第48話 大空への一歩
共和国歴一九九七年。
僕は十五歳となり、魔導学院の三年生へと進級した。
春の風が校庭を抜け、新しい学年の始まりを静かに告げていた。
三年生になったとはいえ、僕の毎日は相変わらず地味だ。
魔法科の同級生たちは次々と新しい魔法を覚え、中には上級魔法を扱えるようになった者さえいる。
魔法が使えない僕は、授業では魔導具の調整をしたり、学科の勉強をしたり、ただ“できること”を積み重ねるしかない。
それでも──剣の練習だけは毎日欠かしていない。
最近はレイン先生に褒めてもらえることが増え、胸の奥が温かくなることが増えた。
あれから、リリーナは、ときどき孤児院へ遊びに来るようになった。
いいところのお嬢さんなのに、そんな素振りはまったく見せず、孤児院の子どもたちと泥だらけになって遊んでいる。
「お兄ちゃん、見て見て! お城つくったの!」
子猫の白い毛並みまで泥だらけで、小さな肉球の跡が地面にぽつぽつ残っている。
その様子がなんとも可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
リリーナが来るようになってから、子どもたちの笑顔が前よりずっと増えた。
その理由は、きっと彼女の無邪気な笑顔だ。
明日も、学院の日々が続いていく。
そして──1カ月後には、学院恒例のスカイレース大会が控えている。
街じゅうの人々が観戦に訪れる、大きな祭典だ。
夕暮れの風が、遊び疲れた子どもたちの声をさらっていく。
その静けさの中で、僕はふと胸の奥に小さな熱を感じた。
――――
学院の講堂では、明日の競技説明のために皆が集まっている。
ジョーンズ先生が講堂に入ってきた瞬間、ざわついていた空気がすっと静まり返った。
誰もが息をひそめ、明日の大会を意識しているのが分かる。
黒板に魔法の光が走り、空中に淡い光の線が浮かび上がる。
それはやがて立体図となり、当日のレースコースがゆっくりと回転しながら表示された。
ジョーンズ先生は淡々とした口調で、しかし明瞭に説明を続けた。
「競技はスカイレースだ。飛竜に乗り、決められたコースを通ってゴールに到達することが目的となる。今年も各産業界の観戦に加え、六賢者も遠隔ビジョンでご覧になる」
教室の空気がわずかに張りつめる。誰もが息を飲んだ。
「競技者同士の魔法や魔工具による妨害も認められている。ただし、会場全体には魔力干渉結界が張られており、あらゆる攻撃の殺傷力は大きく減殺される。目的は“相手を倒すこと”ではない」
教室の空気が、さらにひとつ沈んだ。
「いかに機動力を維持したままゴールへ到達できるか──最初にゴールに到着した者が優勝だ」
魔法の光がコース図を照らし、峡谷、上昇気流、狭いトンネル、……さまざまなギミックが次々と浮かび上がる。
講堂の空気がさらに張りつめる。
魔法科の生徒たちは自信に満ちた表情を浮かべ、誰もが好成績を狙っている。
この大会で実力を示し、名前を覚えてもらうことができれば、魔導師団をはじめ、各業界への推薦に繋がる。
卒業後の進路を考えると、彼らの周囲にはすでに熱気のような魔力の気配が漂っていた。
ジョーンズ先生は空中に浮かぶコース図を一度見回し、静かに、しかし講堂全体に響く声で続けた。
「それから──飛竜の確保も授業の一環として扱う」
ざわり、と講堂が揺れた。
「飛竜は魔導師団でも、商会でも、運搬でも、共に働くことは珍しくない。
ゆえに、自らの手で飛竜を選び、信頼関係を築くことも学びの一つとする」
魔法科の生徒たちは余裕の笑みを浮かべた。
すでに高級飛竜を所持している貴族出身の学生たちは、「当然だな」と言わんばかりに頷いている。
ジョーンズ先生は続ける。
「1カ月後の大会までに、各自で調達すること。
家の飛竜を使ってもいいし、学院周辺の牧場から買ってもいい。
もちろん、野生の飛竜を手なずけてもよい。飛竜と信頼関係を築いて、しっかり使役できるようにすること」
――僕はどうしようか悩んだ。飛竜を買うお金なんてない。
学費だって、本当なら払えるはずもなかった。
ローレット孤児院も裕福ではないが、ローレットさんが、自分の生活を削ってまで僕の学費を工面してくれた。
だったら──自分で探すしかない。
――――
その夜──僕はラウンジの窓辺で、夜空を見上げながら飛竜のことを考えていた。
どうやって探そうか。どこに行けばいいのか悩んでいた。
そんなとき、ニールとルミが雑談しながら入ってきた。
「あ、ロキじゃん。どうしたんだ、そんな顔して」
ニールが気軽に声をかけてくる。
「……大会で使う飛竜なんだけど。僕、飛竜のあてがなくて、どうしようかなって」
ルミが心配そうに目を丸くする。
「私は実家で飼ってる飛竜を借りようと思ってる。
大会までの間に、ちゃんと一緒に飛べるように練習しようと思ってるの」
ニールも少し困ったように笑った。
「わたしもさ、街の工房で手伝ってたから運搬用の飛竜がいるんだ。親方が貸してくれるって」
二人とも、当たり前のように“飛竜がある”世界で生きている。
僕は、思わず小さくつぶやいた。
「……みんな、飛竜を持ってるんだね」
片田舎の孤児院で育った僕は、そんなこと知らなかった。
飛竜なんて、貴族か商人だけのものだと思っていた。
まさか、同級生のほとんどが“当たり前”のように飛竜を持っているなんて。
胸の奥が、じんわりと痛んだ。
――そこへリオナが偶然ラウンジに入ってきた。
「みんな、おそろいでどうかしたの?」
少し心配そうに覗き込んでくる。
「……大会で使う飛竜、僕にはあてがなくてさ」
リオナは一瞬だけ目を丸くし、すぐに柔らかく微笑んだ。
「もしよかったら、私の実家に飛竜が何匹かいるから……貸そうか?」
さすがは名門貴族の家柄。
その申し出は自然で、押しつけがましくもない。
「リオナ、ありがとう」
僕はゆっくり首を振った。
「でも……甘えるわけにはいかないし。自分の力で何とかしてみるよ。今度の休みに、探してみる」
その瞬間、リオナの表情がふっと揺れた。
ほんの一瞬だけ目を伏せる。
「……そっか。分かった。もし本当に困ったら言って」
すぐに笑顔に戻ったけれど、その声は、どこか寂しそうだった。
そんなやり取りをしていると、ラウンジの奥にいた貴族のリーフが、わざとらしくこちらへ歩いてきた。
どうやら僕たちの話を聞いていたらしい。
相変わらずの嫌味を隠そうともしない。
「お前、飛竜も持ってないのか。孤児院出身だから飛竜買えないんだろ」
口元を歪め、さらに続ける。
「お前、ドワーフみたいに体力だけはあるからさ。走って競技に参加すればいいんじゃないか?」
その声には、あからさまな嘲笑が混じっていた。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる──悔しい。
そのとき、リオナがきっぱりと声を上げた。
「やめて、リーフ。そんなこと言うの」
リーフは不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんだよ。お前、最近やけに魔欠をかばうじゃねーか」
その隣で、土属性のキースが肩をすくめた。
「参加は自由だろ。ただし怪我しても自己責任だぞ」
さらに追い打ちをかけるように言う。
「たとえ飛竜があったとしても、攻撃魔法も魔法障壁も使えないんじゃ……的になるだけだぞ」
エルフのセシルも冷静に言葉を重ねた。
「私も本気でやるわ。この大会は将来の進路に関わるもの。手加減はできない」
リーフが鼻で笑う。
「辞退した方が、恥をかかなくて済むんじゃねぇの?」
悔しかった。何も言い返せない自分が、情けなかった。
――うつむく僕を、リオナが悲しそうな目で、ただ静かに見つめていた。
――――




