第39話 誇りのひび割れと、学びの本質
リオナの背中。酸で服が溶け、紫に変色した患部に、そっと薬液を振りかける。
ジュワッ……!
薬液が触れた瞬間、リオナの表情が激痛にゆがんだ。
だが、紫色の毒素が煙のように薄れていく。
「……効いてる……!」
焦点の合わなかった瞳が揺れ、やがて僕の顔を捉えた。
「ロキ……?」
かすれた声。弱々しくて、さっきまでの気丈さはない。
けれど、意識は確かに戻っている。
「……すまない。私が……下手なプライドを持ったせいで……」
その目は、悔しさと自責で揺れていた。
僕は首を振る。リオナは少しだけ目を伏せる。
「……よく、解毒ができたな……」
僕は少し照れながら答えた。
「さっき採取した解毒草だよ。魔工科は治療薬の授業もあるから。
――サキュバスの先生に教わってるんだ」
そう言って笑ってみせると、リオナの表情がわずかに緩んだ。
「私は薬草の採取を軽んじていたのに……治療薬に救われたのか……」
リオナの声はかすかに震えていた。
強いはずの瞳が、ほんの少しだけ揺れる。
それは、首席としての誇りが傷ついたのと──自分の軽率さへの反省を静かに受け止めている目だった。
その時――僕の視界に、リオナの肩が入った。
酸で溶けた制服のマント。露わになった肩。
リオナも気づいたのか、肩を隠そうと身を縮める。
「ご、ごめん……!」
僕は慌てて目を伏せ、自分のマントを外してリオナにそっとかけた。
「これ……使って。寒いだろうし……」
布が触れた瞬間、リオナは小さく息を呑んだ。
うつむいたまま、かすかに言葉を落とす。
「……すまない」
その声は、いつもの強さとはまるで違っていた。
――しばらく沈黙が続いた後、リオナがぽつりと口を開く。
「ロキ……少し聞いていいか?」
「どうしたの?」
リオナは視線を落とし、言いにくそうに言葉を探した。
「ロキは……その……魔法が使えないのに、どうして魔導学院に?」
僕は少しだけ目を伏せた。
言うべきか迷ったけれど、この場で嘘をつくのは違う気がした。
沈黙のあと、僕はゆっくり口を開いた。
「……幼なじみを追いかけて、かな」
「幼なじみ……?」
リオナが首をかしげる。
僕は洞窟の壁を見つめながら続けた。
「こないだ襲名した水の賢者、アミリア。あの子……僕の幼なじみなんだ」
リオナの目が大きく開かれる。
「水の賢者が……?」
「うん。同じ村で、ずっと一緒にいた。――でも、アミリアは才能があって……
僕とは違って、どんどん遠くへ行ってしまった」
言葉にすると、胸の奥が少しだけ痛む。
僕は苦笑した。
「僕じゃ釣り合わないって分かってるのに……ほんと、どうしようもないよね」
――リオナは自嘲気味に話すロキの横顔を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(水の賢者アミリア様……)
リオナの脳裏に、襲名の儀式の光景が蘇る。
空を割るような水の奔流。世界そのものを支配するような水竜。
誰もが息を呑んだ、圧倒的な才能。
(あの日……私は初めて挫折した)
貴族の家に生まれ、常に一番だった。
魔法も、学力も。
周囲は私を“才女”と呼び、私自身も学院を主席で卒業する未来を疑わなかった。
けれど――
同い年の水の賢者・アミリア様の魔法を見た瞬間、私の自信は粉々に砕けた。
(世の中には……上がいる。本物の前では、私の才能なんて……ちっぽけなものだった)
胸が締めつけられる。
ロキはその娘のことを追っている。
魔欠と嘲笑していた相手に、命を救われた。
その事実が、誇りを持っていたはずの胸を強く揺らす。
洞窟の中に、しばらく静かな時間が流れた。
――――
次の瞬間、リオナの表情が再び引き締まる。
「このあと……どうする? 奴はまだ近くにいる。
すまないが私は魔力切れで……戦えない」
僕は苦笑いを浮かべた。
「僕の剣もあいつの酸でボロボロなんだ。――全力で逃げよう」
洞窟の外から、木々をなぎ倒す重い音が響いてくる。
ズル……ズル……ギャアアアッ!!
奴はまだ近くにいる。片目を失って怒り狂い、僕たちを探している。
僕は深呼吸して、リオナに向き直った。
「奴は片目をつぶされて、感覚が鈍っているはずだ。
――リオナは僕がおんぶするから、振り落とされないようにしっかり掴まってて」
その瞬間――リオナの頬が、赤く染まった。
「……お、おんぶ……?」
普段の凛々しい彼女からは想像できないほど、小さく、か細い声。
「僕、足腰は自信あるから」
リオナは視線をそらし、耳まで赤くなっていた。
リオナの腕が、そっと僕の肩に回された。
その温もりに、胸が少しだけ熱くなる。
――――
僕はリオナをおんぶし、外の様子を覗く。
「……いた。奴だ」
リオナが息を呑む。
思い出したようにリオナが言葉を発する。
「ベノムサーペント……確か、熱源を感知して獲物を追うって、生態の授業で先生が言っていた」
「……熱……?」
僕はハッとした。そして、バッグから小さな魔力オーブを取り出す。
「それは?」
「僕が実習で作った魔力オーブ……の失敗作」
最後は小声だった。
自分の不器用さが恥ずかしくて顔が熱くなる。
「でも――ちょっとした火くらいなら、つくと思う」
僕は逃げる方向とは逆へ向けて、思い切りそれを投げた。
ヒュッ……!
オーブが地面に落ちた瞬間――
ボウッ!!
小さな炎が立ち上がり、周囲を赤く染めた。
その高温に反応して、ベノムサーペントが一瞬で向きを変える。
ギャアアアアアッ!!
長い巨体をうならせながら、おとりの炎へ向かって疾走していく。
リオナは目を見開いた。
「……そうか。奴は熱に反応する……
だから火魔法を使う私を執拗に狙ってきたんだ」
その声には、悔しさと気づきが入り混じっていた。
「生態の授業も……私はテストの点数としてしか見ていなかったんだな……」
僕は首を横に振る。
「それを知ってるリオナはすごいよ。僕なんて赤点ぎりぎり」
リオナの表情がふっと和らいだ。
――僕は全力で、洞窟を背に走りだした。




