第45話 政治と密談
目が覚めると、白い天井があった。
薬草の匂いがする。
僕は学院の医務室のベッドに横たわっていた。
身体が重い。喉が焼けるように痛む。
それでも、誰かの気配がそばにあった。
「……ロキ。目が覚めたか」
横を見ると、ミール先生が椅子に腰掛けていた。
目の下に薄い隈がある。
ずっと付き添ってくれていたのだと、すぐにわかった。
「ミール先生……どうして……」
声がうまく出ない。
それでも、先生はいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「魔導師団から連絡があってな。
“剣を持った学院の生徒が倒れている”と聞けば……お前しかいないだろう」
言葉は冗談めいていたけれど、声の奥には確かな安堵があった。
「お前はひどい火傷を負っていて、レナー先生が治癒してくれたんだ」
言葉は短い。――
けれど、その奥にある“心配していた時間”が伝わる。
「それで──何があった?」
僕は、かすれた声で答えた。
「……剣の稽古の帰りに、女の子が賊にさらわれたのを見たので……」
言葉にすると、胸の奥がじんわり痛んだ。
僕は、自分の体験をそのまま話した。
――――
ミール先生は、黙って聞いていた。
やがて、低い声が落ちてくる。
「授業で得た知識が人の命を救ったな。……よくやった」
淡々としているが、ミール先生はうれしそうだった。
どこか僕を気遣う響きがあった。
「……そういえば。あの子……無事だったんでしょうか」
その瞬間、ミール先生の返事が、わずかに早かった。
「あ、ああ。大丈夫だ」
声が少しだけ上ずる。ミール先生らしくない。
「魔導師団が保護した。賊の行方は師団が追っているから心配するな」
一拍置いて、どこかぎこちない調子で言葉が続く。
「親御さんから……ロキに、くれぐれもよろしくと。お礼があったそうだ」
言葉は正しいけれど、どこか硬い。
(あの子……何かあったのかな)
僕の胸に、小さな疑問だけが静かに残った。
しかし、今の僕には深く考える余裕はなかった。
身体の痛みと疲労が、意識をゆっくりと沈めていく。
──最後に浮かんだのは、あの少女の青い瞳だった。
――――
ロキが医務室で静かに眠りについた頃、ミールは学院長室へ呼び出されていた。
室内の空気は重苦しい。
学院長は書類を閉じ、深く息を吐いた。
「……師団長が、気の毒に思えてくるよ」
ミールの眉がわずかに動く。
「……?」
学院長は、苦いものを噛みしめるように続けた。
「六賢者の前で警備を強化すると言った矢先に、街中で誘拐事件を起こされたのだ。
胃がキリキリして仕方がないらしい。」
淡々とした口調なのに、その裏にある“師団長の惨状”が容易に想像できた。
学院長はさらに言葉を落とす。
「普段ほとんど口を開かぬ土の賢者が、師団長の血の気が失せるほどの“気配”を見せたらしい」
学院長は、机上の書類に視線を落としながら言う。
「師団長からは、くれぐれもこの件が公にならぬよう頼むとのことだ。
巫女を危険にさらしたことが公になれば、師団の面目は丸つぶれだからな」
静かな声なのに、部屋の空気はさらに重く沈んでいった。
学院長は、ふっと口元だけで笑った。
「……あいつとは腐れ縁でな。“今回の件は貸しにしておく”と伝えておいた」
その笑みは柔らかいのに、どこか背筋が冷えるような響きを含んでいた。
ミールは、察したように静かに言った。
「ロキは……大丈夫です。
あの子は、向いている方向が他の生徒たちとは違いますから……。
ある意味、誰よりも純粋です。」
ミールの声音は、富や名声ではなく──
ロキが何を、いや、“誰を見ているのか”を理解している大人のそれだった。
学院長はしばらく黙っていたが、やがて、どこか安心したように小さく頷いた。
「……そうか。ならば、ロキ・グレイシアのことは引き続き君に任せる」
その言葉には、学院長なりの安心感が滲んでいた。
ミールは軽く息を整え、表情を引き締めて口を開く。
「……ところで、巫女を襲ったのは何者でしょうか」
ミールの問いに、学院長は短く息を吐いた。
「何者かは分からない。──巫女の力が邪魔なのだろう」
ミールの眉がわずかに動く。
学院長は続けた。
「巫女の魔力は……ある意味で六賢者より希少だ。
もし巫女の身に万が一があれば、取り返しのつかない事態に陥っていた」
静かな声なのに、その言葉は刃のように鋭かった。
ミールは顔を上げる。
学院長は書類をめくり、その名前のところで指を止めた。
「……巫女が、会いたがっているそうだ」
ミールの胸がわずかにざわつく。
「魔導学院で剣は異色だが──魔欠であること以外、素行は良好だ。」
学院長は、指先で書類の端を軽く整えながら、言葉をつづけた。
「大賢者の使徒にして学院創始者……大魔導士エルド・ゴーレンスが“魔工学を特別な位置づけとして定めた”。その意思のもと、魔工を正式な学位として掲げている以上、彼を排除する理由はない。」
学院長は言葉を終えると、ふと視線を上げた。
壁に並ぶ六属性の魔法科の徽章──その中央に、"歯車と砂時計”を象った魔工科の徽章が静かに輝いている。
学院長はその徽章をしばし見つめ、わずかに目を細めた。
そして、声の調子をわずかに落とす。
「だが──“魔欠を皇国の巫女に会わせるなど論外”という意見が、国の上層部の大半を占めている」
ミールの表情がわずかに沈んだ。
──自分の生徒が、また理不尽に傷つけられる。
胸が締めつけられる。
学院長は書類を閉じ、椅子にもたれた。
「丁重にお断りはしたようだが……
共和国は彼の国に干渉できない。今後どうなるかは、誰にも分からん」
そして、ミールをまっすぐ見つめる。
「ロキ・グレイシア──ベノムサーペントの次は巫女か……。
何かの因果が働いているのかもしれんな。」
淡々とした声なのに、部屋の空気をわずかに震わせるような重みがあった。
ミールは小さく息を吐き、深く頭を下げた。
重い扉が閉まる音が、静かな廊下に響いた。




