第46話 小さな訪問者
「見つけた! にじのおにいちゃん!」
その声が弾むのと同時に、庭先の子猫の瞳がきらりと光った。
孤児院の庭では、レインと剣の稽古をするロキが汗を流している。
子どもたちが走り回り、笑い声が風に混じって響いていた。
その穏やかな光景を──白い子猫は、塀の上からじっと見つめている。
そして、その小さな瞳を“借りて”覗き込んでいるのは、
ブロンドの髪、青い瞳──五歳の女の子、リリーナ・クラリス。
「私と同じくらいの子どももいっぱいいるね。楽しそう……」
リリーナはくるりと回り、ぱっと駆け出した。
「お母さまー! にじのお兄ちゃんみつけたー! わたし、お兄ちゃんにあいたい!」
その声が響く先には──玉座に座る、気品ある女性。
リリーナの“母”であり、この国・アスピア皇国の皇女、エレオノーラ・クラリス。
彼女は困ったように眉を寄せた。
「……リリーナ」
側に控える執事が、慌てて口を開く。
「姫巫女。なりません。こたびの件のようなことが、いつ再び起きるかも分からないのです」
執事長のグライアンが目を光らせる。
「嫌! ぜったい嫌!!」
リリーナは小さな体を震わせ叫んだ。
「にじのお兄ちゃんのところに行く!!」
その瞬間──リリーナの足元で一つの影が跳ねた。
白い毛並みをふわりと揺らす白い子猫。
リリーナと仲良しの“ミミー”。
小猫にしては、どこか不思議な気配をまとっている。
グライアンはしぶい顔をする。
「エルミナ共和国とは協力関係にありますが、互いの内政に干渉しないことが条件──姫巫女が国外で誘拐されるなど、本来なら“外交問題”どころでは済まされませぬ」
それでもリリーナは、瞳に涙を浮かべながら、ぎゅっと拳を握った。
「いくの……この子のパパも……むかし、ゆうしゃさまのお手伝いしたんだから……!」
その小さな声に、白い子猫がぴょんと跳ねた。
グライアンが一歩進み出る。
「エレオノーラ様のお言葉で、姫巫女をお諭しください」
玉座に座るエレオノーラは、困ったように眉を寄せた。
「グライアンの言うことはもっともです。
ただ……私も娘を助けてもらっておきながら、お礼をしないなんて……心苦しいのです」
グライアンは淡々と告げる。
「共和国からは、少年には国の担当者からお礼を申し上げておく、との言葉をいただいております」
エレオノーラはうつむいた。
そのとき、リリーナがぽつりと言う。
「……わたし、にじのゆうしゃさまにあいたい」
グライアンが眉間にしわを寄せて諭す。
「“虹の勇者”は大昔に亡くなっております。偶然、虹がかかったように見えただけです」
「ちがうもん!」
リリーナは首を横に振る。
エレオノーラは小さく息をのむ。
「……リリーナは、歴代の巫女のなかでも、もっとも魔力にたけています。
──この年で既に“聖獣”を従えて……」
視線がリリーナの足元へ向く。
子猫が、彼女の周りを守るように寄り添っている。
「リリーナは、なにか……感じているものがあるのでしょう」
エレオノーラの言葉に、グライアンは静かに首を振った。
「たとえ、そうであっても危険です。邪な輩に、いつ姫巫女が狙われるとも限りません。
もし姫巫女に何かあれば、大賢者との盟約が違えます」
リリーナはしゅんと肩を落とした。
「……でも、あの“おじちゃん”がいるから大丈夫」
「おじちゃん?」
エレオノーラとグライアンが同時に首をかしげる。
リリーナはぱっと顔を上げ、嬉しそうに言った。
「お兄ちゃんに“剣を教えてたおじちゃん”……」
エレオノーラとグライアンは顔を見合わせた。
「……剣を教えていた男、ですか?」
リリーナはこくりとうなずく。
「けんじゃさんと同じか……もっとつよいかも……」
その言葉に、二人の大人が息をのむ。
「そんな者がエルミナ共和国に?」
エレオノーラの呟きに、子猫がそっとリリーナに寄り添った。
その尾が弾むように揺れた。
――――
それから数日後。
レイン先生との稽古の時間。
木剣を握りながら、僕はどうしても気になっていた。
あの日。少女が襲われたとき、迫る炎を前に、僕は何もできなかった。
やっぱり──剣は、魔法には勝てないのだろうか。
レイン先生は、僕の迷いを察したのか、静かに言った。
「どうしました。集中できていませんね」
「……すみません」
僕は、あの日の出来事をレイン先生に話した。
そして胸の奥に残っていた迷いを、正直に打ち明けた。
「レイン先生……魔道具があったから助かりましたけど、もしなかったら、僕も、あの女の子も焼け死んでいました」
言葉にした途端、胸の奥がざわついた。
あの炎の前で、何もできなかった自分が、まだそこにいる。
「剣で……魔法を斬るなんて、やはりできないのでしょうか」
レイン先生は、少しだけ目を細めた。
「なるほど」
短くそう言うと、僕の木剣にそっと手を添えた。
「少女を守るために立ち向かったあなたの勇気は立派です。
その心を、決して忘れてはいけません」
その声は静かで、けれど胸の奥に深く響いた。
「しかし──今のあなたは、まだ足りない」
レイン先生は木剣を軽く押し返しながら続けた。
「焦らず、剣を磨きなさい。努力の先に、あなたの答えがあります」
その言葉は、まるで“何かを知っている人”のようだった。
僕は思わず、先生の横顔を見つめた。
「ロキ君。剣は、あなたの勇気と努力を裏切りません」
その一言が、胸の奥の迷いを少しだけ晴らしてくれた。
答えが分かったわけではない。
けれど──その言葉が、正しいような気がした。
僕は気を取り直して剣を振る。
――――――
レイン先生と木剣を激しく打ち合わせる。
風がそよぎ、木々が揺れる。
その静けさを破るように──
「ごめんください」
孤児院の門を叩く音がした。




