第20話 荘厳なる水龍、それでも前へ
天へと昇った水龍は、アミリアが振り下ろした長杖の軌跡に従い、使役された従魔のごとく鋭く、迷いなく急降下を始めた。
向かう先は――聖浄院の奥の院、結界の間。
ここは、かつて大賢者ラズウェルが厄災を封じた大結界を張った場所。
アミリアの聖なる水龍は、大賢者ラズウェルの結界の干渉を受けることなく、まるで“許されている”かのように結界へと吸い込まれていった。
次の瞬間――
「ギャイイイイイイイイイイ!!」
奥の闇の向こうから、幾重もの魔獣の断末魔が響き渡った。
アミリアの放った水龍が、大結界の縁で顕現を狙っていた魔獣たちを次々と浄化していく。
水龍の咆哮と魔獣の悲鳴が交錯し、空気が震え、大地が低く唸った。
やがて――すべてが嘘のように静まり返った。
アミリアはゆっくりと杖を下ろし、無表情のまま、六賢者の列へと静かに戻っていく。
賢者就任の儀は終了し、大賢者の間との通信も切断された。
アミリアの魔力を目の当たりにした学生たちは、全員が放心していた。
同年代の少女が、自分たちとは桁違いの魔力を操り、国を守っている。
その事実が、学生たちの自尊心を容赦なく打ち砕いた。
学校へ戻る道中、誰ひとりとして口を開かなかった。
普段は高圧的な男子生徒も、高飛車な女子生徒も、顔色を失い、ただうつむいて歩いていた。
その背中には、“自信”という言葉が跡形もなく消えていた。
一方、臨席していた国の大臣や魔導師団の幹部は誇らしげに話している。
「穢れどもめ。我らが賢者の力を思い知ったか。」
――だがその頃、異界の奥底では、アミリアの魔法が触れた痕跡をなぞるように、魔素の海の深層で、光る眼がゆっくりと開いた。
まるで、時が訪れるのを、虎視眈々と待っているかのように。
――――――
アミリアの就任の儀式が終わった。
午後は休校だが、寮に戻っても、どうにも落ち着かなかった。
短い時間であったとしても、アミリアの姿を見られたことが嬉しかった。
でも――アミリアに会いたくて仕方がなかった。
それなのに、隣に立つ資格がないと思うほど、胸の奥がざわついて仕方がなかった。
僕は、いてもたってもいられず、気がつけば孤児院を訪れていた。
扉をノックすると、いつもの穏やかなレイン先生が出てきて、中へ招いてくれた。
「どうしたんだい、ロキ君。今日は水の賢者の就任儀式だったでしょう。」
僕はうつむき、何も言えなかった。
アミリアの姿を思い出すだけで、心が締めつけられる。
レイン先生は、僕の焦りを察したようだった。
「私も儀式を拝見しました。彼女の魔力は本物です……」
その横顔は、アミリアが背負っているものの重さを理解している目だった。
「今日の儀式を見て、規格外の天才に自信を砕かれた学生は多いでしょう。」
レイン先生は、言葉を選ぶように続けた。
「この世界は理不尽です。同時に、それは人が成長する上で必要な原動力にもなります。」
一拍置いて、僕を見つめる。
「大事なのは、悲観することではない。――あなたに何ができるかということです。」
僕は唇を噛みしめた。胸の奥が熱くなる。
「レイン先生……僕、アミリアの隣に立てるように強くなりたいです……」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥に押し込めていた想いが、堰を切ったようにあふれ出した。
レイン先生は、しばらく黙って僕を見つめていた。
責めるでも、慰めるでもなく。
ただ、僕の溢れる思いを真正面から受け止めるように。
――そして、静かに息をついた。
「これから一緒に稽古していきましょう。――厳しくいくので、覚悟してくださいね。」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
――――――
レイン先生の稽古は、容赦がなかった。
木刀の構え、足運び、呼吸、視線。
一つ一つが鋭く、正確で、逃げ場がない。
けれど不思議と、苦しさよりも嬉しさの方が勝っていた。
僕はレイン先生の厳しい訓練が、なぜか待ち遠しかった。
剣を振っていると安心する。
アミリアに近づいていると思えるから。
孤児院に吹く夕暮れの風が、少しだけ暖かかった……
――――――
ロキが帰った後、レインは礼拝堂の地下にいた。
戦時中の避難壕を利用して作られたその部屋は、石畳の床と厚い扉に囲まれ、外界の音を一切寄せつけない厳重な部屋。
部屋の書庫には、丁重に保管された一冊の古文書がある。
レインはその背表紙へと静かに手を伸ばした。
表紙はひび割れ、今にも崩れそうなほど古い。
それでもレインは、大切なものに触れるように、そっと指を置いた。
そして、誰にも聞こえないほどの声でつぶやく。
「……ローディン様……」
部屋の奥には、ひと際厳重な封印術式が施された一本の"棒状のもの"があった。
長い年月で蓄積された錆と汚れに覆われ、価値などないように見える。
だがその奥底では、今もなお何かを求めるように、“鈍い黒光り”を放っていた――




