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無色の勇者と七色の約束  作者: 白猫サクラ
第10章 スカイレース大会
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第57話 少年と飛竜が世界を揺らす風

 僕は、みんなの心からのねぎらいに胸が熱くなる。


 魔法学院に入学してから、ずっとみじめな毎日だった。

 笑われて、見下されて、“魔欠”というだけで何もかも奪われてきた。


 そんな僕に、こんなふうに声をかけてくれる人たちがいる。

 こんなに応援されて、こんなに褒めてもらえるなんて、生まれて初めてだった。

 今日という日は、きっと一生忘れない。


 ――一方その頃。

 敗退したセシルは、ひと目もはばからず号泣していた。


 「エルフが空で……魔欠に……風の賢者様……見てるのに……まけ……っ……」


 もう言葉にならない。

 喉がつまって、涙と嗚咽だけが震える肩からこぼれ落ちる。

 膝が崩れ、地面に手をつき、そのまま泣き崩れた。


 クラスメイトたちが慌てて駆け寄る。


 「セシル、落ち着いて……! あんな訳の分からない戦法、今回は運が悪かっただけだよ!」

 

 「そうだよ、あんなの反則みたいなもんだって!」


 だが――その慰めは、セシルの耳にはまったく届かない。


 エルフが風の舞台で負けた。

 彼女の世界は、敗北の痛みで真っ白になっていた。

 胸の奥で、誇りが崩れ落ちていく音がした。


 リーフが歯ぎしりしながら叫ぶ。

 

 「はじかかせやがって……魔欠のくせに……!」


 その言葉に、周囲の同級生たちも押し殺していた感情をあらわにし始めた。


 「魔欠に負けたなんて……信じられない……」


 「あんな戦法ありかよ……」


 怒り、屈辱、混乱、嫉妬。

 それらが渦を巻き、学生達の空気を覆う。


 彼らの胸には、“魔法で負けるはずがない”という根深い思いがあった。

 その前提が、魔欠によって崩された。

 ロキの一勝が、静かに何かを動かし始めていた。

 その波紋が、じわりじわりと広がっていく――。


 ――六賢者は静かにロキを見つめる。

 奇抜な魔法具を使い、飛竜を操った少年を。


 その中で、風の賢者シルフィアだけが、わずかに目を細めていた。

 まるで、他の誰よりも早く“何か”に気づいているかのように。


 土の賢者ガルド・ロックハルトが低く、石が落ちるような声でつぶやく。


 「あいつが……魔欠のロキ・グレイシアか」


 アミリアの瞳がわずかに揺れた。

 声には出さない。

 けれど、胸の前で組んだ手がぎゅっと強く握られる。


 アミリアはそっと息を吸い、胸の奥に静かな熱を抱えたままロキを見つめていた。

 言葉にはしない。

 だが、その想いは胸の奥で静かに燃えていた。


 そして――闇の賢者ノクスは、誰よりも静かにその二人を見ていた。

 その視線には、驚きでも賞賛でもない。

 ただ、“観察者”としての冷たい光が宿っていた。

 ロキの力も、アミリアの揺らぎも、すべてを見逃さないというように。


 ――こうして、僕の長かったスカイレース大会は静かに幕を下ろした。

 歓声も、涙も、ざわめきも。

 すべてが胸の奥でゆっくりと溶けていく。


 風がひとすじ、頬をなでた。

 その温かさが、胸の奥に積み重ねてきた努力をそっと照らしてくれた。


 ―――――


 その夜。アスピア皇国宮殿。


 リリーナが嬉しそうに跳ねながら、玉座に座る皇女エレオノーラへ駆け寄る。

 

 「リリーナ、いったでしょう。にじのおにいちゃんが、かつよって!」


 頬を紅くして、両手をぱたぱたさせながら続ける。


 「かっこよかったなー。まあ、おにいちゃんとひりゅうさん乗りたい」


 その瞬間、空間がふっとゆがみ、純白の小さな子猫が姿をあらわした。

 聖獣の瞳を介して大会のすべてを見ていた皇女エレオノーラと執事長グライアンが静かに言葉を交わす。


 「……姫巫女の言うとおりでございましたな、殿下」


 「ええ。リリーナは、あの少年に何かを感じているのでしょう」


 グライアンが、わずかに声を落とす。


 「たしかに……あの少年には、因果が巡っている気配がございます。魔欠の少年剣士が飛竜にまたがるなど、まるで伝承にある“虹の”……」


 エレオノーラは皇都の光を見つめながら、胸の奥に沈む影を感じていた。


 「……世界が、少しずつ揺れ始めているわね。我が一族が動く時は――世界の危機。その時が、来なければいいのだけれど」


 その横顔には、幼い姫巫女の未来を信じる温かな期待と、遠くから忍び寄る影を感じ取った静かな不安が揺れていた。


 ―――――


 同じころ、聖浄院――水鏡の間。


 静かな水面が、天井の光を淡く反射しながら揺れていた。

 その揺らぎは、まるでアミリアの胸の奥に広がる波紋のようだった。


 足音ひとつ響かない静寂。

 水の香りと冷たい空気。

 ここは、彼女が心を整えるために選ぶ“特別な場所”。


 けれど今夜だけは、その静けさがかえって胸に刺さる。


 アミリアは水鏡の前に立ち、ゆっくりと息を吐いた。

 学院のスカイレース大会で見た幼馴染のロキの姿が脳裏から離れない。


 子供のころ、いつも一緒にいて、少し頼りなかったロキが、あんなふうに飛竜を操るなんて。

 離れ離れになったあの日の彼とは別人のように大人びて見えた。


 水の賢者アミリアの顔は、いつもより少しだけ幼く見えた。


 「……アミリア様」


 静寂を乱さぬような柔らかな声が、水鏡の間に落ちた。


 振り返ると、直属の部下ミラ・レインが立っていた。

 整った横顔は凛としていて、瞳だけはアミリアを案じるように優しかった。


 アミリアはミラの姿を見た瞬間、胸の奥に張りつめていた緊張がふっとほどけるのを感じた。

 

 「……ミラ」


 ミラはその横顔をひと目見ただけで、アミリアが何を胸に抱えているのかを理解したように、静かに言葉を落とした。


 「……あの少年。アミリア様の幼馴染。ずいぶんと特別な方ですね」


 ミラの声は柔らかく、アミリアが“言葉にしない想い”をそっと受け止めるようだった。


 アミリアはしばらく黙っていたが、やがて水面に映る自分の影を見つめたまま静かに言葉を落とした。


 「……私が水の賢者として聖浄院に上る前、ロキと離れ離れになる前夜に、母から聞かせてもらった子守歌の話をしました」


 アミリアのまつげがわずかに震える。


 「私は、母の子守歌を聞くと安心して……その優しい響きが、とても好きでした」


 髪飾りが淡く光を返す。


 「ロキは……その子守歌を聞いて、私を“必ず迎えに行く”と、そう言ってくれました」


 アミリアは今日の出来事を思い返すように目を閉じた。


 「今日のロキの姿を見て思ったんです。あれから数年の月日が経っても、ロキは今も約束を忘れずにいてくれているのだと」


 アミリアの瞳が潤む。


 「魔法が使えないロキがあれだけ見事に空を駆ける姿を見せるなんて、想像もできないほどの努力を重ねてきたのだと思います」


 涙が静かに水面へ落ちた。


 「それなのに……私は、ただ彼を待つことしかできなくて。そのことがとても苦しいのです」


 アミリアは水面に映る自分の影を見つめたまま、そっとまつげを伏せる。


 「ロキがクラスメイトの皆さんと笑い合っている姿を見ると……心が温まり、安心します。ロキが、あんなふうに笑いあえる友人と出会えたことが、本当にうれしくて」


 胸の前でそっと指を握りしめる。


 「でも……その反面、どうしても考えてしまうのです。『私も、ロキの隣にいたかった』と。

  自分が嫌になるくらい……私は嫉妬してしまうんです」


 その声は震えていて、賢者ではなく、ただの十五歳の少女の本音だった。

 水面が揺れ、アミリアの影も揺らぐ。


 「……ごめんなさい。賢者がこんな迷いを口にしてはいけないことは、わかっているのですが……どうしても、気持ちがおさえられなくて」


 その告白は、孤独に抗う十五歳の少女の素直な弱さだった。

 ミラはその想いを、静かに、丁寧に受け止めていた。


 アミリアの告白を静かに聞き終えたあと、ミラはしばらく何も言わない。

 ただ、アミリアの痛みを受け止めるようにそっとそばに立つ。


 ミラはアミリアの横顔を見つめ、静かに言葉を落とした。


 「……アミリア様。彼は、あなたの辛さ、お役目の重大さを分かっておられますよ。だからこそ、あなたの隣に立つのに相応しい人になりたいと、あの子は努力を続けているのだと思います」


 その言葉は、アミリアの胸の痛みをそっと包むように優しかった。


 ミラはほんの少しだけ表情を緩める。


 「……とはいえ、他の六賢者様に気づかれないように、彼には“アミリア様推し”を続けてもらわないといけませんね」


 アミリアが目を瞬かせると、ミラはさらに小さく笑って続けた。

 「彼を特別な目で見ている女子生徒が一部おりましたが――心配はいりませんよ。私も女ですから、分かります。

 彼の心の中で、アミリア様への想いがいちばん強いことくらい、すぐに分かります」


 アミリアは一瞬だけ驚いたあと、涙の中にふっと笑みを浮かべた。

 

 「……そうですね。自信をもたないと。ライバルには、負けていられませんね」


 その笑顔は、さっきまで涙に濡れていた少女のものとは思えないほど柔らかく、温かかった。


 部屋には、張りつめていた気配がゆっくりとほどけ、水面を渡る微かな光だけが静かに揺れていた。

 その静けさが、アミリアの胸の痛みをそっと撫でていくようだった。

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