第60話 隠した恋心
ある日の休日。
ニールとルミはカーミラの工房で、魔法薬の生成指導を受けていた。
――そこには、リオナの姿もあった。
あの事件のあと、リオナはどこか変わった。
以前の彼女は、魔道具や魔法薬の製作に興味を示すことはほとんどなかった。
けれど最近は、自分から「教えてほしい」と頭を下げ、工房に通うのが当たり前になっていた。
その姿には、かつての“貴族の令嬢らしい距離感”はほとんどなく、どこかけなげで、まっすぐに努力しようとしているのが伝わってくる。
――魔法薬工房は、甘い香りと薬草の匂いが混ざり合い、どこか妖しい雰囲気を漂わせていた。
棚には色とりどりの薬瓶が並び、奥では魔力炉が静かに脈動している。
その中心で、カーミラが腰に手を当てて言った。
「はいはい、もっと手首を柔らかく。そんな不器用じゃ男の一人も虜にできないわよ」
「えっ……!?」
エプロン姿で調合していたルミの顔が一気に赤くなる。
「カーミラさん、研修中にそういうこと言わないでくださいよ」
焦ったルミがビーカーを落としそうになり、ニールが慌てて支える。
「だってぇ、若い子が三人も揃ってるんだもの。恋話のひとつやふたつ、あるでしょ?」
カーミラは悪戯っぽくウインクした。
美人なのに、どこか妖しい──これがサキュバスの本領なのだろう。
工房の隅では、リオナが薬草を刻んでいた。
ルミが興味津々といった様子で口を開く。
「……みんなは、好きな人とか……いるの?」
工房の空気が一瞬だけ止まった。最初に口を開いたのはニールだった。
「あたしはミール先生、かな」
「えっ!? 先生!?」
リオナが目を丸くする。
ニールは耳を赤くしながらも、どこか誇らしげに笑った。
「だって優しいし、……大人の男って感じでかっこいいじゃん」
「へぇ〜、ミールねぇ」
カーミラがにやにやしながら頬杖をつく。
次に、ルミの視線がリオナに向いた。
「じゃあ、リオナは……?」
リオナの手が一瞬だけ止まった。
胸の奥がきゅっと痛む。――言えない。
リオナは小さく首を振った。
「……私はいないよ。そういうの、まだよくわからないし」
ニールがすかさず返す。
「ルミはどうなのさ?」
「だめ、秘密」
「ずるい!」
少女たちの笑い声が工房に広がる。
女同士の秘密の会合──そんな雰囲気が心地よかった。
リオナは何も言わなかったが、ほんの少しだけ優しい表情を浮かべた。
カーミラは薬瓶を指先で軽く弾き、澄んだ音を響かせる。
「恋は女を成長させるものよ。時には魔法より強いわ」
薬草の香りと少女たちのざわめきが、工房の空気にゆっくり溶けていく。
そんな中、ニールがふと思い出したように声を上げた。
「ねぇ、明日、ロキ誘って街で食事でもしない? あいつ、時間があれば窓の外眺めてるか、剣振ってるか……それしかしてないじゃん。たまには外に連れ出さないとさ」
ルミが手を挙げる。
「賛成!」
リオナは、その名前が出た瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。
(ロキががんばっているのはアミリアさんのため……)
けれど、表情には出さずに応える。
「……私も明日は時間あるから、大丈夫」
ニールは嬉しそうに笑う。
「じゃあ、ロキにも声かけておくよ。集合時間は寮に戻ったら連絡するね」
リオナは小さく息をついた。胸の奥に、ほんのかすかな温かさが灯る。
少しの時間でもいい。それだけで十分だった。
――少女たちの笑い声は、薬草の香りに溶けるように、静かに工房へ広がっていった。
――――――
翌日――青空が澄み渡り、街の中心にある大きな噴水が陽光を受けてきらきらと輝いていた。
噴水の周りには屋台が並び、焼き菓子の甘い匂いと、香草を使った串焼きの香りが風に乗って流れてくる。
家族連れが笑いながら歩き、手をつないだカップルが石畳の道を歩いていた。
街の中央に立つ古い時計台が、ちょうど昼を告げる鐘を鳴らす。
コーン……コーン……
その音は街中に響き、屋台の店主たちが「そろそろ昼か」と手を止める。
僕は、ニールに誘われて街へ出ていた。
制服ではない私服姿の三人は、どこか新鮮に見えた。
四人は昼下がりの街をゆっくりと歩き出した。
「すぐ先に、安くておいしいって評判の店を予約したんだ」
ニールの横顔が、光を受けてふっと明るくなる。
噴水のそばを抜け、石畳の道を進んでいく。
水音と人々のざわめきが遠くなったころ、街角に寄り添うように建つ、小さなレストランが姿を見せた。
扉を開けると、木の香りと淡い照明が迎えてくれる。
落ち着いた色合いの壁に、魔導ランプが柔らかく灯り、おしゃれな雰囲気が漂っていた。
「わぁ……いい感じの店だね」
ルミが目を輝かせる。
店内には、学院の生徒たちの姿もあった。
楽しそうな笑い声が、あちこちから聞こえてくる。
僕たちは窓際の席に座り、料理が運ばれてくるまでの間、気づけば会話が自然と弾んでいた。
「そういえば、来年はいよいよダンジョン探索の実習があるね」
ニールがメニューをめくりながら言う。
「ちょっと怖いなぁ……」
ルミが不安そうに眉を寄せた。
「リオナは魔法得意だし、魔獣討伐も余裕だろ? ほんと羨ましいよ」
ニールが軽く肩をすくめる。
リオナは小さく首を振った。
「私は……以前、失敗してロキに助けてもらったし……偉そうなこと言えない」
その言葉に合わせるように、リオナの視線がかすかに僕へ向いた。
「だから魔法薬の練習してるんだね。……すごいよ、リオナ」
僕の率直な思いだった。
僕の言葉に、リオナの肩がわずかに揺れる。
胸の奥に、そっと温かさが灯ったのが分かった。
「私、不器用で……。実家でもほとんどやってこなかったから。ニールやルミみたいに、うまく作れない」
ニールが明るく笑う。
「学年で一番のくせに、魔法薬まで作れたらさ。私らの立つ瀬がなくなるって!」
ルミがくすっと笑い、その笑いにつられて、僕も少しだけ肩の力が抜けた。
――店内の柔らかな灯りが四人を包み、
温かい食事とともに、その時間は穏やかに、ゆっくりと流れていった。
――――
店を出た僕たちは、昼下がりの街へ歩き出した。
食後の満足感が残っていて、みんなの表情がどこか柔らかい。
「あそこの屋台で飲み物買ってくる!」
ニールが手を振り、屋台の方へ駆けていく。
「あっ……私も行く」
ルミが軽やかにその後を追った。
気づけば、僕とリオナだけがその場に残っていた。
「……二人とも自由だね」
リオナが小さく苦笑する。
昼下がりの風が、二人の間を静かに通り抜けた。
街のざわめきは穏やかで、どこか眠たげで、この平和がずっと続くと錯覚してしまうほどだった。
――――その瞬間だった。
どっがーーん!!
きゃあっ――。
遠くで、何かが砕け散るような轟音が響いた。
続いて、甲高い悲鳴が街を裂く。




