第58話 灯火が揺れる街
共和国歴一九九八年
十六歳になった僕は、魔導学院の四年生へと進級した。
黒板には、魔導大戦や共和国の歴史が淡々と書き連ねられ、先生の落ち着いた声が教室に静かに響いている。
春の陽気に包まれた午後の教室は、どこか眠気を誘う心地よさがあって、まぶたを落としかけている生徒もちらほらいた。
進級しても、こうした“いつもの日常”は変わらずそこにあった。
けれど、授業が終わって廊下へ出ると、校舎の外はいつもよりざわついていた。
明日は、国全体が待ち望んでいる開国祭。
風に乗って届く屋台の準備の音や、遠くで響く楽団の調整音が、胸の奥をそっとくすぐる。
日常の中に、ほんの少しだけ“特別な気配”が混じり始めていた。
学生もそわそわしていて、友達同士で予定を話し合う声があちこちから聞こえてくる。
――僕は荷物をまとめ、校門を出た。
ルミとニールは地図を広げ覗き込みながら笑っている。
二人とも、明日の開国祭を心から楽しみにしているようだった。
明日、央都では、古より続く破邪の儀式“賢者の光”が街を照らす。
六人の賢者が紡ぐ聖なる魔力は夜空に広がり、央都に満ちた一年の穢れを祓い、祝福の光で包む。
人々が畏敬をもって待ち望む、神聖な瞬間だった。
もちろん、アミリアも六賢者の光の一角を担う。
水の賢者として民を導く責務を果たし、今では誰もが憧れる存在になっている。
僕も、みんなと一緒に“賢者の光”を見に行くつもりだった。
けれど――アミリアのことを思うと、自分のふがいなさに胸の奥がざわついて、開国祭を素直に楽しめる気がしなかった。
その気持ちを押し殺すように、僕は孤児院でひたすら剣を振った。
この時だけは何も考えずにいられる……
そんな僕を、リリーナはつぶらな瞳でじっと見つめていた。
まるで――開国祭に連れてってと言いたげな、まっすぐな眼差しだ。
レイン先生は、そんな僕の様子を見て、柔らかな表情を浮かべた。
「私は手が離せなくてね。よろしければロキ君、子供達を開国祭に連れて行ってあげてはもらえませんか」
その言葉には、塞ぎ込んでいる僕を気遣ってくれた優しさが静かに滲んでいた。
子供達は「やったー!」と歓声を上げる。
その明るさが、沈んでいた僕の心に、ほんの少しだけ灯りをともした。
――――――
街は、いつもより明るかった。
通りには屋台の骨組みが並び、職人たちが布を張り、魔導灯を調整している。
ひとつ、またひとつと灯りがともり、街はゆっくりと夜祭りの色へと変わっていった。
魔法で動く屋台が並び、射的では魔弾が光の的を弾き、金魚すくいの水槽では小さな水精たちが楽しげに泳いでいる。
子どもたちが走り回り、商人たちは声を張り上げ、会場を魔道師団が巡回し、魔道飛行部隊が上空から見守っていた。
街全体が、高揚と期待の空気に満ちている。
向こうに、手をつないで歩く僕の同級生の姿があった。
いつから、あの二人はあんなふうに並んで歩くようになったのだろう。
少年少女から大人へと変わっていく輪郭。僕は胸の奥が、少しだけ痛んだ。
子供達と屋台を回っていると、ふと視界の端に見覚えのある横顔が映った。
(あれは学園の先生?)
“氷の魔女”と呼ばれている魔法理論の怖い先生。
今日は髪をゆるく下ろし、赤いリボンで結んでいる。
先生は、普段見せない甘えた表情で、隣の男性の腕にそっと手を添えている。
……見てはいけないものを見てしまったようだ。
少し歩くと、人混みの向こうで、長い緑の髪を揺らすエルフの魔導士たちが静かに両手を掲げていた。
指先から淡い緑と青の光がふわりと溢れ出す。
その光は、まるで風と水が息を合わせて踊り出したようだった。
光は風に乗って舞い上がり、夜空に小さな魔法陣を描く。
魔法陣は花の形にほどけ、光の花びらが雨のように降り注いだ。
子供たちは目を輝かせ、思わず手を伸ばした。
「わあ……!」
光の花びらを追いかけるように、小さな足音がぱたぱたと弾む。
――――セントラルパークは、家族連れが多かった。
人混みの中で、親子の声が耳に入った。
「賢者様きれいだったね」
「賢者様の幸福があなたを包んで下さるわ」
僕は、はっとした。
――賢者の祝福。
開国祭では、賢者が子供達に“ささやかな祝福”を授ける儀式がある。
本番の“賢者の光”の前に光の広場で行われる、小さな祈りの時間だ。
(この子達にも……祝福を受けさせてあげたい)
光の広場へ子供達と歩いていると、人混みの向こうから小さな泣き声が聞こえた。
「……ママ……どこ……?」
僕は足を止め、声の方へ目を向ける。
祭りの灯りに照らされて、小さな女の子が涙をこぼしていた。
「どうしたの?」
僕はしゃがみ込み、目線を合わせる。
「……はぐれちゃったの……」
震える声。小さな手が、僕の袖をぎゅっと掴む。
「大丈夫。いっしょに探そう」
子供達も心配そうに集まってくる。
――祭りの会場に設置された魔導師団の警備詰所に向かった。
詰所に行くと、師団のマントを着た隊員がこちらに気づき、足早に近づいてきた。
「迷子か? 預かろう」
「お願いします」
女の子は僕の手を離す前に、小さく「ありがとう……」と呟いた。
胸がじんと温かくなる。
警備隊員は僕に軽く礼をしてくれた。
「今日は人が多くてな。君も気をつけてな」
「はい」
――――
僕達は小走りで光の広場に着いたが、広場は閑散としていた。
しかし――子供達への祝福の儀式はすでに終わっていた。
「……終わっちゃったの?」
「賢者様の祝福受けたかった……」
子供達はしょんぼりとうつむく。胸が痛む。
もっと早く連れてきてあげればよかった……
祭りの喧騒が遠くに聞こえるのに、この場所だけ、ぽつりと取り残されたように静かだった。
――そのときだった。
光の粒子が、どこからともなく舞い始める。
「わぁ……!」
「なにこれ、きれい……!」
子供達が歓声を上げる。
光の中心に、澄んだ青色の聖衣をまとった女性が立っていた。
静かに、どこか神秘的な雰囲気をまとっている。
彼女は優しい笑みを子供達に向けた。
「……こちらにきて」
しゃがみ込み、一人ひとりの頭にそっと手を置く。
光がふわりと揺れ、子供達の顔がぱっと明るくなる。
「賢者様だぁ」
僕は少し離れた場所で、慈愛に満ちたその光景に目を奪われていた。
胸の奥に、言葉にならない温かさが広がる。
――――そのとき。
女性がふと顔を上げた。光の粒子が頬を照らし、彼女の瞳に淡い揺らぎが走る。
彼女も気づき、視線が重なった。
その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
(……え?)
光の中の女性の表情が、一瞬だけ固まった。
「ロキ……?」
忘れるはずがない。幼いころ交わした、あの約束。
僕がここまで歩いてきた理由そのもの。
「……アミリア……?」
間違いなく、僕の幼馴染のアミリアだった。
胸の奥が一気に熱くなり、視線が彼女に向けられなかった。
思わずうつむき、足がその場に縫い付けられたように動かない。
顔を上げる勇気が、どうしても出なかった。
――――




