第68話 脈動したダンジョンと力の逆流
――――
その時、ダンジョンの中で、何かが脈動した。
微かな意識の縁で、僕の体の中に“何か”が流れ込む。
――なんだろう
すごく温かい。まるで――抗えない狂気から僕を守ってくれるような優しさ。
何かが見える――――
窓辺で本を読んでいる"女性”。
本の"しおりの糸"がそよ風でなびいている。
優しく微笑む横顔がなぜか懐かしい。
(……ここは……? 誰……?)
女性のかすかな声がロキの意識に触れた。
「──七理の残響を……」
「―――――」
その瞬間、何かの力が流れ込む。
それは、自分自身の中で、“何かが逆流する”ような感覚。
意識が朦朧とする。
――僕は立ち上がる。
何で?何で、僕は立ち上がれるのだろう?
女魔導士が不思議そうな顔で言葉を落とす。
「あら、まだ立ち上げれるの?意外だったわ」
視界に三体の魔物。
光を吸い込むような灰色の皮膚。
筋肉の線が不自然に盛り上がり、まるで“人間の構造を真似た別の生き物”のよう。
指先には、骨がそのまま伸びたような鋭い爪。
見えなかった魔獣。
何で見えるの?
だけど──おそろしい魔獣のはずなのに、なぜか落ち着いている。
静かだ。
まるで、恐怖が逆流した“構造”に上書きされているようだ。
三体の魔物が迫ってくる……
でも‥‥なんでこんなにゆっくりなんだろう。
剣を振らないと……
見えない敵には何だっけ?……
――思い出した。
思い出した?……何を?……何で?
たしか……
「……七理の法剣……闇の刃」
胸の奥から自然とその言葉がこぼれた。
「冥影斬!」
――光る。
異形を切り裂く“黒い光”が走る。
置き去りにされたを抜刀音が空気を震わす。
光りが消えると同時に、三体の“見えない異形”が両断され崩れ落ちた。
魔物たちは断末魔を発する間もなく沈黙した。
魔力を失い、輪郭がゆっくりと現れる。
――遅れて“風”が吹き抜けた。
――――――
皆が呆然とする。
黒マントの男も、僕を弄んでいた女魔導士すらも、その一瞬だけ動きを止めた。
まるで、“ありえないもの”を見たかのように。
リオナが、喉の奥で言葉を探すように呟く。
「……ロキ?」
リーフは、杖を手にもち震えている。
「あいつ‥‥何をしたんだ?」
リリーとエレナは、互いにしがみつきながら、かすれた声で言った。
「何かを切り割いた……」
黒マントの男は、僕を見つめたまま低くつぶやいた。
「……なんだ今のは……なぜ虚影獣が死んだ?」
声は低く、動揺している。
怒りでも恐怖でもなく、ただただ理解ができない。
女魔導士は、震える声で叫んだ。
「……私のかわいい子達が……死んでる……?」
その声は怒鳴り声ではない。
震えを押し殺した、屈辱に焼かれた声。
目が見開かれ、理性が崩れ落ちていく。
「ふざけないで……きさまーー!」
声が裏返る。怒りと混乱で、言葉がうまく形にならない。
「……ゆるさないわ!」
杖を握る手が震え、魔力が漏れ出す。
空気がビリビリと震え、床の影がざわつく。
「全身の皮をはいで……目玉をくりぬいて…‥はらわたをひきずりだして……死ぬまで苦痛を味わわせてやる……!」
その叫びは、奪われたものへの純粋な怒りだった。
女魔導士の手に刻印された黒い六芒星が黒く光り、周囲に魔法陣の花が開く。
「贄の鮮血を闇に捧ぐ──!」
黒い羽根のような禍々しい魔力が舞い上がり、
空気が沈むと同時に、どろりと濁った“黒水”が宙へと湧き上がった。
次の瞬間――その黒水は、重力を無視したように一気に膨張し、濁流のような勢いで前方へと叩きつけられた。
床を砕きながら迫る“黒い津波”。
触れた空気すら腐らせる“穢れの奔流”が襲いかかる。
――その瞬間
ロキは無意識にその言葉を口にした。
「七理の法剣……水の刃」
濁った黒水が迫る。
「――蒼流閃…!」
――光る。
“青い光”が走り、黒い津波を切り裂く。
置き去りにされたを抜刀音が空気を震わす。
黒い水は、聖水のように青く輝く水の刃にかき消されれ、そのまま、女魔導士へ迫る。
――その時
黒マントの男の魔法障壁が発動し、ロキの剣と衝突して光がほとばしる。
その間、刹那。
だが──
バリーン
ロキの剣圧が黒マントの男の魔法障壁を破った。
「なんだと?!」
黒マントの男が驚愕すると同時に、ロキの剣が女魔導士の肩口を切り裂いた。
女魔導士は、まるで時間を奪われたように、完全に動きを止めた。
瞳が揺れ、何が起きたのか理解できないという色が浮かぶ。
しかし、自分の肩から噴き出す赤い血しぶきをみてその意味を理解した。
――女魔導士は膝を着く。
体が震えるほどの怒り。自尊心を踏みにじられた“屈辱”
黒マントの男は、ふらつく女魔導士の肩を押さえながらロキを見据える。
その目に宿っていたのは、怒りでも焦りでもない。
──想定外の存在を前にした観察者のような目だった。
黒マントの男は、女魔導士を支えながら言った。
「……お客がきた。時間切れだ……」
その声音は、敗北でも焦りでもない。
僕という存在を、これから観察しなければならない。
そんな含みを帯びていた。
次の瞬間、空間が歪み、二人の姿は霧のように消えた。
――生徒たちは声が出なかった。
魔欠の出来損ないと呼んでいたロキの、得体のしれない力。
恐ろしい女魔導士の魔法を切り裂いた“不気味さ”。
誰も近づけない。誰も声をかけられない。
ロキの周囲だけ、空気が違っていた。
それはまるで“人ではない何か”が立っているような、静かな圧。
その中心にいるロキ自身も、何が起きたのか分からないまま立っていた。
世界の音が、ロキから遠ざかっていた。
――――――
――その時
大穴の上から、複数の魔力光が降りてきた。
光は落下の勢いをふわりと殺し、地面に触れる直前で人影へと形を変える。
教師と、魔導師団。
そして──その中心に、深い闇色のローブを纏った人物がいた。
闇の賢者 ノクス・グレイブ
黒いローブが揺れた瞬間、生徒たちの背筋に冷たいものが走る。
本来、聖浄院から出るはずがない六賢者の一角。
その存在がここにいるという事実だけで、“異常事態”であることが分かった。
その姿を見た瞬間、生徒たちの間にざわりと震えが走った。
次の瞬間──生徒たちは、反射的に膝をついた。
「……っ、賢者様……!」
「な、なんで……ここに……」
誰もが片膝をつき、頭を垂れ、礼の姿勢をとる。
かつて、これほど近くで賢者を見たことなどない。
教科書の中の存在。遠い神殿の奥にいるはずの人物。
その“本物”が、今、目の前に立っている。
闇の賢者は何も言わない。
ただ、静かに場を見渡すだけで、空気が重く沈んだ。
その沈黙だけで、生徒たちの背筋が震える。
魔導師団のセルド隊長は、崩れた瓦礫と倒れた生徒たちを見て息を呑む。
「……これは……何が……?」
担任のミールが声を張る。
「みんな無事か!けが人は──」
リオナが声をあげる。
「ミール先生!リリーとエレナが……それとロキがひどい怪我で……」
その声は震えていた。惨状の恐怖が、まだ抜けていない。
リリーとエレナは、最後まで女魔導士に立ち向かった。
全身がひどい傷だらけで、立ち上がることすらできない。
闇の賢者ノクスの視線が、空気に残る“傀儡糸の残滓”を捉える。
断たれた糸は、なお微細に震えていた。
その揺らぎだけで、ノクスが知るには十分だった。
この糸を操っていた者が、どれほどの闇魔法の技量を持つかを。
ノクスがリリーとエレナに視線を移した。
「……傀儡の糸を断ったのは、お前たちか。」
二人は震えが止まらない。言葉がでない。
寄り添いながら小さく頷く。
二人の顔には恐怖で涙の跡が残っている。
学生が対峙するにはあまりに理不尽で強大な敵。
ノクスはほんのわずか、目を細めた。
「恐れから逃げずに、闇を視た者の働き……その目を失うな。」
それは褒め言葉ではない。
“認めた”のだ。
その瞬間──周囲の生徒たちが、息を呑んだ。
「リリーとエレナが賢者様に認められた……?」
賢者に認められた。
それは、この国の魔導士にとって最高の栄誉である。
極めて重い、本物の評価だった。
セルド隊長が瓦礫の陰に倒れているロキを見つけた。
「ミール!こっちだ」
ノクスの視線は、ゆっくりとロキへ向かう。
魔欠と呼ばれる剣を持った少年が血まみれで倒れている。
そばには切り裂かれた三体のS級魔獣。
不可視の虚影獣・ヴォイド・ストーカーの死体が転がっている。
その意味をノクスは理解した。
ロキの全身には、魔獣の爪に裂かれた深い傷。
皮膚は裂け、肉が見え、血が床に広がっている。
生きているのが不思議なくらいの致命傷。
ミールが駆け寄り、叫ぶ。
「ロキ!死ぬな!!」
治癒の光がロキの身体を包むが、傷は深すぎて光が追いつかない。
ロキの意識は朦朧としていた。
視界が揺れ、音が遠い。
(ミール先生?‥‥…)
意識が遠のく……
ミール先生の声が、水の底から聞こえるようにぼやけていく。。
声でかすれて出ない。
「……ミール先生が……助けて……くれたんですね……」
ミールは一瞬、動きを止めた。
その顔には、困惑と戸惑いが浮かぶ。
「……お前、何を言ってるんだ……?」
その時──闇の賢者ノクスが、静かに言葉を落とした。
「……この少年を、聖浄院の治療室へ運べ。」
その声だけが、薄れていくロキの意識に深く染み込んだ。
(……聖浄院……?そんな……場所に……)
ロキの意識は、深い闇に沈んでいった。
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