第121話 亡国の姫と聖浄院への迎え
――僕は、レイン先生の孤児院にいた。
子供たちの無邪気な声が、孤児院の中に響いている。
その明るさに触れるたび、これから向き合わなければならない現実が、重く胸にのしかかってきた。
僕は、二千年前のアスピア皇国で起きた出来事を、包み隠さずレイン先生に打ち明けた。
レイン先生は、しばらく黙り込んでいた。
やがて、静かに口を開く。
「カイエン国は、かつてアスピア皇国の戦士たちが袂を分かち、興した国だと伝えられています。
私もまた、カイエンの剣に人生を捧げてきた人間です。同胞とも呼ぶべき者たちが辿った末路を思えば、慙愧に堪えません」
レイン先生は目を閉じ、静かに息を吐いた。
「ですが、彼らが長い歴史の中で魔法社会から受けてきた仕打ちを思えば、その胸に積もった怨念も理解できます。
――彼らの心を蝕んできた歳月は、あまりにも長すぎた。憎しみも悲しみも、もはや一世代で背負い切れるものではない」
そして、苦々しげに呟いた。
「彼らを責める資格が、果たして私にあるのか……。
彼らが抱え続けてきた怨念は、ちょっとやそっとのことでは晴れないでしょう」
重い沈黙が落ちた。
――その時。
孤児院の扉をノックする音が響いた。
コン、コン。
「ごめんください」
扉の向こうから聞こえてきた声には、覚えがあった。
僕が扉を開けると、そこには学院の担任ミール先生と魔導師団のセルド隊長が立っていた。
ミール先生が、苦い表情を浮かべる。
「ロキ、すまないな。のっぴきならない事情があって……」
セルド隊長も、すぐに口を開いた。
「やあ、ロキ君。突然の訪問ですまない。君がこちらにいると聞いて、伺わせてもらった」
セルド隊長は背筋を伸ばして歩み寄ると、レイン先生に丁重に一礼した。
「私は魔導師団のセルドと申します。本日は、ロキ・グレイシア君と、その師である貴殿にご相談があり、参りました。突然の訪問、どうかお許しください」
レイン先生は、用件を聞く前から察していたかのように、静かに目を伏せた。
「アスピア皇国の件ですね」
「お察しのとおりです」
セルド隊長は表情を引き締めた。
「事態は一刻を争います。六賢者様方の命により、参りました。
誠に勝手ながら、ロキ君と貴殿には、至急、聖浄院までお越しいただきたく存じます」
――その時だった。
セルド隊長の視線が、レイン先生の背後に向けられた。
そこでは、リリーナが先生の服の裾をぎゅっと握りしめていた。
泣き腫らした目は、まだ赤い。
レイン先生は、そんなリリーナに静かに声をかけた。
「リリーナ。辛いかもしれません。しかし、あなたもアスピアの姫として、今起きていることを見届けなければなりません」
リリーナは唇を引き結び、健気に小さく頷いた。
「……はい」
セルド隊長が、少女へと視線を向ける。
「その子は……?」
レイン先生は、リリーナの肩にそっと手を添えた。
「アスピア皇女エレオノーラ殿下のご息女、リリーナ姫です。
故あって、現在は私がお預かりしております」
その言葉を聞いた瞬間、セルド隊長とミール先生の表情が変わった。
二人は即座に片膝をつき、深く頭を垂れた。
「リリーナ姫。大変な折に、よくぞご無事で……お目にかかれて光栄です」
リリーナは、小さく俯いた。
震える指が、レイン先生の服を握りしめる。
「……いいんです」
その声は震えていた。
「アスピアがなくなってしまったことくらい、私にも分かります」
涙をこらえるように、リリーナは続けた。
「お母様が守ってくれたから……。
だから私は……ちゃんと見なきゃいけないんです」
小さな拳を、胸の前でぎゅっと握りしめる。
その姿を見つめていたレイン先生は、そっとリリーナを抱き上げた。
「よく頑張りました」
優しく頭を撫でる。
その言葉を聞いた途端、リリーナの瞳から、必死にこらえていた涙がこぼれ落ちた。
やがて、セルド隊長が静かに口を開いた。
「馬車を用意しております。よろしければ、お乗りください」
孤児院の外では、二頭立ての馬車が待機していた。
ブルルル、と馬が鼻を鳴らす。
夕暮れの央都では、人々が慌ただしく行き交っていた。
アスピア皇国陥落の報は、すでに街中へ広がっているのだろう。
行き交う人々の表情には、不安と緊張が色濃く浮かんでいた。
石畳の街路の先。
夕陽に染まる街並みの向こうに、聖浄院の尖塔がかすかに見えていた。
大結界を守る六賢者の居城。
そして今、二人の剣士が招かれようとしている場所でもある。
レイン先生はリリーナを抱きかかえたまま、馬車へと向かった。
僕も、その後に続く。
三人が馬車に乗り込むと、御者が手綱を鳴らした。
馬のいななきが夕暮れの街に響き、馬車は聖浄院へ向けて静かに走り始めた。
――――




