第59話 思い出される恋心
幼いころの記憶が、光の粒子と一緒に押し寄せてくる。
けれど今の僕は、あのころのように隣に立てるわけじゃない。
アミリアは、国中が敬う水の賢者。もう子供の頃とは違う。
僕とは、もう――立っている場所が違う。
その現実が、胸の奥に静かに沈んでいった。
―――しばしの静寂が訪れる。
アミリアは静かに歩み寄り、そっと膝を折り、うつむく僕の手に触れた。
その仕草は、賢者としてのものではなく、幼いころ僕の手を引いてくれたあのアミリアのままだった。
「……ロキ。まさかあなたに会えるなんて……」
胸が震えた。顔を上げられない。
「ロキ。お願い。私を見て」
ゆっくりと顔を上げると、アミリアの澄んだ瞳がまっすぐに僕を映していた。
その姿は――水の賢者にふさわしい、澄んだ水のように静かな美しさだった。
あれから数年。
幼いころの面影はそのままに、どこか大人びた光が彼女の瞳に宿っていた。
白と青の聖衣が光を受けてやわらかく揺れ、アミリアはまさしく“聖女”そのものだった。
それでも、その奥にある面影は、幼い頃のアミリアのままだ。
祭りの喧騒の中で、二人だけの静かな光が生まれる。
「ロキ。会いたかった」
アミリアはそっと続けた。
「願いベリーの贈り物……とても嬉しかった。
学院でのロキの頑張りも、ちゃんと知ってる。
それに……私との約束を覚えていてくれて、ありがとう」
ロキは震える声で答えた。
「……アミリアとの約束、忘れてないよ……。必ず迎えに行く」
アミリアの瞳が揺れ、潤む。
――――その時。
リリーナが、そっと二人の間に顔をのぞかせた。
「2人はお知り合いなの?」
無邪気な声が響く。
「おにいちゃん、水のけんじゃ様のこと好きなの? いつもと全然違う顔だよ。ずっと見つめ合ってた」
その一言で、張りつめていた糸がふっと緩んだ。
リリーナの無邪気な指摘が、僕達の胸の奥を正確に突いた。
僕もアミリアも、思わず赤くなった。
昔はあれほど一緒にいたのに、今のアミリアを前にすると胸がうまく呼吸できなくなる。
手のひらに残る温もりが、胸の奥でそっと震えている。
そんな僕の緊張を察したのか、リリーナが僕の肩をぽんぽんと叩いて無邪気に気遣う。
「水のけんじゃ様。おにいちゃんは“おすすめ”だよ」
アミリアはクスっと笑いながらリリーナに答える。
「……よく知っていますよ」
アミリアの髪を彩る髪飾りが、光を受けて七色にそっと輝く。
そして、僕をまっすぐ見つめ、そっと言葉を落とした。
「……私、あなたのこと、ずっと待ってる」
そう言うと、アミリアは光の粒子をまといながら聖域へ戻っていった。
その瞳が揺れ、こぼれそうな光が涙に溶けていった。
――――
僕は動けなかった。今起きた出来事が夢ではないかとさえ思える。
しかし、手のひらには今も彼女の手の温もりが残る。
胸の奥には、ただアミリアの面影だけが静かに留まっていた。
――しばらくすると。
央都の中央の広場に、澄んだ鐘の音が響いた。
司会の声が、魔道拡声器を通して広場を満たす。
「これより――六賢者による祝福の合奏儀を執り行います。
この光は邪を祓い、人々の心に安らぎをもたらすと伝えられております」
上空の魔道スクリーンには、六賢者がそれぞれの光を授ける姿が映し出されていた。
街の人々は息を呑み、その神聖な光景を静かに見守っている。
やがて、六賢者が聖域の魔法陣へと歩み入り、円陣を描くように定められた位置へと立った。
その中には――つい先ほどまで僕の心に温かさをくれた、水の賢者アミリアの姿もあった。
白と青の聖衣が光を受けて揺れ、彼女の周囲には淡い水の粒子が静かに漂っている。
さっき触れた温もりが、胸の奥でふっとよみがえる。
賢者がゆっくりと聖杖を掲げた瞬間、空気がわずかに震えた。
世界が息をひそめるような、静かな圧が満ちていく。
――――詠唱が始まる。
その声に呼応するように、六つの神聖な魔法陣が夜空へと浮かび上がった。
聖杖から立ち上る魔力は、それぞれの属性の加護を帯び、やがて六色の光となって天へ放たれる。
光はゆっくりと重なり合い、ひとつの大きな輝きとなって街全体を包み込んでいく。
聖なる魔力が央都を満たし、静かに、世界が光に染まっていく。
光の粒子がふわりと舞い、街の屋根に、石畳に、人々の肩に、そっと降りては消えていった。
まるで世界そのものが祝福の色に染まっていくようだった。
僕たちは、その美しい光をいつまでも見つめ、人々は、この平和が永遠に続くことを祈っていた。
こうして、この国で一年でもっとも特別な日は、静かに幕を閉じていった。
――――――
――その夜。聖浄院・水鏡の間。
アミリアは、水面に揺れる淡い光を静かに見つめていた。
その揺らぎの奥に、久しぶりに会えた幼馴染の姿がふわりと浮かんでくる。
胸の奥には、まだほんのりと温かさが残っていた。
ミラがそっと問いかける。
「今日のアミリア様は……なんだか嬉しそうですね」
アミリアは微笑む。
「ええ。とてもいいことがありました」
「彼のことでしょうか?」
アミリアは少しだけ頬を染め、視線をそらす。
「……はい。――でも、久しぶりに会ったのにロキったら」
小さく肩をすくめ、どこか照れたように微笑んだ。
「すごくかしこまっていて、私まで緊張してしまいました。
子供の頃はいっしょにお風呂も入っていたのに」
ミラはくすりと笑う。
「アミリア様の“ふつう”は、彼には少し難しいのかもしれませんね」
アミリアは少しだけ唇を尖らせる。
「本当は……同年代の子たちみたいに……ロキと一緒に開国祭を見て回りたかったです」
ミラは優しく微笑む。
「アミリア様。きっと、いつか叶う時がきます」
――――アミリアは静かに目を伏せ、水鏡に映る自分の姿を見つめながら、そっと呟いた。
「……昔みたいに接してほしかったな」
水鏡の間は、いつもより少しだけ温かさが満ちていた。
――――




