第63話 鋼の角と純心の剣
翌日――レイン先生の孤児院は、昨日の出来事が嘘のように静かだった。
朝の光が差し込み、子どもたちの笑い声が遠くで聞こえる。
その穏やかさが、かえって胸の奥をざわつかせる。
僕はレイン先生に昨日の出来事を話した。
レイン先生は黙って聞いていた。相槌も挟まず静かに。
その沈黙が、逆に重かった。
その表情は穏やかだが、目の奥は静かに鋭い。
「突然現れたデス・ベリアルですか……相当な大物ですね」
ゆっくりとうなずきながら、先生は続ける。
「よくデス・ベリアルを相手に耐え抜きました」
僕は慌てて手を振った。
「耐え抜いたっていうか、剣を振ったら偶然角に当たって……切れて、それで、魔導師団のセルド隊長たちが助けてくれたんです。」
レイン先生の眉がわずかに動く。
「デス・ベリアルの角を……切り落としたのですか?」
「先生からもらった剣のおかげです。すごい切れ味で」
そう言いながら、僕は剣の柄を軽く握った。
―――レインは心の中で呟いた。
(あの剣は少し切れ味が良いだけで特別製ではない。角を断ったのは君の……)
「角が……どうかしたんですか?」
僕が尋ねると、レイン先生は首を横に振った。
「いえ、別に」
レイン先生はそれ以上を語らなかった。
僕は気になっていたことを思い出し、レイン先生に告げた。
「それと……デス・ベリアルと対峙する前に、黒い法衣を着た“司祭”みたいな男がいたんです。目が合った瞬間、背筋が凍るような感覚がして」
言いながら、胸の奥がざわつく。
「その男の手に“六芒星”の刻印があった気がしたんです。――それで、どこかで見た覚えがあって……ずっと気になってて」
僕は無意識に、胸元の布を軽くつまんでしまう。
「昨晩、ようやく思い出したんです。たしか……以前、"リリーナが誘拐"されそうになった時、犯人の手にも同じ刻印があったんです。」
その時――。
普段穏やかなレイン先生の表情が、見たこともないほど険しくなった。
その変化に、僕は思わず息をのむ。
胸の奥がひやりと冷え、背筋がわずかに強張った。
――空気が一気に張りつめる。
僕は思わず息を呑んだ。
レイン先生はしばらく黙り込み、何かを思い出すように目を伏せる。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「ロキ君。君の担任のミール先生は、魔導師団と関係が深い。昨日、君たちの救援に来たセルド・フォルテス隊長は、人格者として名高いこの国でも指折りの魔導士です。」
レイン先生の声は、いつになく真剣だった。
「今の話を、念のためミール先生に報告しなさい。ミール先生が、魔導師団に伝えてくれるはずです」
――――ロキが孤児院を後にし、扉が静かに閉まった。
レインはしばらく、ロキの背中が消えた方を見つめていた。
やがて、深く息を吐く。
「"ジーク”の亡霊どもが……いよいよ動きだしたようですね」
誰に聞かせるでもなく、低くこぼれた言葉だった。
その瞬間、部屋の空気が震えた。
ただ立っているだけだが、レインの周囲は、空気が薄く“切り取られた”ように揺らぐ。
見えない刃が、静かに線を引いたかのようだった。
月明かりが差し込む部屋で、レインは静かに言葉を落とす。
「ロキ君。次に君に渡すものが……あれでないことを願いたい」
その声は祈りにも似ていた。
孤児院の静寂の中、レインはひとり、そっと目を閉じた。
――――――
その日の午後。
僕はミール先生の執務室に向かってた。
休日の魔法学校は驚くほど静まり返っている。
廊下に差し込む光が白くて、足音だけがやけに響いた。
先生たちは休みの日でも授業の準備でいることが多いので、ミール先生もいるのではないかと思った。
――早く伝えなければ。
理由ははっきりしない。でも、胸の奥のざわつきが、そう告げていた。
執務室の前に立つと、照明がついていた。
僕は息を整え、ノックした。
「ミール先生。ロキです」
「どうぞ」
扉の向こうから、いつもの柔らかい声が返ってくる。
そっと扉を開けると、ミール先生は机に向かい、書類をまとめていた。
眼鏡越しの視線がこちらに向けられ、僕の顔を見ると、わずかに眉が動いた。
「……何かあったのか」
その声は、“ただの雑談ではない”とすぐに察したような響きだった。
僕は一歩踏み出し、胸の奥で鳴り続ける小さな警鐘を押さえながら口を開いた。
「昨日の街での騒動のことを……お話ししたくて」
ミール先生の表情が、静かに引き締まる。
「座りなさい」
短い言葉なのに、部屋の空気がさっきまでの廊下の静けさとは違う重さを帯びていく。
――僕は椅子に腰を下ろし、昨日の一連の出来事を順に話し始めた。
デス・ベリアルが突然街に現れて暴走したこと。
セルド隊長に「何か気づいたことがあれば報告してほしい」と言われたこと。
そして――あの司祭のこと。
話している間、ミール先生は一度も口を挟まなかった。
ただ、眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れたのを、僕は見逃さなかった。
「黒い法衣と六芒星……」
低くつぶやくような声だった。
ミール先生は組んでいた指をほどき、机の上にそっと置いた。
「僕の気のせいかもしれません。ただ、あの視線が……すごく嫌な感じがして、気になって」
ミール先生は静かに息を吸い、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
その仕草に、説明できない重さがあった。
「ロキ。分かった」
顔を上げたミール先生の声は、いつもより低かった。
「魔導士団のセルド隊長は私の先輩だ。私から、直接伝えておく」
その表情は、いつもの優しさの奥に、見たことのない緊張が宿っていた。
僕は、話ができたことに安堵し、椅子を静かに引いて立ち上がった。
「失礼します」
軽く頭を下げ、扉へ向かう。
扉を開けると、廊下の空気がひんやりと肌に触れ、静かに部屋をあとにした。
――――――




