第51話 夕空に広がる街並み
――グルルルルル……!
その声は、さっきまでリリーナに甘えていた同じ生き物とは思えないほど荒々しい。
次の瞬間、巨大な翼が広がり、渓谷の風が一気に荒れ狂う。
砂利が舞い上がり、僕は思わず腕で顔を覆った。
「うわっ……!」
飛竜は怒りに震え、密猟者たちの頭上を旋回し始める。
リリーナが胸に手を当て、悲しそうに小さくつぶやいた。
「ひりゅうさんのタマゴ……」
ナギルさんは杖を握りしめ、低く、はっきりと言った。
「……許さねぇぞ」
その声は、いつもの渋さとは違う。本気で怒った顔だった。
「ウルフ、行くぞ!」
ワーウルフが吠え、ナギルさんを背に乗せて駆け出した。
風魔法が巻き起こり、砂利が渦を巻いて舞い上がる。
――ナギルさんは密猟者たちの前に、一瞬で迫った。
「タマゴを返せ。今すぐ」
密猟者の一人が叫ぶ。
「何だこのじじい! 邪魔すんな!」
その男は火球を放った。
だが次の瞬間、ワーウルフの身体がふっと揺らぎ、横へ跳んだ。
まるで疾風のような速さだ。
火球は空を切り、岩壁にぶつかって砕け散る。
「このウルフ、早いぞ……魔法が当たらねぇ……!」
密猟者たちが動揺する。
ナギルさんはワーウルフの背で軽く息を吐き、杖を横に払った。
風が鋭く鳴り、地面が浅く切り裂かれる。
密猟者たちは足元をすくわれ、まとめて後ろへ吹き飛ばされた。
「くそっ……!」
僕は目を見開いた。
(レイン先生が言ってたやつ……)
魔獣の背に乗り、魔法を操る伝説のテイマー。
あれは昔話じゃなくて――目の前で起きている現実だった。
そのとき、密猟者の一人がタマゴを抱えたまま逃げ出した。
「これだけでも売れば!」
僕は反射的に立ちはだかった。
「タマゴを返してください!」
胸の痛みも忘れて、足が勝手に前へ出ていた。
僕は剣を抜き、逃げる密猟者の前に飛び出した。
「どけぇ! 小僧!」
密猟者が杖を振り上げる。
土魔法――《ストーンバレット》。
石の弾がいくつも飛んでくる。
――ガンッ!
僕は身をひねってかわした。
レイン先生の動きに比べたら、はるかに遅い。
石弾を避けながら踏み込み、剣の峰で密猟者の腕を打つ。
「ぐっ……!」
密猟者はよろめき、タマゴを抱えたまま体勢を崩した。
僕はすかさずその腕からタマゴを受け止めた。
――腕の中にずしりとした重み。
ほんのりとした温かさが伝わってくる。
「……よかった……割れてない……」
胸の奥がじんわり熱くなる。手が震えているのが自分でもわかった。
「みんな、かまうな! 逃げるぞ!」
倒れかけた密猟者が叫び、仲間たちは傷だらけのまま渓谷の奥へ逃げていった。
その背中が見えなくなると、飛竜はタマゴを奪われた怒りのまま、荒い息を吐きながら地面を爪でかいた。
――――
「……たまご、だいじょうぶだよ」
リリーナがそっと近づき、小さな手で飛竜の鼻先に触れた。
ナギルさんもゆっくり歩み寄り、低い声で言う。
「もう大丈夫だ。落ち着け」
飛竜の肩がわずかに震え、荒れていた呼吸が少しずつ静まっていく。
僕は腕の中のタマゴを見つめた。
温かい。――命の重みがそのまま伝わってくる。
「……これ返すね」
そっと両手で抱え、飛竜の前へ差し出した。
飛竜は大きな瞳で僕を見つめる。怒りの色はもうない。
ただ、じっと――確かめるように。
僕は息をのみながら、タマゴをそっと地面に置いた。
飛竜はゆっくりと首を伸ばし、タマゴを確かめるように鼻先を寄せた。
そして――
僕の手に、そっと鼻先を触れた。
ほんの一瞬。でも、はっきりとした動きだった。
(……え?)
リリーナが嬉しそうに笑う。
「ひりゅうさん、おにいちゃんに“ありがとう”って言ってるよ」
ナギルさんも腕を組んでうなずいた。
飛竜の瞳は、さっきまでとは違う。僕を少し認めてくれているようだった。
渓谷の風が、さっきよりもずっと穏やかに吹き抜けていった。
リリーナが小さく息をのむ。
「……のせてくれるの?」
飛竜はまばたきを一度だけして、背を低くした。
まるで――“乗っていい”と言っているように。
ナギルさんが腕を組んでうなずく。
「……この飛竜は、かなりの上玉だ」
夕陽を受けて広がる飛竜の翼を見上げながら、低く続ける。
「街で調達できる飛竜とはちがう。しなる翼……それを支える筋力……長くこの地を生きてきた証だな」
飛竜は優雅に翼を広げ、金色の風をつかむようにゆっくりと羽ばたいた。
僕はリリーナと顔を見合わせ、そっと飛竜の背に手を置いた。
リリーナが僕の手を握り、一緒に背へよじ登る。
僕の前に、リリーナがちょこんと座った。
――――
飛竜はゆっくりと立ち上がり、大きな翼を広げる。
バサァ!
飛び立つ瞬間、僕の視界に広がったのは――美しい夕日だった。
上空では、夕暮れの風が央都の方から吹いてくる。
――あっという間に渓谷と森を抜けると、そこには屋根が夕日を反射し、金色に輝く街並みが広がっていた。
魔導学院の塔が夕陽を受けて光り、アミリアのいる聖浄院の屋根が淡く輝く。
孤児院の小さな灯りも見えた。
はるか遠くに、僕とアミリアが住んでいたミース村がかすかに見える。
胸が熱くなる。こんなに美しい景色を見るのは、生まれてはじめてだ。
飛竜の背で見る世界は、地上から見るよりずっと広くて、ずっと優しかった。
リリーナが風に髪を揺らしながら、小さくつぶやく。
「きれい……」
僕は静かにうなずいた。
飛竜は静かに旋回しながら、金色の空をゆっくりと進んでいく。
その背中は、もう僕を拒んでいなかった。
僕の心のなかに、言葉にできない感動が広がっていた。
――――




