第127話 門出を前に吹いた新しい風
僕が"水の階層"の廊下を歩いていると、向こうから背筋の伸びた凛とした女性がやってきた。
アミリアの護衛兼秘書を務める、上級魔導士のミラ・レインさんだ。
彼女は、アミリアのよき理解者として、彼女を支えてくれている。
以前、僕が大怪我をしてここに運ばれたときも、ミラさんにはずいぶん世話になった。
「ロキさん、ご無沙汰しています」
「こちらこそ。以前はありがとうございました。
明日には帝国へ向けて出発します。アミリアのこと、よろしくお願いします」
僕が頭を下げると、ミラさんは穏やかに微笑んだ。
「ええ。アミリア様のことは、私にお任せください。
リリーナ様もいらして、この層もずいぶん明るくなりました」
その隣には、アスピア魔導兵団の生き残りであるガーベル隊長の姿もあった。
ガーベル隊長は現在、リリーナに仕えることを希望し、レイン先生と共にリリーナの護衛にあたっている。
話をしていると、リリーナがこちらへやってきた。
二人の姿を見つけるなり、嬉しそうにその周りをくるくると回り始める。
「ロキ殿。リリーナ様を助けてくださったこと、感謝している。
私も、以前のようなアスピアを取り戻せるよう、協力は惜しまない。
アスピアの現状もおおよそ把握している。何かあれば言ってくれ」
「ありがとうございます。アスピアのことで何かありましたら、ぜひお力添えをお願いいたします」
僕が礼を述べると、ガーベル隊長は力強くうなずいた。
「ところで、リリーナ。レイン先生を見かけなかった?」
「レインおじちゃん? 外の修練場にいたよ!」
「そっか、ありがとう」
僕はミラさんたちに軽く挨拶し、聖浄院に隣接する魔導師団の修練場へと向かった。
――――――
――――――
修練場に足を踏み入れると、そこには、いつもと変わらぬ様子でもくもくと剣を振るうレイン先生の姿があった。
僕は何も言わず、その隣に並んで剣を振り始めた。
レイン先生と出会ってから、これまで、どれだけ剣を振ってきただろう。
学院で同級生にいじめられ、泣きべそをかいていた僕に、レイン先生は剣の振り方を教えてくれた。
手に豆ができ、皮が破れても、手足が動かなくなるまで剣を振った。
あの頃から、ずっと。
言葉を交わさずとも、僕たちの心は通じていた。
やがて、レイン先生が静かに口を開いた。
「君に教えることは、もうありません。
あとは多くの実戦を積み、剣の道を究めるのみ……。
いつか君がローディン様を超える日が来ることを、楽しみにしています」
その言葉を受け、僕たちは剣を交えた。
――激しい攻防が繰り広げられ、剣圧が修練場を満たしていく。
珍しそうに見守る者もいれば、刺激を受けたのか、負けじと魔法の訓練に励む者もいる。
そのとき――
一人の魔導兵が放った火球が制御を失い、レイン先生のもとへ飛んだ。
レイン先生は慌てることなく、剣の一閃で火球を切り払った。
火球は真っ二つに裂け、炎の残滓となって霧散した。
「魔法を切る剣……」
魔導兵たちの間に、驚きの声が広がる。
魔力の理を断つ刃。
盟友であるアスピア魔導兵団を壊滅させた剣技。
これからガルディウス帝国と対峙しなければならない彼らにとっても、決して他人事ではなかった。
魔導兵たちはレイン先生を取り囲み、剣と魔法の模擬戦に興味を示し始めた。
いつしか、その様子に引き寄せられるように、修練場には多くの魔導兵たちが集まっていた。
――その様子を眺めていた賢者たちの中で、普段は滅多に口を開かない土の賢者ガルドが、珍しく口を開いた。
「我らも、いつかあの男と競い合ってみたいものよな」
火の賢者イグナも、うずうずした様子でにやりと笑った。
「負けてはいられねーな」
レイン先生の存在によって、魔導師団には、新たな風が吹き始めていた。
――――――
――――――
――その日の午後。
明日の旅立ちを前に、僕は久しぶりに街へ出た。
これまでお世話になった工房の職人さんたちに、挨拶をしておきたかったのだ。
石畳の通りには色とりどりの花が飾られ、白い壁の建物が柔らかな陽光を反射している。
通りを行き交う人々の傍らでは、荷物を浮かせて運ぶ魔導具が動き、露店からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
ふと、これまでこの街で過ごしてきた日々が思い起こされた。
ミース村を出て、初めてこの街を訪れたあの日。
最初は右も左も分からなかった。
この風景もしばらく見納めかと思うと、寂しさがこみ上げてきた。
――やがて、僕はリワードさんの魔導具工房に到着した。
工房にはリワードさんのほか、鍛冶工房のラグ親方と、魔法薬工房のカーミラさんもいた。
「ちょうどよかった。君の旅立ちを聞いて、みんなで餞別を渡そうと話していたところです」
そう言いながら、リワードさんは一つの鞄を差し出した。
「これは、私たちからの餞別です」
見た目はシンプルな旅行鞄だが、内部は仕切りが工夫されており、魔導具や薬品を種類ごとに整理して収納できる上質で実用的な作りになっていた。
中には治癒薬をはじめ、魔法球などの魔導具が収められている。
旅先で役立つものを選んでくれたのだろう。
続いて、ラグ親方が黒く輝く"外套"を差し出した。
「これは俺からだ。こないだの戦で、お前が倒した魔獣の皮と古代兵器の欠片を、魔導師団が回収する前にちょいとばかし失敬してな。仕立ててみたんだ。
魔法耐性もあるし、そこいらの刃物じゃ簡単にはどうにもならねえぞ」
僕は思わず外套を見つめた。
餞別というには、あまりにも贅沢な品だ。
ミスリル合金の欠片まで織り込まれているとなれば、相当な逸品に違いない。
「皆さん、ありがとうございます。本当に心強いです」
僕が頭を下げると、職人さんたちは満足そうに笑った。
「なあに。お前さんの門出だ。惜しむものなんかねえよ」
ラグ親方が豪快に笑うと、カーミラさんも僕に声をかけた。
「しっかりやんなよ、ロキ」
――そのとき、上空から大きな影が差した。
見上げると、従魔師のナギルさんと、僕の相棒である飛竜のリオが姿を現した。
今回の旅は偵察や潜入が目的だ。
飛竜に乗って移動すれば目立ちすぎるため、リオを連れていくわけにはいかない。
地上に降り立ったナギルさんが、僕に向かって口を開いた。
「儂にできることは限られておるが、これからは空の戦いも必要になるかもしれん。
そのときに備えて、お前の相棒は儂がきっちり鍛えておく」
「ナギルさん。ありがとうございます」
リオは僕のそばに歩み寄ると、そっと頭を寄せてきた。
僕はその首筋を撫でた。
「頼んだぞ、リオ」
リオは答えるように、小さく喉を鳴らした。
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