第118話 闇に落ちた使徒【第二幕 エピローグ】
時は戻り――
アスピア皇女エレオノーラ崩御の夜。
アスピア皇国の奥底に眠っていた“憎悪の影”が、静かに動き始めていた。
古代より“光の使徒”を導く使命を帯びてきた時の巫女。
その系譜は、四億年前の滅びへと遡る。
――――
アスピア皇国の起源は、ヴァルシエル王朝と同じ時代に存在した、古代アルテミナ神殿にあった。
アルテミナ神殿は、光の女神アルテミナを信仰する拠点として民に寄り添い、文明の発展を支えていた。
時の巫女もまた、この神殿の祈りの中で育まれた。
ヴァルシエル王朝の始祖・魔導皇帝シーレ・ミューは、世界を手中に収めんと古代文明の叡智を結集し、魔導兵器群を束ねる自律式魔工兵装核ガイアビナスを作り出した。
しかし、ヴァルシエル王朝が擁する膨大な魔力をもってしても制御できず、ガイアビナスは創造主の命令すら拒む意思を持つに至った。
――文明は、世界を破滅へと導く禁呪に手を染めたヴァルシエル王朝を神敵と定め、神殿騎士団の精鋭を束ねて"聖戦士団"を結成した。
彼らは、この世界に満ちる七つの属性魔力の“理”をほどいて無色へ還す剣技を操り、ガイアビナスが使役する古代兵器を断ち切った。
アルテミナ神殿の神官は、ガイアビナスを滅ぼす使命をもつ彼らに《ネイ・ガイア》の称号を授けた。
そして、古代の人々は、彼らを女神が遣わした"光の使徒"と信じた。
だが――
ネイ・ガイアはガイアビナスに勝てなかった。
ガイアビナスは驚異的な学習能力で進化し、無数の古代兵器を生み出していった。
やがて、大地に満ちる魔素を介し、八足虫が編む巣網を雲海に広げるようにして、古代兵器へ思念を流す“魔導連環網”が世界を覆った。
ガイアビナスの意思を受けたそれらは、巣網を伝って数多の眷属を芽吹かせ、さらにその眷属が意思を拡散させていった。
世界は瞬く間に、ガイアビナスの破壊の意志へと塗り替えられていった。
――文明は、滅びを前に、魔法工学の叡智を集積する古代学府に、ガイアビナスの力の根源を奪い、これを断ち切るための神鋼の刃の錬成を試みさせた。
しかし、間に合わなかった。
ガイアビナスの破壊の速度に、人の智も、鍛え上げられた剣技も追いつけず、ネイ・ガイアの多くは戦場で息絶えた。
古代学府は、ネイ・ガイアの怨嗟が宿る神鋼の刃を“未完成”のまま古代呪法で封じた。
そして、魔法工学の理を解き明かす“後世の賢者”がいつか現れ、志半ばで敗れた研究を完成へと導いてくれることに願いを託した。
やがて文明は滅び、ガイアビナスは自ら悠久の眠りについた。
――――
その後――
文明は原始的水準まで後退した。
それでも、各地で辛うじて生き残った者たちは、互いに寄り添い、力を合わせながら、幾度もの衰退と滅亡、そして再興を経て文明を再建していった。
アスピア皇国もまた、アルテミナ信仰と、ネイ・ガイアの血脈を受け継ぐ者たちの手によって、長い歴史の果てに築かれた国である。
――長い歴史の中で、ネイ・ガイアの末裔はアスピア皇国から分岐し、カイエン国を興すに至り、その系譜となる剣術を後世へ承継してきた。
しかし魔導大戦の最中、カイエン国は、エグザリア・ジークの手によって滅ぼされ、その系譜のほとんどが息絶えた。
長きネイ・ガイアの歴史の中で最も剣技の才を昇華させ、ガイアビナスの目前まで刃を突き付けた勇者ローディン――
今では、その意思を継いだエルミナ魔導学院に通う“魔欠の少年”と、時の巫女を守護する彼の師だけとなった。
――もう一方のアスピア戦士団
アスピア戦士団は、ネイ・ガイアの末裔が再編し、長い歴史の中で、命を賭してアスピア皇国のために尽くしてきた。
戦場では、戦士が一人、また一人、前線で散っていった。
それでも彼らを突き動かしていたのは光の使命をもつ皇国の戦士たる誇りだった。
だが、今から二千年前。
アスピア皇国の宮殿で、かろうじて繋ぎとめていた“光の使徒”としての誇りの糸が、ついに断ち切れた。
命をかけて国家を守ってきた彼らを、政治も、民も嘲笑し、誇りを踏みにじった。
アスピア戦士団の団長、オーウェン・ガルディウス。
ヴァルシエル王朝の暗躍を知り、積み重なった屈辱と喪失の果てに、その心は憎悪の化身へと変わり果てた。
「我らを陥れた羽虫ども……
命を賭して戦ってきた我らを嘲笑した魔導の民……
古代の鉄くずとともに、すべてを切り割いてくれる。」
オーウェンが抜き放った剣が、光の女神アルテミナの像を両断した。
光の使命は、長い年月の屈辱に磨り減り、ついに闇へと反転した。
その声は、かつて“光の使徒”と呼ばれたものとは思えないほど、深い闇に沈んでいた。
そして、オーウェンが抱いた怨恨は彼一人の感情として終わらず、戦士団の魂に刻み、亀裂を広げていった。
ついに――
エレオノーラ崩御の夜。
その“闇”が、世界へと滲み出そうとしていた。
――――
――――
伝令が駆け込み、至急の報せを告げた。
「殿下が……エレオノーラ殿下が亡くなられた。命をかけて厄災を封じられ……そのまま、お倒れに……」
その言葉が響いた瞬間、"鎧の男"の肩がわずかに震えた。
長い年月押し込めてきた“影”が、静かに、しかし確実に軋む。
「我らを認めてくださったエレオノーラ殿下は死んだ……」
男の声は、深い闇の底から絞り出すようだった。
「もはや皇国に尽くす義理はなし」
彼らが忠義を尽くしてきたのは“皇国”ではなく、ただ一人の女性――
時の巫女たるエレオノーラだけだった。
辛うじて、皇女エレオノーラの愛と敬意がつなぎとめていた彼らの誇りが、断ち切れた。
その呟きは、長く封じていた怨恨が、ゆっくりと目を覚ます音のようだった。
暗闇の奥で、重い鎧の音が響く。
ガシャン……ガシャン……
鎧の男は、ゆっくりと剣を掲げた。
「皇女殿下が倒れた……これより、アスピアは“剣の誇り”を取り戻す。魔導の世界に、再び我らの名を刻むために」
男の声は静かでありながら、二千年の怨恨を孕んだ低い響きを帯びていた。
「そして――魔導王朝ヴァルシエルの羽虫どもを皆殺しにする。結界などという生ぬるい手段ではなく、厄災の源を、世界から完全に消し去る……」
男は大きく息を吸う。
「エルミナ共和国が邪魔立てするなら、容赦はせぬ。賢者もろとも、魔導の民を切り裂いてくれようぞ」
その声は、二千年の歴史に積み重なった憎しみが形を成したような、静かで深い響きだった。
その叫びが空気を震わせた瞬間、背後に控えていた大群の兵が、一斉に咆哮を上げた。
「おおーー!!」
宮殿前広場には、魔力を持ちながらもその力が弱く、社会から不遇の扱いを受けてきた多くの兵士たちが、剣の男の言葉に賛同し、続々と集まり始めていた。
――騒ぎを聞きつけ、魔導兵団の残留部隊が広場へ駆けつける。
「レイヴン隊長!この騒ぎは何事か!殿下のいぬ間に――」
レイヴンと呼ばれた男は、ゆっくりと振り返り、低く告げた。
「皇女殿下は……もうおらぬ……」
その瞬間――
レイヴンの剣が、目にも止まらぬ速さで十字を切った。
次の刹那、そこに立っていたはずの魔導兵は音もなく崩れ落ちる。
「!?」
「レイヴン隊長……気でもふれたか!」
怒号とともに、魔導兵が炎の雨を降らせる。
だがレイヴンは一歩も動かず、ただ剣をひと振りした。
刃が描いた軌跡に沿って炎が裂け、そのまま魔導兵の身体ごと断ち割られる。
崩れ落ちる肉体。焦げた空気。
広場には、静かな殺気だけが残った。
レイヴンは冷ややかに吐き捨てた。
「痴れ者の言葉など、もはや耳には入らぬわ」
その声が広場に響いた瞬間、アスピアの皇都全体が、戦士たちの咆哮で震え上がった。
こうして、アスピア皇国は、皇女エレオノーラの死と、アスピア戦士団によるクーデターによって、長い国家の歴史の幕を閉じることとなった。
アスピア戦士団の英雄、オーウェン・ガルディウス。
彼の誇りと深い深い怨恨を受け継ぎ、新たな戦士の国――
『ガルディウス帝国』が誕生する。
本来、古代兵器の殲滅を使命とした光の使徒の使命は深い闇へと堕ち、恐るべき剣技は、ついに民衆へ向けられることすら厭わなくなった。
圧倒的な武力を持つガルディウス帝国による、世界への宣戦布告の狼煙が今、上がった。
六賢者の魔力と結界の防衛術で世界を護らんとするエルミナ共和国。
禁忌の呪法をもってガイアビナスを手中に収めんとする魔導王朝ヴァルシエル。
そして、魔力を断つ剣技をもってすべてを破壊するガルディウス帝国。
それぞれの国の思惑が交錯し、世界は静かに、しかし確実に、戦乱の時代へと傾き始めていた。
――――
――そして数日後、その知らせはエルミナ共和国へと届くことになる。
世界が再び軋み始めたその瞬間、ロキとアミリアもまた、運命の渦へと巻き込まれていく。




