第54話 風をまとう翼
――森の上空へ出ると、太陽の光が木々の海に反射し、緑の波がきらきらと揺れていた。
その上を、飛竜たちの影がいくつも走る。
観客は上空を見上げ、学生たちが操る飛竜の軌跡を追っていた。
息づかいすら聞こえそうなほど、会場全体が集中している。
風はまだ穏やかで、高度が上がるほどに空気が澄んでいく。
その静けさが、逆に緊張を際立たせていた。
胸の奥が熱くなる。リオの背に伝わる鼓動が、僕の鼓動と重なっていく。
不安よりも、ただ前へ進みたい気持ちが強かった。
――そして、最初の上昇気流ゾーンに差しかかった瞬間、空気が一変した。
森の上空を駆け抜ける風が急に荒れ、気流が渦を巻くように乱れ始める。
「うわっ、風が強い!」
突風が飛竜たちの翼を揺らし、高度を保てず、次々と選手の飛竜がバランスを崩していく。
太陽の光が乱れた風に乗って舞い散り、揺れる飛竜たちの影が森へと落ちていった。
しかしリオは違った。
突風が吹き荒れる渓谷地帯で育ったリオは、まるで風の呼吸を合わせるように翼を傾け、乱流を滑るように上昇していく。
風が強まるほど、リオの身体はむしろ軽くなるようで、上昇気流をつかんだ瞬間、ぐん、と加速した。
観客席の端で腕を組んでいたナギルが、鼻で笑う。
「そんな子供だましが、あいつに効くかよ」
会場がどよめき、司会が叫ぶ。
「いきなり大番狂わせ! 魔欠のロキ選手が上位に浮上してきたー!!」
観客席がざわつき、リオナが飛竜から身を乗り出す。
「ロキ、すごい……!」
ルミとニールも、太陽の光を反射するリオの姿に目を丸くしていた。
飛竜卸業組合の視察員たちが、椅子を鳴らして立ち上がる。
「なんだあの推進力は……立ち上がりの勢いが異常だ」
飛竜を見る目が肥えている彼らにも、動揺が走った。
リオが風を切るたび、空気が震えるように見える。
――――
高速区間に入ると、貴族出身の生徒たちが一斉に前へ出ようと加速した。
「安物飛竜に負けるか! 我が家は血統付きだぞ!」
「どけ、魔欠!」
風が裂け、複数の飛竜が左右から僕の進路を塞ぎにくる。
実況が声を張り上げる。
「おっとー! ここで他の生徒たちが一気に仕掛けた! 高速区間は血統飛竜の独壇場か!」
観客席がざわつく。
「並んだぞ!」
だが、リオは森の縁をかすめるように滑らかに旋回し、翼を畳んで滑空に移ると、風を一気に味方につけて加速した。
「なっ……!?」
「速……! なんで魔欠の飛竜がこんなに……!」
貴族出身の生徒たちの叫びが、風にちぎれて消えていく。
実況がさらに熱を帯びる。
「これは予想外! 魔工科ロキ選手、ただの滑空ではありません!
風の流れに乗っています! 飛竜の動きが……まるで風そのものだ!」
観客席がどよめき、立ち上がる者まで出てくる。
「見たか、あの加速!」
「滑空であそこまで伸びるのか……!」
貴族勢は焦り、無理な角度で追いすがろうとする。
だが――彼らの飛竜の顔には、すでに疲労の色が濃く浮かんでいた。
呼吸は荒く、翼の軌道がわずかに乱れ、速度がじわりと落ちていく。
実況が声を張り上げる。
「おっとー! 貴族勢の飛竜、これは限界か!?
高速区間での無理な追い上げが響いている! 飛竜の顔つきが完全に“疲労のサイン”だ!!」
観客席がざわつく。
「あれはもう持たないぞ……無茶をさせすぎだ……」
それでも貴族生徒たちは、失速する飛竜に苛立ちをぶつける。
「はやく飛べ、役立たず! さっさと追い抜かせ!!」
怒声が風に散り、湖面へと吸い込まれていく。
その喧騒の中で、リリーナが小さく呟いた。
「ひりゅうさん……かわいそう……」
その声は誰にも届かない。飛竜たちは、もう応える力すら残っていなかった。
――――
森の切れ間から光が広がり、視界いっぱいに湖が現れた。
朝の光を映した水面が、空と同じ色に輝いている。
その光の中を裂くように、リーフが横へ並び込んできた。
怒りと焦りに満ちた声が、湖面に反射して響く。
「魔欠が……俺の前を飛ぶな!」
リーフの風魔法が突風を呼び、水面がざわりと揺れた。
僕はリオの首筋を軽く叩き、短い合図を送る。
リオは僕の呼吸に合わせるようにふわりと高度を変え、優雅に、するりと旋回し、魔法の軌道をすり抜けた。
「!? ちょこまか逃げんな!」
リーフがさらに魔法を重ねようとした時、僕は背に背負った“弓”へ手を伸ばした。
指先が弦に触れた瞬間、世界が一拍だけ静まる。
バッグから矢を抜き取る動作は、まるで儀式のように滑らかだった。
湖の光が矢羽に反射し、白い線が空に浮かぶ。
実況が声を上げる。
「ロキ選手……構えたのは弓矢!? この時代に、その選択はあまりに古風だ!」
観客席が失笑に包まれる。
「彼、魔法が使えないんですって」
「弓なんて当たるわけないだろ」
だが僕は、そのざわめきをすべて置き去りにしていた。
レイン先生の声が、胸の奥で静かに響く。
『落ち着いて。余計なことは考えず……弓を引きなさい』
矢を構え、静かに息を吐く。リオの鼓動と、僕の鼓動が重なる。
「――――」
ザシュッ。
放った矢は一直線に飛んだ。
リーフは慌てて魔法障壁を展開する。
「そんな原始武器、届くかよ!」
だが次の瞬間――リーフの飛竜が大きく揺れた。
観客席でナギルが、呆れたように腕を組んだまま言う。
「高速飛行中に魔法障壁なんて張ったら、空気抵抗で失速するに決まってんだろ。
飛竜のこと、何ひとつ考えてねぇ」
魔法障壁が風を受けて膨らみ、リーフの飛竜は風に押し返されるように失速した。
そして、バランスを崩し、湖面へと吸い込まれるように沈んでいく。
実況が叫ぶ。
「おーーっと! リーフ選手、失速!
ロキ選手の矢を防ぐための魔法障壁がアダになったか!」
魔導師団の飛竜部隊にざわめきが走る。
魔法障壁の授業を担当する教師たちも顔をしかめた。
「魔法障壁で……ここまで失速するのか?」
「いや、理論上はそうだが……近年は高速飛竜戦の実戦が少ない。実際に見るのは初めてだ」
ざわめきは広がり、“知っていたつもりだったが、誰も本気で理解していなかった”という空気が会場を包む。
「くそぉぉ!!」
リーフが叫ぶ。だが飛竜は疲労でさらに失速し、放つ魔法も届かない。
リオは風を掴み、どんどん距離を広げていく。
リーフの叫びは、湖の光に砕けて消えた。
――――




