魔力を持っているお前でも、あれを動かすのは簡単じゃないはずだ。」
男の歯ぎしりが聞こえた。図星だと顔に書いてある。
「だからこんな人気のない場所で、隠れるように操っていたんだろ。」
バルザークの怒りが頂点に達する。
「黙れ、小僧!だったら聖浄院はあとだ。先にお前を殺す!」
その瞬間、"つぼみ"の青い光がふっと止まった。
――――




