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無色の勇者と七色の約束  作者: 白猫サクラ
第7章 ミール先生の影とアミリアへの贈り物
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第35話 果実の香り、戻る想い

 ――翌日の放課後、僕はミール先生の執務室を訪れた。

 扉をノックしながら挨拶する。

 「ミール先生、失礼します」


 ミール先生は、少しだけ首をかしげるようにしてこちらを見た。

 「……どうした、ロキ」

 先生は作業の手を止めた。


 「少しご相談があって……」

 僕は胸の奥の言葉をそっと探すように、ゆっくりと話し始めた。


 「以前の授業で、カーミラさんの魔法薬店に行ったとき、贈り物の“香”を紹介してくれたんです。……こないだ、カーミラさんに香を作ってもらって……その……」


 僕が言葉に詰まると、ミール先生はわずかに目を細め、続きを促すように静かに口を開いた。

 「アミリア様に渡したいのか?」


 「はい……。僕なんかが聖浄院に入ることも、賢者様に会えないことも分かっています。

 ただ、せめて……小さな贈り物だけでもできないかなって」


 「私の同期に、魔導師団で働く女性魔導士がいる。彼女はアミリア様の警護や執務の補助をしている。彼女ならアミリア様と話す機会もあるだろう」


 ミール先生は、少しだけ肩をすくめた。


「魔工科の学生が実習で作ったものを“賢者様に試供いただく”という体で、渡してもらえるよう頼んでおいてやる」


 胸の奥に張りついていた重さが、そっとほどけていくのを感じた。

 「ありがとうございます!」

 僕は嬉しさのあまり、大きな声でお礼を言った。


 ――ロキが執務室を出たあと、ミールはロキから預かった小さな贈り物を、大切そうに机の引き出しへしまった。


 ――――――


 三日後の夜。


 ミールの同期である上級魔導士、ミラ・レインは、聖浄院の賢者が住まう層――アミリアの居室の前に立っていた。


 淡い青髪を肩で揺らす、凛とした佇まいの女性魔導士。

 水の気配を纏うような静かな気品があり、アミリアを補佐する役目にふさわしい落ち着きを備えている。


 ミラは扉をノックする。

 「アミリア様。少しよろしいでしょうか」


 中から澄んだ声が返る。

 「どうぞ。お入りください」


 部屋の中は、水の賢者らしく青と白を基調とした静謐な空間である。

 調度品が整然と並び、中央には大理石の机。


 アミリアはその前に座り、夜に訪れたミラを見て尋ねた。

 「どうかなさいましたか?」


 ミラは丁寧にお辞儀をして答えた。

 「夜分に失礼します。実は、アミリア様にお届けしたいものがありまして」


 ミラはポーチから、手のひらに収まる布袋を取り出した。

 魔力を込めて保存性を高めた袋は、カーミラ魔法薬店のオリジナルで、花模様が施されている。


 ミラは両手でそっと袋を支え、落ち着いた声で言った。

 「学院の学生が授業で作った“香”です。ささやかですが、心の癒しや疲労回復効果があるとのことです」


 その声音は、どこか柔らかく、相手を気遣うようだった。

 「賢者様にお使いいただきたいとのことで……もしよろしければ、お試しください」


 アミリアは柔らかく微笑んだ。

 「学院の学生が一生懸命作ってくれたものですね。せっかくですから使わせていただきます。ありがとう、ミラ」


 「それでは、私は失礼します」


 部屋を出たミラは、小さくつぶやいた。

 「ミール……今度会ったら食事でも奢ってもらわないと」


 ミラは立哨警備の持ち場へ戻っていった。


 ――アミリアは布袋を手に取り、そっとつぶやいた。

 「かわいい袋……」


 袋を開けると、淡い赤色の小さな結晶の香が入っていた。

 アミリアは香を金属の台座に置き、小さな火を灯す。


 ふわりと、甘く爽やかな香りが広がった。

 「この香り……レッドベリー? どうして私が好きなこと……」


 アミリアははっと息をのむ。


 懐かしい香りが部屋に満ちていく。

 幼い頃、母と山で摘んだ記憶。ロキと一緒にほおばった甘酸っぱい思い出。


 そして――二人だけの“願いベリー”の儀式。

 ロキは照れながら、「アミリアをずっと守る」と願いを置いた。

 アミリアは頬を赤くしながら、「ロキのそばにいられますように」とそっと願いを置いた。


 無邪気に願っていた、あの頃。


 アミリアの胸がきゅっと締めつけられる。

 でも、香りの奥に、微かに感じる“想い”があった。

 子供のころのロキとアミリアの思い出の儀式の残滓が見えた気がした。


 ――アミリアは胸に手を当てた。

 水の賢者としての務めを果たすため、感情を押し殺し、幼馴染の名を呼ぶことすら避けてきた。


 会えば揺らぐ。

 思い出せば弱くなる。

 だから、心を閉ざしていた。


 なのに――この香りは、あの日の笑顔を、声を、温もりを、容赦なく胸の奥へ呼び戻してくる。


 アミリアの瞳が潤む。

 “会いたい”

 その言葉が喉までこみ上げるが、賢者としての自分がそれを押しとどめる。


 香りは優しく、切なく、アミリアの心を静かに満たし続けた。


 アミリアの瞳から涙が落ちる。――

 

 あの日のかけがえのない思い出は、アミリアの心を覆っていた氷を溶かしていた。

 香の効果は切れたが、部屋にはかすかにレッドベリーの香りが残っていた。


 ――アミリアは布袋を大切に握りしめ、急いでミラのもとへ向かった。


 息を切らしてミラに告げる。

 「ミラ。ありがとう。とても癒されました」


 アミリアは布袋を胸に抱きしめるように持っていた。

 そして、少し迷ったあと――静かに言葉を継いだ。


 「作っていただいた学生さんにお伝えいただけますか?

 とても癒されました、と。とてもうれしかったです、と……」


 アミリアは布袋をそっと撫でる。

 「それと……“願いベリーの香り、ありがとう”とも……そう伝えてください」


 ミラは首をかしげた。

 「願い……ベリー?」


 アミリアは、どこか懐かしむように微笑んだ。

 「ええ。私のふるさとで、レッドベリーを“願いベリー”と呼んでいたんです。

  子どもの頃、ちょっとした願い事をするときに使っていて……」


 ミラは深く頷いた。

 それがアミリアの大切な記憶であることを、察したように。


 アミリアが部屋へ戻ろうと振り向いた瞬間、その瞳から、涙が静かにこぼれ落ちるのをミラは見た。


 ――――――


 聖浄院から見上げる夜空は静かだった。


 水の魔力が満ちる階層を離れ、外気に触れたミラは、アミリアの笑顔とこぼした涙のことを考えていた。


 (あんな表情は、初めて見た)


 普段、氷の仮面のように無表情な彼女の顔に、抑えきれない感情が浮かんだ。

 聖浄院へ上ってからずっと硬かった水の賢者の表情が、少女のそれへとほどけていく。


 ミラはその余韻を胸に抱えたまま、月夜を眺めた。――

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