第166話 救出への誓い
グレイスさんの表情には、隠しきれない動揺が浮かんでいた。
普段は尊大な態度を崩さないグレイスさんが、今は見る影もなく取り乱している。
奥さんは、ティアさんが幼い頃に病気で亡くなったそうだ。
それ以来、グレイスさんは一人娘のティアさんを、何よりも大切にしてきたという。
その娘が、突然姿を消したのだから、平静でいられるはずもなかった。
「ティア……いったい、どこへ連れ去られたのだ……」
グレイスさんの震える声が、会議室に響いた。
僕は、先ほどの報告を思い返しながら口を開いた。
「昨日の襲撃のあとです。
ティアさんは、ラーカンクス王国の手の者にさらわれた可能性もあるのではないでしょうか」
「だとすれば、やはり王家の隠密部隊か……」
レイスさんが険しい表情を浮かべる。
「しかし、なぜティアさんを?
ユリシス殿下を直接狙うならともかく……」
その問いに、ユリシス殿下は苦しげに目を伏せた。
「……思い当たる人物がいます」
グレイスさんが、すぐに顔を上げる。
「誰だ?」
「ラーカンクス王国のファロ王子です。
彼は、私と同じ時期に王立学園へ通っていました」
殿下は一度言葉を切り、静かに続けた。
「学園では、試験やスポーツの成績で、私が彼を上回ることが何度かありました。
その頃から、ファロ王子は私を目の敵にしていたのです」
年齢が同じで、互いに王位継承者という立場でもあったことから、二人の間には以前から確執があったようだ。
「そして彼は、当時ラーカンクス王国に留学していたティアさんに好意を寄せていました。
王家の権力を盾に、何度も彼女に言い寄っていたのですが……」
殿下の表情が険しくなる。
「私たちが婚約したあとも、彼は彼女への執着を捨てていなかったようです」
「まさか……それでティアを辱めようというのか?」
グレイスさんが、絞り出すような声で呟いた。
「王家直属の隠密部隊を動かせるのは、王か王子に限られます。
ティアさんがさらわれた以上、ファロ王子が無関係とは考えにくいでしょう」
ユリシス殿下は、悔しそうに唇を結んだ。
時間をかけるわけにはいかない。
僕は皆を見渡し、決意を口にした。
「私は、ラーカンクス王国へ向かいます。
どのみち、ラーカンクス王国がカルディナに手を伸ばしている以上、今回の件も見過ごせません。
ティアさんを連れ戻すため、私にできることをさせてください」
ユリシス殿下は、僕の言葉を受けて力強く頷いた。
「私も行きます。ティアさんは私の婚約者です。
彼女を危険にさらしたまま、ここで待っているわけにはいきません」
「殿下、それはあまりに危険です」
オルベルト議長が、慌てて声を上げた。
「承知しています。
ですが、ティアさんがさらわれたというのに、私だけここで待っていることなどできません。
それに、ラーカンクス王国の地理や内情を知る私なら、皆さんのお役に立てるはずです」
ユリシス殿下の決意は固かった。
そのとき、レイスさんが椅子から立ち上がった。
「だったら、俺たちも手を貸すぜ。
乗りかかった船だ。今さら知らん顔なんてできねえよ」
ライルさんとビルさんも、迷うことなく頷いた。
「カルディナが危ねえって話なら、なおさらだ」
「お嬢さんが誘拐されたのに、ほっとくわけにはいかないしな」
オルベルト議長も、険しい表情のまま頷いた。
「評議会としても、全力で捜索に協力しましょう。
必要なものがあれば、何なりと言ってください」
グレイスさんは、皆の顔を見渡した。
やがて、深く頭を下げる。
「皆さん……ありがとうございます。
どうか、あの子を……ティアを……娘を助けてください」
その声は、最後にはかすれていた。
普段の威厳も、貴族としての誇りも、今のグレイスさんには残っていない。
ただ娘を案じる父親の姿が、そこにあった。
僕は、その姿を見つめながら静かに拳を握った。
――――――
翌朝――
カルディナの街の入口には、ラーカンクス王国へ向かう一行が集まっていた。
僕のほかには、傭兵のレイスさん、ライルさん、ビルさん、そしてユリシス殿下がいる。
街道の脇には数頭の馬が繋がれ、その後ろには大きな荷馬車が停められていた。
荷台には、行商に使う商品や旅に必要な物資が積み込まれている。
「お待たせしました」
そう言って姿を現したのは、オルベルト議長とグレイスさん、そしてルマンドさんだった。
「おはようございます」
僕たちが挨拶を返すと、オルベルト議長は隣に立つルマンドさんへ視線を向けた。
「今回の一件で、ルマンド商会が協力してくれることになりました」
紹介を受けたルマンドさんは、僕に笑顔を向けた。
「ロキさんには、船で助けていただきましたからね。
それに、私もカルディナの住人の一人です。
街の危機とあれば、協力させてください」
ルマンドさんはそう言って、馬車を指し示した。
「こちらが今回用意した馬車です。
ラーカンクス王国へは、私ども商会の行商という形で入ってもらいます」
そう言って、ルマンドさんは一枚の書類を取り出した。
「こちらが交通手形です。
これがあれば、商人として国境を通過できますので、私も責任者として同行させていただきます」
ルマンドさんは、僕たちに視線を向ける。
「商人の護衛という形なら、傭兵を連れていても不自然ではありません。
これなら、国境でも余計な詮索を受けずに済むでしょう」
「そいつは助かる」
レイスさんが声を上げる。
「ありがとうございます。
ここまで手配していただけるとは」
僕が礼を言うと、オルベルト議長が穏やかに頷いた。
「評議会としても、今回の件は見過ごせません。
できる限りの支援をさせてもらいます」
続いて、ルマンドさんがレイスさんたちに目を向けた。
「それから、ささやかではありますが、皆さんの装備も用意してあります。
お気に召したものをお取りください」
そう言って、数本の杖と防護用のマントを取り出した。
「攻撃魔法の威力を高める杖と、支援魔法を安定させる杖を用意しました。
どちらも魔力の収束に優れた品です」
ライルさんとビルさんが、それぞれ新しい杖を手に取った。
先端に埋め込まれた宝石が、それぞれ異なる輝きを放っている。
「へえ……これはいいな。軽くて扱いやすい」
ライルさんが感心したように杖を眺める。
ビルさんも杖に魔力を流し、使い心地を確かめるように頷いた。
「それから、こちらのマントは当店の新商品です。
軽量で防寒性に優れ、魔法への耐性も備えています」
「こいつはいかすな」
ライルさんは、さっそくマントを肩に掛けてみた。
「レイスさんも、こちらをどうぞ」
「俺は、武器ならこいつがあるからな。マントだけ頂こう」
レイスさんは、傍らに置いた魔導砲に手を添えた。
まるで長年連れ添った相棒を確かめるような仕草だった。
そう言って、レイスさんは笑いながらマントを受け取った。
「ロキさんも、よろしければどうぞ」
「ありがとうございます。
私は、剣が体の一部みたいなものですので。
お気持ちだけいただきます」
僕は軽く頭を下げ、申し出への感謝を伝えた。
こうして、僕たちは商会の護衛として、ユリシス殿下は行商人に扮して、ラーカンクス王国へ入ることになった。
殿下は馬車に積まれた荷物に目を向けたあと、グレイスさんへと向き直った。
「必ず、ティアを連れ戻します」
その言葉に、グレイスさんは深く頷いた。
「……頼んだぞ、ユリシス君。
無事に戻ってきたら、盛大に結婚式を挙げよう」
その声には、娘の無事を願う父親の切実な思いが込められていた。
――――――
そのとき、街の方から何人かの女性がこちらへ歩いてくるのが見えた。
リゼットさんたち、グレイス家の侍女だった。
「ロキ様!」
リゼットさんが僕のもとへ駆け寄ってくる。
「どうか、お嬢様のことをよろしくお願いします」
「はい。必ず、ティアさんを連れ戻します」
僕の返事に、リゼットさんは深く頭を下げた。
その後ろでは、ほかの侍女たちが傭兵の皆さんにも声をかけていた。
「皆様、どうかお気をつけて!
お嬢様のことを、よろしくお願いします。
そして、どうか皆様も無事にお戻りください」
侍女の一人がライルさんの手を両手で握った。
「えっ……あ、ああ。任せておいてくれ!」
ライルさんは頬を赤くしながら、照れくさそうに胸を張った。
「ははっ、こりゃあ責任重大だな」
レイスさんが笑うと、ビルさんも少し照れたように頷いた。
「そうだわ。皆さまに、これをお渡ししたくて」
別の侍女が差し出したのは、布に包まれた弁当だった。
「私たちには、これくらいのことしかできませんが……。
道中で召し上がってください」
「すまねえな、お嬢さん方。ありがたくいただくぜ」
レイスさんが代表して受け取ると、侍女たちはそろって頭を下げた。
――やがて、出発の準備が整った。
僕たちは馬車に乗り込む前に、見送りに来てくれた人たちへ向き直った。
「それでは、行ってきます」
皆が頷き、僕たちを見送ってくれる。
「皆さんのご武運を」
――ティアさんを必ず連れ戻す。
その決意を胸に、僕たちはラーカンクス王国へ向けて出発した。




