第120話 凶剣の報せと招かれる少年
――その頃
聖浄院の円卓の間には六賢者が集い、魔導師団の幹部たちから各地の戦況報告を受けていた。
だが、その場に本来いるはずの風の賢者の姿はない。
誰一人として、その空席について口にする者はいなかった。
かつて大結界の守護と世界の平和を誓い合った盟友の裏切り。
その結果として世界が再び戦乱の渦へ飲み込まれようとしている現実が、そこに残された空席によって静かに示されていた。
重苦しい空気の中、雷の賢者ライゼルが口を開く。
「アスピアの現状はどうなっている」
問われた魔導師団長ラミルが前に進み出た。
「皇都は完全に戦士団の支配下に置かれました。
皇都の宮殿には、新たな"ガルディウス帝国"の旗が掲げられ、奪還は極めて困難かと」
その報告に誰も言葉を発しない。
ライゼルはさらに問う。
「アスピア魔導兵団は」
「壊滅状態です」
ラミルは短く答えた。
わずかな沈黙の後、ライゼルは低く息を吐く。
「まさかエルミナ共和国への救援の隙を突かれ、このような事態になるとはな」
会議の席にいた黒いマントの男が拳を握り締めた。
アスピア魔導兵団隊長ガーベルである。
「国内は元より、大陸各地から、魔力に恵まれず、不遇な立場に置かれていた者たちが続々と戦士団の旗の下へ集結しております。
皇都はすでに彼らの支配下にあり、かつての日常は見る影もありません」
その声音には悔恨が滲んでいた。
「面目ありません。
エルミナ共和国救援のため戦場へ赴いたにもかかわらず、今度は祖国を失い、エルミナ共和国に救われる身になるとは」
土の賢者ガルドが静かに首を振る。
「ガーベル隊長。長く気に病むことはない。
我らとて、貴国の援軍がなければ邪教との戦いを乗り越えられなかっただろう」
そして続ける。
「生き残った兵たちは共和国で受け入れよう。
再起の時が訪れるやもしれない」
ガーベル隊長は俯いたまま答えた。
「ありがとうございます。
しかし、師団長も戦士団の凶剣の前に敗れ、戦死しました」
苦々しく唇を噛む。
「生き残ったのは私と一部の隊員のみ。もはや軍としての再建は望めません」
火の賢者イグナが腕を組みながら吐き捨てる。
「邪教との戦いで魔力が底をつきかけたところを狙うたぁな。
アスピア戦士団も随分と汚い真似をしてくれるじゃねえか」
しかしガーベル隊長は静かに首を横へ振った。
「いえ……それだけではありません」
全員の視線が集まる。
ガーベルは敗戦を噛み締めるように言葉を続けた。
「仮に我々の魔力が万全だったとしても、どこまで抗えたか分かりません」
会議の間に緊張が走る。
「彼らの剣は、我々の理解を超えています。
魔法を斬り裂き、そのまま刃が術者へ迫る……。
あの剣技は、魔導士にとって悪夢そのものです」
誰も口を開けなかった。
そして、皆が同じ光景を思い返していた。
魔導学院で「魔欠け」と呼ばれていた少年が、風の賢者シルフィアを、その魔法ごと斬り伏せた、あの日の光景を。
ガーベル隊長は硬い表情のまま答えた。
「アスピア戦士団は、かつて自分たちを陥れたヴァルシエル王朝に対し、並々ならぬ憎悪を抱いています。
その王朝に与する者や、彼らの行動を妨げる者も、容赦なく攻撃の対象としているのです」
そこまで述べたガーベルは、六賢者の顔ぶれを見渡し、わずかに言葉を選ぶような間を置いた。
「もっとも、エルミナ共和国そのものに敵意を向けているわけではありません。
ですが、彼らは、六賢者が守護する大結界の奥に封印されている厄災をも、本気で滅ぼすつもりでいます」
ガーベルは沈痛な面持ちで続けた。
「その障害となるエルミナ共和国、そして六賢者の方々へ、いずれあの凶剣の切っ先が向けられることは必至かと」
水の賢者アミリアが、初めて口を開いた。
「私たちが大結界の守護を使命とするように、アスピア戦士団もまた、アスピアの地を守ってきた方々です。
私たちは、手を取り合うことはできないのでしょうか」
ガーベルは、静かに首を横に振った。
「もはやアスピア戦士団の耳には、我らの言葉は届かないでしょう。
彼らと相対すれば、間違いなく凶剣が抜かれます」
アミリアは膝の上で握った拳に力がこもるのを感じていた。
ガーベルは重々しく続けた。
「恐れながら、六駒と呼ばれる戦士団の精鋭部隊は、賢者様方をもってしても、容易に退けられる相手ではないと思われます」
そして、苦渋を滲ませながら言葉を落とした。
「アスピア皇国は、わずか六振りの凶剣によって国を奪われたのです」
重い沈黙が続く。
アスピア魔導兵団は大陸屈指の精鋭として知られている。
その彼らが、数名の戦士部隊によって滅ぼされた。
それは、魔導を頂点とする世界の勢力図そのものが変わったことを意味していた。
ライゼルが口を開く。
「しかし、手をこまねいているわけにはいかん。
ガルディウス帝国の動向を探るためにも、まずは内情を探る必要がある」
土の賢者ガルドが腕を組む。
「だが、この状況では、エルミナ魔導師団も容易には踏み込めまい」
すると、それまで沈黙を保っていた闇の賢者ノクスが静かに声を発した。
「死地への内偵は、もとより我が闇の隊の務め。
我らの斥候を送り込もう」
そこで言葉を区切る。
「しかし、それとは別に、学院のロキ・グレイシアと、その師に協力を求めてはどうだ」
その名が告げられた瞬間、アミリアの肩がわずかに震えた。
ノクスは、その反応を見逃さなかった。
「アミリア。お前がロキ・グレイシアと幼少の頃からの馴染みであることは承知している」
静かな口調だった。
しかし、その言葉には賢者としての厳しさが滲んでいた。
「だが、これは世界の存亡に関わる問題だ。
私情を挟むべき状況でないことは、お前自身がよく理解しているはずだ」
アミリアは答えられなかった。
俯き、膝の上で拳を握る。
彼を危険な目に遭わせたくない。
そんな思いが胸をよぎる。
同時に、ノクスの言葉が正しいことも理解していた。
世界が滅べば、ロキも無事ではいられない。
守りたいからこそ、戦いから遠ざけることはできないのだ。
やがてノクスは皆へ向き直った。
「ロキ・グレイシアとその師の剣は、おそらくアスピア戦士団と同じ源流を持つものだろう」
全員が耳を傾ける。
「幸いにも、我らには剣の民との縁を結ぶ糸口が残されている。
当の少年はエルミナ魔導学院に通い、さらには水の賢者と最も近しい間柄でもある」
そしてノクスは結論を告げた。
「直ちにロキ・グレイシアとその師を招致し、戦士団への対処について協力を要請すべきだろう」
もはや、その提案を退けられる者はいなかった。
ライゼルはエルミナ魔導師団のセルド隊長へ視線を向けた。
「セルド。学院を通じ、ロキ・グレイシアと彼の師を聖浄院へ招聘する段取りを取れ」
「はっ。直ちに」
セルドは一礼し、静かに会議の間を後にした。
彼の遠ざかる足音と、重厚な扉の閉まる音だけが静寂に響く。
その場に残された者たちは皆、これから招かれる一人の少年に、世界の行く末を左右する可能性を見ていた。
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