第64話 浮かび上がる邪教の影
その日の夜――聖浄院
大理石の床が月光を反射し、円卓を囲む七つの椅子が静かに影を落としていた。
六賢者が、沈黙のまま席に着いている。
魔導師団長ラミル・ゲインが、街に出没したデス・ベリアル事件の報告を行うため、六賢者が一堂に会していた。
円卓の空気は張りつめ、魔力の圧が空間そのものを震わせている。
ラミルの報告が終わると、火の賢者イグナが喧嘩腰に言い放つ。
「魔道師団の犠牲は二人か。急な対処のわりに、被害は少なかったな」
ラミルは即答した。
「セルド隊長が到着するまで、街に偶然居合わせた学院の生徒――」
ラミルは一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざした。
賢者の視線が、静かに彼へと集まる。
「……その、また……例の“魔欠”の少年が、デス・ベリアルを食い止め、被害を最小限に抑えたとのことです」
土の賢者ガルドが低く問う。
「……デス・ベリアルの角を切り落としたというのは本当か」
ラミルがうなずく。
火の賢者イグナが拳を握る。
「面白ぇじゃねぇか。魔牛に剣で立ち向かうとは」
――その瞬間、アミリアの肩がかすかに震えた。
表情は変わらない。
だが、指先がわずかに強張っている。
闇の賢者ノクスは、無言のままアミリアへ視線を落とした。
細部を測るような、静かな観察の眼差しで。
雷の賢者ライゼルが口を開いた。
「デス・ベリアルの出どころは?」
ラミルが頷く。
「魔獣の死体からは何も。ただ、ロキ・グレイシアが学院の担任ミール・ロットに語ったところによれば――」
ラミルは一拍置き、言葉を続けた。
「現場付近で司祭風の男とすれ違ったと。その者の手の甲には黒い"六芒星"の刻印があったとのことです」
ラミルは続ける。
「更に、先の巫女誘拐事件の犯人と思われる魔道士にも同じ刻印があったと……」
――円卓に、深い沈黙が落ちた。
ラミルは一度、円卓を見渡し、慎重に言葉を選んだ。
「……近年、央都で布教活動を行う宗教団体が確認されています。」
六賢者たちの視線が、静かにラミルへと集まる。
「彼らは“古代の神を信仰する”と称し、信者を募っているとのこと。今回の件と、何らかの関係があるやもしれません」
土の賢者ガルドが、重い声で口を開いた。
「……その者らの名は」
ラミルはわずかに息を呑み、答える。
「――"ジーク教"と……」
円卓に、深い沈黙が落ちた。
その名が落ちた瞬間、空気がさらに冷え込む。
雷の賢者ライゼルが静かに続けた。
「……まずは、そいつらを洗え。それと――六芒星を印に掲げる連中。過去も現在も、一つ残らずだ」
ラミルが深く頭を下げた。
「御意」
―――――
会議が終わった。
アミリアは静寂な聖浄院の廊下を一人歩いていた。
表情は変わらない。
仮面のように整った横顔。水面のように静かな瞳。
だが――胸の奥では、さっき聞いた名前が何度も反芻されていた。
心臓が、ほんの少しだけ速くなる。
――その時。
「……アミリア」
背後から声がした。
振り返ると、闇の賢者ノクスが立っていた。
仮面のような顔のまま、アミリアをじっと見つめている。
「やはり、貴様はロキ・グレイシアと関係があるのか。その名を聞いた時――いつも鼓動が乱れる」
アミリアの瞳がわずかに揺れる。
だが、表情は変わらない。
「……だから何だというのですか」
「気になっただけだ。貴様が何を考えているのか」
ノクスの瞳は、何かを見透かすように鋭い。
アミリアは軽く頭を下げ、静かに歩き出した。
水鏡の間へと続く廊下を、アミリアはひとり進んでいく。
胸元にそっと手を添えた。
(ロキ……)
だが、賢者としての立場が、その想いを口にすることを許さない。
アミリアはただ、静かに歩みを進めた。
心臓が、ほんの少しだけ速くなる。
――――――
水鏡の間
静かな水面が、淡い光を反射して揺れている。
アミリアはひとり、その前で思考を沈めていた。
(最近の一連の騒動……とても嫌な予感がする。あなたを、こんな危険に巻き込みたくない……)
胸の奥に広がる不安を押し込めるように、アミリアは胸元へそっと手を添えた。
水面が、彼女の揺れを映すようにわずかに震える。
――その時。
「……アミリア様?」
柔らかな声が後ろから響いた。
振り向くとミラが立っていた。
「ミラ……どうしました」
アミリアの声はいつも通り静かだった。
だがミラは、その“わずかな揺れ”を見逃さなかった。
「いえ……アミリア様こそ、思いつめられているように見えましたので」
アミリアは一瞬だけ目を伏せた。
「心配をかけましたか。大丈夫です。会議が長引いただけです」
丁寧で、柔らかい言い方。
アミリアが部下に向ける“敬意”が滲む。
だがミラは、アミリアの胸元に添えられた指がほんのわずかに震えていることに気づいた。
ミラは一歩近づき、声を落とす。
「心配…なのですね‥‥魔工科の担任、ミール・ロットは私の腐れ縁です。もし、何かございましたら……どうか、遠慮なくお申し付けください」
ミラは、ロキの名をあえて口にしなかった。
だがその言葉の選び方は、アミリアが何を案じているのかを理解していると静かに告げていた。
アミリアはしばらく黙し、やがて静かに頷いた。
「……ありがとう、ミラ。あなたの気遣いには、いつも助けられています」
そして、ほんのわずかに声を落とす。
「時が来たら……その時は、あなたの力を貸してください」
ミラは深く頭を下げた。
「もちろんです、アミリア様。私はいつでも、あなたのお力になります」
そう言うと、ミラは静かに一礼し、アミリアの微笑みを確かめるように、そっと視線を合わせた。
扉が閉まると、残された空気だけが、ゆっくりと落ち着いていく。
水面が、アミリアの胸の奥に触れるように、静かに揺れていた。
――――




