↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無色の勇者と七色の約束  作者: 白猫サクラ
第22章 戦慄の暗殺者
PR
164/168

第164話 湯煙と花の香り

 僕は皆と別れ、宿へ戻った。


 食堂からは、料理の香ばしい匂いが漂い、宿泊客の楽しげな話し声が聞こえてくる。


 活気のある雰囲気はいつもと変わらないようだったが、席には空きが目立ち、普段より人の姿は少なかった。

 やはり、式典で起きた騒ぎの影響だろうか。


 僕も、今日は色々ありすぎて、体はくたくただ。

 お腹もすいたし、食事を済ませたら、ゆっくり浴場にでも行こう。


 そんなことを考えながら席に着こうとした、そのとき――。


 目の前に、一人の女性が腰を下ろした。


 可憐な花売り姿の女性。


 ……白夜さん?


「なぜ、あなたがここに……?」


 思わず尋ねたところで、背後から女将さんの声が飛んできた。


「おや、また女の子を連れ込んでるのかい?」


「ち、違います! そういう関係では……!」


「また?」


 白夜さんが、僕に冷ややかな視線を向けた。


「任務の途中で、呑気に女性をひっかけていたのですか?」


「白夜さん……違いますよ。

 船で一緒になった女性と、成り行きで食事をしただけです」


 必死に言い訳をする。


 女将さんは悪気なく笑い、食堂の奥へと去っていった。


 その姿が見えなくなると、白夜さんの表情がすっと引き締まった。


「静かに。あなたに密偵が張り付いています」


「えっ……?」


「私の存在には気づかれていません。

 ですが、あなたは尾行されています」


 思わず周囲を見渡しかけた。


「きょろきょろしないで。自然に……」


 白夜さんの声に、僕は慌てて動きを止めた。


「は、はい」


 本当に、密偵が……?

 全然気がつかなかった。


 そのとき、女将さんが食堂へ戻ってきた。


「この宿は、浴場もなかなかだよ。

 今日は客も少ないし、貸し切りみたいなものだから、ゆっくりしていきな」


 僕の顔が、思わず赤くなる。


「いえ、あの……!」


 戸惑っていると、隣で白夜さんが微笑んだ。


「ありがとうございます。

 せっかくですから、そうさせていただきますね」


「白夜さん?」


 女将さんは満足そうに頷くと、また食堂の奥へと戻っていった。


 すると――。


「お風呂、早く行きましょうよ、ロキさん」


「え?」


 僕が反応する暇もなかった。


 白夜さんは僕の腕に寄りかかり、頭をそっと寄せてきた。

 ふわりと、花の香りが鼻をくすぐる。


 甘えるような声と仕草。

 さっきまでの冷静な斥候隊長とは、まるで別人だった。


「……ちょっと、待ってください」


 次の瞬間、白夜さんは僕の腕に自分の腕を絡めた。


 その様子を、同じ食堂で食事をしていた男がじっと見つめていた。


 ――――――


 廊下へ出ると、白夜さんは一瞬だけ周囲を確認した。


 そして――。


 ぐいっ。


「わっ……!」


 腕を引かれ、思わずよろめく。


 白夜さんは僕の肩に寄り添ったまま、声を落とした。


「恋人同士のように、自然に振る舞ってください」


「は、はい……」


 仕草は和やかだったが、腕を引く力は容赦がなかった。


 白夜さんは僕の腕を絡めたまま、浴場へ向かって歩き出した。

 肩に寄り添う彼女の温もりが、気になって仕方がない。


 脱衣所へ入ると、ちょうど恋人同士らしい二人が、楽しそうに話しながら出ていくところだった。


 すれ違う際、女性が白夜さんを見て微笑む。


 白夜さんも、恋人らしい笑顔を返した。


 ……本当に、自然だ。


 その一方で、僕はどう振る舞えばいいのか分からず、ぎこちなく立ち尽くしていた。


 白夜さんは周囲を確認すると、何のためらいもなく衣服を脱ぎ始めた。


 湯けむりが辺りを包む中、透き通るような肌があらわになる。


 細い肩から胸元へと続く、しなやかな曲線。

 白い肌に浮かぶ柔らかな膨らみに、思わず目を奪われた。


 浴場から漏れる淡い光が、その美しさを際立たせている。


「白夜さん! な、何を……!」


 思わず声が裏返る。


 白夜さんは気にした様子もなく、身体にタオルを巻いた。


 僕は慌てて視線をそらしたものの、目に焼きついた光景がなかなか消えてくれない。


「あなたも早く。誰か来る前に」


 僕も慌てて衣服を脱ぎ、タオルを巻いて浴場へ入った。


 湯けむりの向こうで、白夜さんがこちらを振り返る。


「こちらへ」


 その声に導かれるように、湯船へと近づいた。


 白夜さんは湯に入り、僕の隣に腰を下ろす。


 肩が触れ合いそうな距離。


 ……近い。


 白夜さんは何事もないように、僕へ身を寄せた。


「落ち着いて。こんなことでうろたえないでください」


「そんなこと言ったって……」


 知らない女性と同じ浴場に入るなんて、どう考えても落ち着けるわけがない。


 視線をどこに向ければいいのか分からず、湯けむりの向こうへ目をやる。


 けれど――


 石鹸の香りに、彼女から漂う花の香りが混じる。

 意識しないなんてできるわけがない。


 湯の温かさとは別の熱が、頬に集まっていく。


 肩が、そっと触れた。


 ……女神様、アミリア様。


 不埒な僕をお許しください。

 本当に、やましい気持ちはなかったんです。


 ただ食事をしようとしたら、いつの間にかこうなっていて……。

 これは不可抗力の成り行きなんです。


 僕は湯の中で手を胸の前に合わせ、必死に祈った。


「何をやっているんですか」


 白夜さんが、呆れたように僕を見た。


「……アミリア様には言わないので、落ち着いてください」


 僕の心を見透かしたように、白夜さんがそっとたしなめる。


 それから、湯船の縁に手を置き、周囲に聞こえないよう声を落とした。


「これを読んでください」


「は、はい」


「読み終えたら、直ぐに廃棄してください」


 彼女が差し出したのは、手のひらに収まるほど小さく折り畳まれた連絡文だった。


 そのとき、彼女の指先が僕の手にそっと触れた。


 ……っ。


 ほんの一瞬のことだったのに、受け取った紙よりも、その指先の感触の方が気になってしまった。


 思わず顔を上げると、白夜さんの表情が目に入った。


 お湯に濡れないよう、髪を高く束ねている。


 普段とは違うその姿には、大人の女性の落ち着きと艶やかさが漂っていた。


 僕は連絡文を握った。


 白夜さんはそれを見届けると、僕から離れた。


 ――――――


 浴場を出ると、白夜さんは僕をちらりと見た。


 そして、わざと呆れたような表情を浮かべる。


「もう、ロキさんったら。お背中を流すだけって言ったでしょう?」


「えっ?」


「今日は帰りますからね」


 突然の言葉に、僕は戸惑った。


「えっ、あの……」


 そこへ、女将さんが顔を出した。


「なんだい、お嬢さん。

 泊まっていかないのかい?」


 白夜さんは少し恥ずかしそうに頬を染め、甘い声で答えた。


「今日はお風呂をいただきましたし、もう遅いので帰りますね」


「気をつけて帰りな。

 式典で大きな騒ぎがあったろう? 

 物騒な連中が街に入り込んでるって話だからね」


「はい。お気遣いありがとうございます」


 白夜さんは可憐な笑顔を僕に向け、軽く手を振った。


 まるで、本当に恋人と別れるかのように、宿を後にしていった。


 ……すごい。


 本当に、自然に周囲へ溶け込んでしまう。


 花売り姿の彼女を、誰も斥候とは思わないだろう。


 僕が感心していると、食堂の隅にいた工夫らしき男が立ち上がった。


「女将、勘定」


 ぶっきらぼうに告げ、男は支払いを済ませる。

 そして、何事もなかったかのように宿を出ていった。


 その背中が、夜の街へと消えていく。


 ――――――


 その後、食事はほとんど喉を通らなかった。


 部屋に戻り、ベッドに横になっても、なかなか寝つけない。

 湯けむりに包まれた浴場での出来事を思い出すたび、顔が熱くなり、鼓動が早くなる。


 そのとき――。


 腕輪が淡く光り、ネイラの声が微かに響いた。


『戦闘時よりも、ロキの心拍数が上昇しています』


「……仕方ないだろう。あんなことがあったんだから」


『ロキの年齢であれば、生物学的には子を成してもおかしくない時期です。

 絶滅の危機に瀕しているネイ・ガイアの遺伝子を後世に残すことは推奨されます』


「なっ……!」


『白夜は、人の中でも高い身体能力を有しています。

 優秀な遺伝子を持つ個体をつくり、保護してもらう相手として、適した母体だと考えられます』


「ネイラ、そういう問題じゃないんだよ。

 お互いの気持ちとか、愛とか、そういう感情があるでしょ」


『感情……ですか……』


 ネイラの声が、わずかに途切れた。


 僕は目を閉じた。


 けれど、腕輪の淡い光は、いつまでも消えることなく、微かに輝き続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。