第70話 約束の抱擁
聖浄院・会席の間には重い空気が落ちていた。
円卓には六賢者が揃い、魔導師団からはセルド隊長が出席していた。
セルド隊長が静かに口を開く。
「……今回の件、内偵していた“ジーク教”の関与と見て間違いないかと。」
六賢者たちの視線が集まる。
「奴らがなぜダンジョンで暗躍していたのか……理由は依然として不明です。」
雷の賢者ライゼルが眉をひそめた。
「S級魔獣"ヴォイド・ストーカー"を使役する女魔導士か……。」
火の賢者イグナが低く唸る。
「S級を三体同時に操る魔力は本物だろうな。それでいて“ガキを嬲って悦に入る”とは……いい趣味してやがる。」
闇の賢者ノクスが静かに言葉を継ぐ。
「……その女魔導士の“傀儡糸”を切ったのは、女子学生二名。賞賛に値する。」
ノクスはアミリアを横目に見ながら続けた。
「それと──魔欠のロキ・グレイシア。S級魔獣を三体同時に葬るなど前代未聞……だが、不可解な点も多い。」
その声音の奥に、わずかな苛立ちが滲む。
「不可視のヴォイド・ストーカーをどうやって捉えたのか。高速移動でA級魔獣すら弄ぶ相手を、どうやって三体も仕留めたのか。」
闇の賢者ノクスの瞳が細くなる。
「……その力の出どころだけが、どうしても分からぬ。この目で直接見たかったが、あと一歩のところで及ばなかった。」
そして、わざとらしいほど自然にアミリアへ視線を向けた。
「なあ、アミリア。お前はどう思う?」
まるで“何か知っているだろう”と告げるような声音だった。
アミリアはわずかに眉を寄せ、表情には否定の色が浮かんでいる。
「私にも分かりません。確かに彼は幼馴染ですが、彼にそんな力があったなんて、聞いたこともありません。」
ノクスは淡々と返す。
「そうであれば後天的なものか。何れにしろ、その力には大いに興味がある。何なら、ロキ・グレイシアは“影の隊”として私がもらい受ける。」
「……っ!」
アミリアの表情が強張る。
(絶対にだめ。ロキは渡さない……)
ノクスはその反応を楽しむように、横目でアミリアを見た。
「聞くところによると……魔欠でありながら学院で歯を食いしばっているのは、けなげにも──アミリア“お前のため”でもあるそうだな。」
その声音は淡々としているのに、言葉の奥には冷酷な計算が透けていた。
「お前が頼みさえすれば、ロキ・グレイシアは従順な駒として喜んで命を差し出すだろう。その純粋さは、利用するにはこれ以上なく都合がいい。」
アミリアの瞳が、はっきりと怒りで揺れた。
「……彼の気持ちを、そんなふうに利用しようとしないでください。」
その一言は、幼馴染を守りたいという個人的な思いが滲み出ていた。
雷の賢者ライゼルが、淡々と口を開く。
「アミリアにとっては受け入れがたいかもしれないが、ノクスの言うことも一理ある。」
その声音には、慰めも、揺らぎもない。。
「我らの敵は強大だ。戦力になるのであれば当然利用すべきだし、魔導学院の生徒の本旨でもある。」
その言葉は、“個人の感情よりも戦力を優先する”という雷の賢者らしい合理性に満ちていた。
アミリアは胸の奥で思った。理屈は正しいのかもしれない。
でも……私の気持ちが、それを許さない。
二人の思い出に土足で踏み込んでくるような提案は、アミリアには到底受け入れられなかった。
風の賢者シルフィアが静か言葉を落とす。
声は柔らかいが、その奥にどこか冷たい層があった。
「魔欠の少年。しかもまだ学生です。無理をさせる必要はありません。」
そして、淡々と続けた。
「いずれにせよ、意識が戻ったのなら学院の病棟に移せます。……当面は安静にさせましょう」
その瞬間、アミリアの胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
――雷の賢者ライゼルが、淡々と続ける。
「六芒星について、何かわかったことはあるか」
セルド隊長が一歩前に出る。
「今は存在しませんが、魔導大戦時代にあった“魔法大国エグザリア・ジーク”が六芒星を掲げていたという記録がありました」
風の賢者シルフィアは、その名が出た瞬間、わずかにまつ毛を伏せた。
だが、口を開かない。沈黙のまま、空気の流れだけを読むように佇んでいる。
火の賢者イグニが腕を組む。
「魔導大戦は二千年以上前だぞ。大賢者との因縁か……」
セルドが続ける。
「エグザリア・ジークの末裔が、何かの意図で動き出した可能性が高いかと」
ライゼルの表情は変わらない。
ただ、その声だけがわずかに低く落ちた。
「奴らの狙いは禁忌に係るものである可能性が高い。ジーク教の動向は、一つたりとも見逃すな」
セルド隊長が深く頭を下げる。
「はっ!」
その後、誰も動かず、張りつめた空気だけが場を支配していた。
――――――
その夜。
アミリアは、そっとベッドの端に腰を下ろした。
薄い灯りの中で、彼女の横顔がやわらかく揺れる。
「……昔もこうして、ローレット孤児院のベッドでよく話したね」
そう言ったあと、アミリアは少し照れたように笑った。
「並んで寝ころんだときは、同じくらいの身長だったのに……いつのまにかロキに抜かされちゃったね」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が痛んだ。
懐かしさと、離れていた時間の長さが胸にしみる。
「アミリアの賢者就任の儀式で……君を見たとき、すごく遠くへ行ってしまった気がしたんだ。……僕なんかがアミリアの隣にいられるわけないって思った‥‥」
思わずこぼれた本音に、アミリアは悲しそうに眉を寄せた。
「そんなこと言わないで!」
アミリアが、今にも泣きそうな顔で僕を見つめる。
その表情が胸にしみる。
「でも、必ず君を迎えに行くって約束した……別れの夜に、アミリアが子守歌を口ずさんだの……覚えてるかな?」
アミリアは、ふっと目を伏せた。
そして──静かに息を吸う。
次の瞬間、あの懐かしい旋律が、かすかな声でそっと紡がれた。
「英知の賢者は夜道を照らし 虹の剣は勇気を示す 厄災断つは虹の刃
怖い夜でもひとりじゃない 七つの光があなたを守る……」
歌い終えたあと、アミリアは小さくつぶやいた。
「……聖浄院でね、不安で、寂しくて……お母さんが歌ってくれた子守歌を、ずっと思い返してた」
ひとりで耐えてきた時間を思い出したのか、アミリアはさみしそうな顔をした。
灯りを受けて、彼女の髪飾りが七色にきらめく。
「その歌を聞いて‥‥君の魔法には全然かなわないけど……君を守る剣になろうと思って、いっぱい練習したんだ。少しは強くなったんだよ」
アミリアは微笑んだ。
その微笑みは、昔と同じで、僕の心をそっと包む。
「……知ってるよ」
僕は苦笑しながら言った。
「でも、ダンジョンで魔獣にやられて、気を失っちゃって……先生たちに助けられちゃった。――あいかわらず僕、弱っちいみたいだ。」
言いながら、無意識に拳を握りしめていた。
「君の隣に行くには、まだまだ頑張らないと駄目みたい……」
アミリアの表情がほんの一瞬だけ揺れた。
(本当に覚えていないの‥‥)
闇の賢者ノクスに言われた“ロキの力を探れ”という言葉が胸をかすめた。
でも彼女はすぐにその影を消した。
「……ロキの話、もっと聞かせて?」
僕はこれまでのことをたくさん話した。
魔導学院でのこと。同級生や寮での生活のこと。
レイン先生やリリーナのこと。
アミリアはふいに頬をふくらませた。
「開国祭で会ったとき……久しぶりだったのに、ロキ、私のこと全然見てくれなかった。
スカイレースの大会のときはクラスメイトの女子と親しげだった……浮気……」
「ちがっ……!」
僕の顔が一気に熱くなる。
アミリアはくすっと笑った。
「スカイレースで優勝したの、ほんとにびっくりしたよ。ロキが……優勝しちゃうんだもん」
僕はあの時のことを思い出した。
「僕の飛竜、リオって言うんだ。でもあいつ、最初ぼくを見た時、すごく馬鹿にしたような目つきで蹴ってきてさ──」
アミリアが、また小さく笑った。その笑い方が、なんだか懐かしい。
「最後はあいつ、僕を信頼してくれて……空の上から見る夕焼けの央都、すごくきれいだったんだ。遠くに……僕たちの村も見えたよ」
その瞬間、アミリアのまつげがふるりと震えた。
視線が、そっと落ちる。
「いいな……私、聖浄院から滅多に外に出られなくて……子供の頃みたいに、外の世界を思いっきり見て回りたい」
その声には、自由を許されない少女の、静かな寂しさが滲んでいた。
アミリアはずっと聖浄院に縛られている。
僕たちが学院で笑っている間も、彼女は外の世界を知らないまま、ただ“待つこと”しかできない。
その事実が胸に刺さった。
――僕は言葉を探し、呼吸を整える。
「必ずアミリアにも見せてあげる。いっしょに……大空を飛ぼう」
アミリアの瞳がぱっと輝く。
「本当……?絶対だよ……約束してくれる?」
僕は強くうなずいた。
「もちろん」
「……うれしい」
アミリアが手を差し出すと、僕はそっと小指を絡めた。
ゆびきり。
「次に会うときは……堂々と君の隣に立てるよう、僕、頑張るから」
アミリアは静かに微笑んだ。
「うん。待ってるよ」
僕たちは、そっと抱きしめ合った。
ずっと離れていた時間を埋めるような、静かな抱擁だった。
聖浄院は、水の音だけがしずかに流れていた。
僕たちの再会をそっと見守るように。
――――




