第34話 カーミラさんの手のひらの光
今日は土曜日。
剣術の訓練を終えた僕は、汗と埃にまみれたまま、しばらく深呼吸をした。
レイン先生の指導は日に日に厳しくなっていく。
体は傷だらけで、服も砂埃で白くなっている。
それでも、不思議と嫌じゃない。
無我夢中に剣を振っている間だけは、胸の痛みを忘れられるからだ。
……それにしても、ひどい格好だ。
孤児院を出た僕は、カーミラさんの魔法薬店へ向かうことにした。
以前、カーミラさんが話していた“大切な人への贈り物として人気の香”のことが、ずっと頭の片隅に残っていた。
相手が好きだった果実をもとに作り、そこへ自分の思いを添える香り。
森で摘んだレッドベリーを二人でほおばり、無邪気に願い事を言い合った頃を思い出す。
アミリアはレッドベリーが好きだったから、贈り物ができないか考えていた。
ミール先生の話を聞いて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
『アミリア様は、ロキのことを心配していたよ』
その言葉が、ずっと消えなかった。
だから、アミリアに、僕の色褪せない気持ちを送りたかった。
――カーミラさんの店へ向かう道すがら、街角で黒衣をまとった人々が、静かに祈りの言葉を唱えていた。
最近、この手の“布教活動”をよく見かけるようになった。
けれど、今の僕の足は止まらなかった。
―――カーミラさんの魔法薬店に着いた。
ノックして中に入ると、カーミラさんがカウンターに気だるそうに座っていた。
「いらっしゃい……
あー、学院の生徒か。ロキって言ったかい? 買い物でもしたいのかい?」
そう言ったあと、カーミラさんは目を大きく見開き、僕の全身を見回した。険しい顔つきに変わる。
「汚いねぇ。それに傷だらけじゃないか」
僕は焦って埃まみれの姿を釈明する。
「す、すみません! 剣の稽古の帰りで……」
カーミラさんは立ち上がり、僕に告げた。
「こっちにきな」
店の裏手、外の作業場に案内される。
――カーミラさんは軽く指を鳴らし、僕に水魔法をかけた。
簡易詠唱とともに、水の泡がふわりと僕を包む。
ひんやりして、でも心地よい。
泡は全身の汚れをさらい落とし、そのあと弱い炎魔法の応用だろうか、温かい風が衣服を乾かしていく。
「これで綺麗になったね。……
ここは魔法薬を作る場所なんだから、衛生的にしないと」
僕は自分の軽率さを恥じた。
カーミラさんはやれやれという顔で続ける。
「全身も傷だらけじゃないか」
そして――
カーミラさんはそっと指を鳴らし、静かに息を整えると、
「……光よ、癒し給え」
その祈りのような声が、空気を震わせた。
柔らかな光が僕を包み、傷がゆっくりと癒えていく。
カーミラさんは魔族の眷属であるサキュバス。
本来、魔族は光の女神の加護に由来する魔法を扱うことはできない。
カーミラさんが癒しの光を使えるということは、光の女神の加護を受けているということを意味する。
「手がひどいね」
剣術の稽古で豆だらけの手を見て、手のひらの回復を強めてくれる。
すっかり痛みが引いた。
口では毒舌なカーミラさんだが、面倒見がよく、根はすごく優しい。
「それで今日はどうしたんだい?」
カーミラさんはぶっきらぼうな声のまま、けれどどこか気にかけるようにこちらを見た。
僕は少し息を整えた。
「前に、カーミラさんが“香”を紹介してくれたので、それで、ひとつ作ってほしいなと思ったんです」
「贈り物かい?」
「はい。渡せるかわからないけど……離れ離れになってしまった幼馴染に送りたいんです。
彼女はレッドベリーが好きだったから、それで作れないかなと思って」
僕の表情を見て、カーミラさんの目元がふっと和らいだ。
「いーじゃないか。いいのを作ってあげるよ」
その顔は優しさに満ちていた。
「でも、渡せるかわからないって……どこか遠くに行っちまったのかい?」
僕は視線を落とし、言葉を探した。
「近いけど……ある意味、遠くかもしれません」
――僕は、カーミラさんにアミリアとのことを話した。
幼馴染が新しい水の賢者アミリアであると知ると、カーミラさんはすごく驚いた。
それでも、優しく微笑みながら口を開く。
「あんた……とんでもない女を狙ってるね。でも任せな。色恋はサキュバスの本領だよ。
ロキの思いがしっかり伝わるよう、とびっきり気合い入れて作ってあげるよ」
僕はカーミラさんの飾らない明るさに、思わず笑顔になった。
「お願いします」
カーミラさんは、いたずらを思いついた子どものように口元をゆがめた。
「だけど、あんたの恋が成就したら……うちの店の魔法薬を使ってくれるよう、賢者に口利きするんだよ」
カーミラさんはちゃっかり注文をつける。
――カーミラさんは魔法薬の調合台に僕を案内した。
レッドベリーと、疲労回復と癒し効果のあるハーブを調合し、やがて淡い赤色の小さな結晶がひとつ生まれた。
手のひらにのせると、微かに果実の香りが立つ“香”だ。
カーミラさんは満足げに目を細めた。
「ここからが、うちの店の“ひと手間”さ。――ロキ、私と手のひらを重ねな。
そして、その人に伝えたい思いを強く念じるんだ」
僕は目を閉じ、胸の奥に沈めていた気持ちをそっと掬い上げた。
――アミリアが笑っていられますように。
カーミラさんと重ねた手が、温かく光った。
「これで完成だよ。香を焚けば、ロキのその娘への思いが伝わるはずだよ」
胸の奥がじんわり熱くなる。
「……ありがとうございます」
――店を出ようとしたとき、カーミラさんが声をかけてきた。
「ミールは元・魔導師団の“水魔導士”さね。ミールに頼めば、あんたの幼馴染を護衛してる水魔導士の一人や二人、知り合いがいるだろうさ」
カーミラさんはやわらかく目を細めた。
「小さな贈り物を渡すくらい、口利きしてくれるんじゃないか。相談してごらん」
その言葉は、僕の背中をそっと押してくれるようだった。
「あと、これも持ってお行き」
カーミラさんは小瓶を数本、僕の手に握らせた。
「生成の質が悪くて売り物にはできなかったけど、あんたの傷を治すくらいはできるよ。
怪我したら放置するんじゃなくて、これを使いな」
――回復薬。
カーミラさんの優しさが、瓶の重みよりも強く胸に響いた。
店を出るとき、僕の心は温かく満たされていた。




