第49話 老テイマーと飛竜の山嶺
――翌日の放課後。
剣の稽古を終えた僕は、レイン先生に悩みを打ち明けた。
汗がまだ引かないまま、胸の奥の不安だけが重く残っていた。
レイン先生は僕の話を最後まで黙って聞き、腕を組んで少しだけ考え込んだあと、ゆっくり口を開いた。
「私も、魔獣の調教は専門ではないので詳しいことは言えませんが……」
その前置きに、僕は思わず息をのむ。
「ただ、――街の西外れに“騎乗テイム”の名手が住んでいると聞いたことがあります」
その言葉に、胸がざわついた。
「かつては、魔獣の背に乗って戦場を駆ける、伝説的なテイマーだったと聞きました」
レイン先生の声には、尊敬の色が混じっていた。
「もしその方が今も住んでいるのなら、魔獣との“信頼関係”を築くコツくらいは教えてもらえるかもしれませんね」
希望の光が、胸の奥で小さく灯った。
――その時。
「お兄ちゃん」
袖をくいっと引っ張られた。
リリーナが僕のそばに寄ってきて、大きな瞳で見上げてくる。
「おでかけするの? リリーナも、お兄ちゃんとおでかけしたい」
僕はそっとリリーナの頭を撫でた。
その小さな温もりが、胸の奥の不安を少しだけ溶かしていく。
「りりーな、動物さん好き。いっしょに行きたい」
その声は無邪気で、でもどこか僕を心配しているようでもあった。
足元では、ミミーがすりすりと体を寄せている。
リリーナがその頭をそっと撫でると、ミミーは気持ちよさそうに目を細め、甘えるように尻尾を揺らした。
その様子を見ていたレイン先生の目が、ふと、子猫のミミーの動きに吸い寄せられるように細められた。
まるで――“もっと別の何か”を見ているような、そんな遠い目。
すぐにいつもの穏やかな顔に戻ったけれど、その一瞬の揺らぎは、確かにそこにあった。
――――
翌朝、僕はリリーナと街の西外れへと足を運んでいた。
リリーナは僕の手をぎゅっと握り、まるで迷子にならないようにするみたいに、一歩一歩、僕の歩幅に合わせて歩いてくる。
その声は無邪気で、沈んでいた僕の心を、そっと撫でるように和らげてくれた。
しばらく、二人と一匹で静かに歩いた。
草を踏む音と、遠くで鳴く鳥の声だけが道に残る。
肩のミミーが小さく喉を鳴らし、リリーナは僕の手をぎゅっと握り直した。
「……このあたりだと思うけど」
街道から外れた細い道は、草が伸び放題で、人の気配はほとんどない。
風に揺れる木々の音だけが、静かに耳へ届く。
僕は足を止め、前方の林を見つめた。
林の中に古びた小屋が見える。
そして――柵の中で、何かがゆっくりと動いた。
ふいに、遠くで低い鳴き声が響く。
鳥でも獣でもない、聞き慣れない声。
足が止まった。
(……魔獣の声だ)
胸が高鳴る。怖さよりも、好奇心が勝っていた。
リリーナが小さく呟き、一歩、柵の方へ踏み出す。
その瞬間――
柵の向こうで、人影がゆっくりと動いた。
そこには、腰をかがめ、普段は凶暴なワーウルフの首元を優しく撫でている年老いた男性がいた。
灰色の髪はぼさぼさで、服も土埃まみれ。
だが、その手つきだけは驚くほど丁寧で、まるで長年連れ添った相棒を扱うような優しさがあった。
ワーウルフは小動物のように喉を鳴らし、老人の手に頭をすり寄せている。
(……すごい)
戦場で魔獣を操る“名手”というより、ただの“動物好きの老人”にしか見えなかった。
僕は息を整え、声をかけた。
「こんにちは。僕、魔導学院のロキといいます。このあたりに有名なテイマーの方がいると聞いて……その、教えていただきたくて」
「――――――」
老人の手がぴたりと止まる。
「……動物は好きか?」
唐突な問いだったが、迷わず答えた。
「はい。好きです」
「りりーなも大好きだよ」
老人は僕をじっと見つめた。
鋭くも威圧的でもない、ただ心の奥を静かに覗くような視線。
「儂は教師なんて柄じゃない。懐くかどうかは……こいつらが勝手に決める」
足元のワーウルフが気持ちよさそうに目を細める。
そのとき――
ワーウルフは何かに気づいたように耳をぴくりと動かした。
僕ではなく、隣のリリーナをじっと見つめている。
その視線は、警戒でも敵意でもない。
まるで“何かの匂い”を探すような、不思議な色。
足元では、肩から降りた子猫がくるくると回り、ワーウルフはそれを見つめている。
老人はその光景にちらりと目をやり、ほんの一瞬だけ、口元をわずかに緩めて低く呟いた。
「……なるほどな」
「今度、学院で飛竜レースの大会があるんです。でも僕、飛竜を持っていなくて……テイムの“名手”がいると聞いて、何か教えてもらえたらと思って来ました」
僕は、ありのままの思いを正直に告げた。
老人はワーウルフの頭を撫でながら、短く答えた。
「ここに飛竜はいねぇ」
その言い方は冷たくはない。ただ、事実だけを淡々と告げる声だった。
老人は視線を森の奥へ向ける。
「……だが、森の先の山岳地帯に、最近、何匹か群れてるのを見た」
風が吹き、木々がざわめく。
“行くなら覚悟して来い”という、言葉にしない忠告のようにも聞こえた。
僕はどうやって山へ行こうか、必死に考えていた。
リリーナを連れて行くのは危険すぎる。
でも置いていくのも不安だ。どうすればいいのか分からない。
そんな僕の迷いとは関係なく、老人は森の奥をじっと見つめたまま、ワーウルフの首をぽんと叩いた。
「……よし、行くぞ」
その言葉は、僕に向けたものではなかった。
まるで、ワーウルフにだけ聞かせるような小さな声。
思わず聞き返す。
「え……行くって、どこへ?」
老人は答えず、ワーウルフの背を軽く押した。
魔獣は素直に立ち上がり、リリーナの方へ歩み寄る。
リリーナはミミーを抱いたまま、きょとんと目を丸くした。
老人はようやくこちらを向き、ぶっきらぼうに言った。
「山だ。行きたいんだろ。飛竜の群れがいる場所まで案内してやる。――今から行けば昼前には着ける」
「えっ……本当に?」
老人は鼻を鳴らした。
「リリーナを連れて行くのは危ないんじゃ……」
僕の不安に、老人はゆっくりと首を振る。
「安心しろ。魔導師団のガキどもより、飛竜の扱いは慣れとる。」
そう言いながら、ちらりとリリーナと子猫を見る。
ワーウルフも、同じ方向を見ていた。
老人はワーウルフの背を軽く叩き、ぼそりと呟いた。
(……この子を連れていかない方が、よっぽど危ねぇ)
その声は、独り言のように小さかった。
「……この子は儂のウルフに乗せていく。軽い方がいいからお前は歩け」
老人はそう言うと、ワーウルフの首元を軽く押した。
魔獣は低く喉を鳴らし、リリーナの前で静かに腰を落とす。
「……乗れ。落ちんように、しっかり掴まっとけ」
リリーナは子猫を抱えたまま、目を輝かせた。
「やったー、おおかみさん乗っていいの……?」
「いい。こいつが許してる」
老人の声はぶっきらぼうだが、ワーウルフはまるで“早くおいで”と言うように尻尾を揺らしていた。
リリーナはそっとワーウルフの背にまたがる。
子猫のミミーも当然のようにその後ろにちょこんと座った。
僕はその光景に息を呑む。
(……すごい。凶暴なワーウルフがこんなに人間の言うことを聞くなんて)
老人は杖を軽く地面に突き、森の奥へ向き直る。
「行くぞ。儂の名はナギルだ。急げば日が暮れる前には山に着く」
ワーウルフが静かに立ち上がる。
「よろしくね。おおかみさん」
リリーナは、とびっきりの笑顔でワーウルフの首をなでた。
ワーウルフは、喉の奥で低く鳴いた。
大きな尾が、ゆっくりと左右に揺れる。
揺れに合わせて小さく体を丸め、ミミーは尻尾をふわりと揺らした。
――――




