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無色の勇者と七色の約束  作者: 白猫サクラ
第9章 異国の少女
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第44話 にじのゆうしゃ様

 僕は地面を思い切り蹴って、駆けだした。


 馬車に乗り込んだ賊は二人。


 ――逃げる馬車は、狭い路地へ飛び込んでいく。

 両脇の建物が迫り、道幅は馬車一台分がギリギリだ。

 馬の蹄が石畳を叩くたび、火花のような音が散った。


 「ちっ……走りにくい……!」


 男が舌打ちする。狭すぎて、馬は速度を上げられない。

 その一瞬の減速で、距離が縮まった。


 だが僕の足は止まらない。


 剣の稽古で温まった脚が、まるで勝手に前へ進むように動いていた。

 路地の角を曲がるたび、馬は大きく体勢を崩す。


 ──追いつける。


 視界の端で、馬の影がどんどん大きくなる。

 ついに、手を伸ばせば届く距離まで迫り、逃げる男の背中を掴んだ。


 「うおっ!? なんだこいつ!」


 馬が大きく揺れ、男が体勢を崩す。

 

 その隙に僕は少女を引き寄せ、地面へ転がりながら抱きかかえた。


 「てめぇ!! なんだこのガキ!!」


 怒号が飛ぶ。

 

 僕は剣を構えた。――


 呼吸は乱れていない。

 ただ、腕の中の少女だけは絶対に離さない。


 賊の一人が魔法の詠唱に入った瞬間、僕の身体は勝手に動いていた。

 

 ――剣先が、詠唱者の喉元へ滑り込む。


 「──っ!」


 男の声が途切れた。詠唱は、そこで完全に止まる。

 僕は何も考えていなかった。


 ただ、たとえ魔法が使えなくても──

 腕の中で怯えている少女だけは、絶対に渡すわけにはいかなかった。


 賊の一人が、仲間に向かって叫ぶ。


 「構ってられない! 魔導師団がくるぞ!」


 「クソ……蛇さえいれば囮にできたものを……!」


 男が苛立ちながら片手を上げる。

 その腕に、"黒い六芒星"の焼印が赤く浮かび上がった。


 詠唱の気配が、空気を震わせる。


 「ファイヤーウォール!」


 低く呟いた瞬間、世界が赤く染まった。


 ボウッ!!


 路地の両側から炎の壁が噴き上がり、僕たちを囲むように燃え広がる。

 熱風が肌を刺す。空気が焼ける匂いがした。


 「焼け死ね」


 男の声が、炎の向こうから響いた。


 次の瞬間、男たちは踵を返し、炎の外側へ駆け去っていった。

 足音が石畳を叩き、すぐに遠ざかる。


 残されたのは──

 燃え上がる火の壁と、僕と、僕の背にしがみついて震える少女だけだった。


 逃げ道はない。炎が、じりじりと迫ってくる。

 

 熱が肌を焼き、呼吸をするたび、喉の奥が焼けるように痛む。 

 息ができない。視界が揺れる。


 僕に魔法が使えたら……。


 悔しさが、熱と一緒に胸の奥で渦を巻いた。

 ただ焼かれるのを待つしかないなんて。


 ――そう思った瞬間、懐の中で何かが指先に触れた。


 ……あ。


 実習でつくった、“水の魔力オーブ”。


 小さな球体は、ひんやりと冷たかった。

 炎の赤に照らされながら、そのオーブだけが淡い青を宿している。


 握った瞬間、冷たさが指先から腕へ、すっと流れ込んだ。


 これなら……。


 僕は、視界が歪むなか炎の向こうへ向けて腕を振りかぶった。


 ――――


 そこから溢れ出したのは、灼熱とは真逆の、澄んだ透明な水だった。


 炎へ触れた瞬間──しゅう、と蒸気が立ちのぼる。


 燃え上がっていた火が、音もなく力を失っていく。

 清らかな水が、雨のように降り注いだ。


 付近は、さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返った。

 熱だけが、まだ空気の奥に残っている。


 そして──

 

 蒸気の向こうに、七色に光り輝く“虹”が架かり、辺りがやさしく色づく。


 僕の背にしがみついている少女は、青い瞳の、ブロンドの、五つか六つほどの女の子。

 服は土で汚れ、頬は涙で濡れていた。


 それでも──

 虹の光を映したその瞳だけは、驚きと、何かを思い出すような強さを帯びていた。


 そして、震える唇が、かすかに動く。


 「……にじの、ゆうしゃさま……?」


 そう聞こえた気がした。


 「え……」


 喉が焼け、かすれた声を絞り出す。


 「もう大丈夫だよ。安心して」


 少女がゆっくりと僕を見上げ、虹の光が、その青い瞳に揺れた。


 その瞬間──路地の入口で、人影が揺れた。


 「……誰か、いるのか」


 近所の店の主人らしい男が、恐る恐るこちらへ歩いてくる。

 

 火傷だらけの僕を見て、息を呑んだ。


 「大丈夫か……何があった……」


 僕は立っているのがやっとだった。

 息が浅く、視界が揺れる。


 「この子を……お願いします」


 声にならない声で、それだけを伝えた。

 男は驚きながらも、しっかりと女の子を受け取った。


 ――その瞬間、僕の膝から力が抜けた。

 石畳が近づき、音もなく、僕の視界が暗く沈んでいった。


 僕の記憶は、そこで途切れた。――

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