第15話 崩れた心を救う声
その時――
「どうかなさいましたか……?」
柔らかい声が、沈んだ空気をそっと揺らした。
顔を上げると、目の前に立っていたのは、もの腰の柔らかい男性だった。
昼間、子どもたちを見守っていた──あの優しそうな男性。
この施設の院長らしき人だ。
夕暮れの光が彼の肩に落ち、その姿はどこか懐かしい温かさを帯びていた。
ローレットさんに似た優しさが、ふっと胸を刺した。
だけど、僕は言葉を返せなかった。
涙が止まらず、喉がつまって、声にならなかった。
院長は、学院の制服姿の僕を、責めるでもなく、驚くでもなく、ただ静かに見つめていた。
その沈黙は、僕の涙を否定しない沈黙だった。
「ここは孤児院ですが……」
院長はゆっくりと言葉を続けた。
「元々は教会でした。光の女神様に祈りを捧げる場所だったんですよ」
夕暮れの光が鐘楼を照らし、その影が僕の足元まで伸びてくる。
僕は、何かにすがりたかった。
――院長に案内された礼拝堂は、外の夕暮れとはまるで別の時間が流れているようだった。
扉をくぐった瞬間、空気がひんやりと変わる。
古い木の香り、蝋燭の淡い光、壁にかかった光の女神の紋章。
そして──祭壇の奥に立つ女神像が僕の足を止めた。
僕の育った孤児院の礼拝堂にあった、光の女神アルテミナの像と同じ微笑みをしている。
院長は僕の前で静かに立ち、その柔らかい声が礼拝堂の空気に溶けていった。
「私は、この施設の院長をしているレイン・カグヤといいます。ここは、女神様に悩みを告白する場所。あなたの心の奥にあるものを、打ち明けていい場所ですよ」
僕は女神像を見上げた。
アルテミナの表情は、僕の育った孤児院の像と同じ微笑みを浮かべていた。
胸の奥がきゅっと痛む。
堪えていた言葉が、勝手にこぼれた。
「……僕は、魔法が使えません……女神様から“色”をもらえませんでした……」
同級生の笑い声が頭から離れない。あの冷たい視線も、押し殺した嘲り声も。
「……みんなに意地悪されても……誰も……助けてくれない……」
声は震え、涙がまた頬を伝う。
「女神に……見捨てられた僕は……告白しても……どうせ聞いてもらえません……どうせ……」
喉が詰まり、息が苦しくなる。
それでも、胸の奥に押し込めていた“本音”が止まらなかった。
「僕は……光の女神なんて……大嫌いです……僕だけ、なんで……」
涙が止まらない。悔しくて、情けなくて、どうしようもなく苦しかった。
顔がくしゃくしゃになって、もう前がよく見えなかった。
――――――
レイン院長は、ふっと息を吸うようにまぶたを伏せた。
驚かず、否定もせず、ただ静かに僕の言葉を受け止めていた。
「女神様は、魔法が使える者だけを愛するわけではありません。“色”を与えることだけが加護ではない……私はそう思っています」
僕の胸の奥で、何かが小さく揺れた。
そして院長は、まるで当たり前のことを告げるように続けた。
「……私も魔法は使えませんよ」
僕は思わず顔を上げた。
涙でにじんだ視界の向こうで、院長は穏やかに微笑んでいた。
「しかし、魔法が使えないからといって、女神様に見捨てられたわけではありません。私はずっとそう思って生きてきました」
レイン院長の声は、慰めではなく、“事実としての優しさ”だった。
「魔法が使えない私でも、こうして子どもたちを守り、育てる役目をいただいています」
僕の胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「私でよければ……お話を聞きましょう」
その一言は、押しつけでも、同情でもない。“話してもいい”と静かに許してくれる言葉だった。
言いたいことはある。
でも、言ったら崩れてしまう。
ずっと抱えてきた痛みが、全部あふれてしまいそうで。
それでも──この礼拝堂の空気と、レイン院長の穏やかな声が、僕の心を少しずつほどいていく。




